住職のつぼやき[管理用]

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789回目を迎えた『紙芝居法話会』

 先日、妻から「お寺の出前(紙芝居法話)って、今まででいったい何回行ってるの?」と聞かれた。
 そう聞かれると、改めて自分でも気になり、実際数えてみることにした。
 ・・で、過去の第一回目(平成八年)からの『記録帳』を開き、勘定してみた。(毎回、記録はちゃんと付けていたのだが、勘定まではしてなかった。〔笑〕)

 それで、結果からいうと(先月末までで)『789回』だった。 その『記録帳』の記念すべき〔第一回〕は、特別養護老人ホーム『白寿苑』での『法話会』の記録から始まっていたので、今年で17年目を迎えることなる。(『・・よく続いたな』と改めて思い、そして『もう死ぬまで止めれないだろうな』とも思った。なぜなら現在、来年(平成25年)の予定がすでに入っているし、これから毎年「出前」を頼みますというお声を聞いているからだ。・・健康でおらなあかんなぁ。)

 記録帳を見ると、最初の頃は「老人ホーム」への『お寺の出前』だけであった。・・が、だんだんとそれに「ホスピス&病院」・「お寺」・「地域の老人会」がプラスされ、年を追うごとにさらに「コンサート&イベント会場」や「小学校」・「幼稚園&保育園」・「学童保育」(若返っていってるやんけ。)、さらに又「社員研修」などと幅広く重要が増えて来ていた。
 そして現在、「お寺の出前」で外ばかり出ていたのに、「自坊のお寺に(お客さんの方から)来て下さるパターン(団体参拝)」も増えてきている。
 この結果を見ると、自分は本当にこれまでラッキーだったとつくづく思う。(しんどくなったが・・、嬉しい悲鳴だ)
 
 さて、その記録帳の話であるが、最初の頃はノート一杯に細かく「法話会」の計画と感想が書かれてあった。(こんなこと書いてたなんて忘れていた)
 たとえば、どんな風に話(法話)を始めるか、時間まで計って原稿を細かく書いている。ここで歌を唄うとか、(僕、最初の頃は法話会の途中で歌を唄っていたんやなぁ・・。おもろ)、又ここで皆に感想を聞くとかも書いたりしていて、その結果「歌は受けた」とか、「感想は出なかったので時間があまった」とかも書かれてあった。(不安な気持ちが字に表れている)
 又、「寝ている人がいたので、次回から紙芝居を始める前は〔拍子木〕を入れて皆の目を覚めそう」と書いたりして、今、自分で改めて読み「そうか、だから拍子木を打って(紙芝居を)始めるようになったのか」と思いだした。
 過去の記録を読むのは、こっ恥ずかしい事だが、それも新たな発見があって大事なことだなと改めて思った。
 しかし、お寺の出前はこの先、いったい何回まで演り続けるのだろうか?
 
 
 
 
 

六月号の「月刊 御堂さん」は『犬と僧侶の絵』を描きました

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 毎月、月末近くになると、「月刊 御堂さん」編集部から(次々月号の)イラスト依頼のファックスが送られて来る。
 これは『お参り茶話』といって、毎回異なった住職が、檀家さん宅で起こった色んなエピソードを連載するコーナーで、その話に僕は(似合った)カットを描くのである。・・それが仕事だ。
 それで、今月号の原稿は『犬が苦手なお坊さん』の話なので、最初、僕は犬に吠えられ慌てふためくお坊さんのカット(絵)を書いた。
 ・・が、著者が「犬嫌いなお坊さんでも、膝の上に尻尾を振って乗って来ると可愛いものだ」という一行も書いておられたので、やっぱり、この絵はやめとこ」と思いボツにして、今回のような絵に変えた。
 今改めて、原稿を読みながらカットを見たら、やっぱり「慌てふためくお坊さん」の絵の方が良かったような気がする。・・が、でも、やっぱりこれで良かったかな。 
 それは、僕もこのお坊さんと一緒で、(檀家さん宅の)犬と(できるだけ)仲良くしたいという願望があるからなのだ。
 ウッー、ワンワン!「しーっ、読経中だけでも静かにしとってくれ!」という願いが・・。
 

鶉野昭彦・新屋英子御夫妻からのプレゼント

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 先日、うちの寺の〔永代経法要〕の記念公演にお越し頂いた、劇作家であり演出家の「鶉野(うずの)昭彦」さまと、妻であり女優である「新屋英子」さまから、それぞれの御著書「星の溜息」と「女優 新屋英子 私の履歴書」を、サイン入りで送って頂いた。
 又、誠にご丁寧なお礼状まで付けて下さり(プラス『新屋英子市民劇団』へのお誘いまで、又書き付けて下さり〔笑〕)、本当に恐縮でございます。
 新屋様、『生涯青春』って良い言葉ですよね!
 しっかりと拝読させて頂きます。
 返す返す有難うございました。合掌

紙芝居:「不思議なクマグス」(その8:最終回)

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 昭和八年、若き昭和天皇は和歌山に来られた時、「是非、クマグスに会って、生物学の講義が聞きたい」とおっしゃいました。(すでに日本でも(クマグスは)有名人になってたんやね)
 そして六月一日、昭和天皇は軍艦『長門』で田辺を訪れ、その艦上でクマグスにお会いになられたのです。
 この時クマグスは、昭和天皇にいくつかの〔生物の標本〕をお土産に持って行きました。
 その標本入れのケースに、クマグスはビックな『森永ミルクキャラメル』の箱を選び、天皇に差し出しました。(そんなデカイ箱のキャラメルケースが当時にもあったんやね。) 
ファイル 911-2.jpg(実際の森永キャラメル箱)
 昭和天皇はそれを見て、大変愉快な表情をされたということです。
 クマグスの物にこだわらない愉快なエピソードの一つです。
ファイル 911-3.jpg(新製品の森永キャラメル)
 余談であるが、(写真)は先日買ってきた平成の『森永キャメル』である。プリン味とチョコレート味が増えていた。驚いたわ!ちなみに小豆味もあった。(キャラメルは常に進化しているんや・・)
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 さて、型破りな人生を送ったクマグスでしたが、太平洋戦争が始まった昭和16年の12月に病に倒れます。
 そして12月29日に亡くなりました。
 その最後、布団の中から語った言葉が記録されています。
 「この部屋の天井に美しい紫の花が咲いている。医者を呼ぶと花が消えてしまうので、どうか医者は呼ばないでおくれ・・」と。
 きっと幽霊の見えたクマグスですから、(極楽浄土の?)この美しい花々が見えたのでしょうねぇ。
 ・・そして息子の名を二度呼び、息絶えました。

 南方熊楠(ミナカタ・クマグス)、行年75才。
 出世や名誉よりも自分の夢を追い求めた、ある意味、はちゃめちゃで、自分に正直に生きた人の一生でした。 おしまい

紙芝居:「不思議なクマグス」(その7)

 子供が生まれて喜んだのもつかの間、又、クマグスに大事件勃発です。
 それは政府が『神社合祀令(ごうしれい)』というお布れを出した事に始まります。
 これは「小さな祠(ほこら)や、氏神さんは壊してしまって、村や町に一つだけの神社を祀りなさい」という命令でした。
 そのお布れに、クマグスは猛反対をします。
 神社の境内や鎮守の森には、クマグスが研究する小さな生き物たちが一杯います。又、信仰している神様を失うことで、人々の心と心がバラバラになると思ったからでした。
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 クマグスは国や県に対して、「そのお布れは自然の生態系を壊し、人々の心を壊し、決して日本の未来の為には良くならない!」と訴えたのです。
 そのあまりに烈しい抗議をするために、クマグスは警察に捕まり牢屋に入れられた事もありました。
 クマグスは、日本で最初の〔環境保全運動(エコロジー)〕の走りだったのです。
 この結果、やがて政府(国会)はこの〔神社合祀令〕を撤回し、二度と行わないと議決しました。
 これによって那智の原生林などは、ひどい被害を避ける事ができました。
 現在、和歌山の〔熊野古道〕等は、世界遺産に登録されましたが、もしクマグスが居なければ、それは「登録ならずっ!」であったかもしれません。 つづく

紙芝居:「不思議なクマグス」(その6)

・・これも余談になるが、何年か前、民放で『JIN-仁』という現代の医者が幕末にタイムスリップして活躍するというテレビドラマが大ヒットした。
 覚えておられる方は多いと思うのだが・・?
 さて、この(ドラマの架空の)主人公の名前は『南方(みなかた)仁』という。
 もうお気づきの方も多いと思うが、ドラマの主人公『南方仁』のモデルは一説によると、『南方熊楠』といわれている。(どちらの南方も、同時代の人間たちから見ると〔宇宙人〕的に見えるところが接点なのかな?) 
 もちろん、熊楠は医者では無いし、ドラマの南方医師の方が(超)遥かに常識人である。・・が、ドラマ(漫画)の作者は、このお話を描く前に、『熊楠』記念館を尋ねて取材されているし、ちょっとだけ本物の(赤ん坊の)熊楠をドラマに登場させ、和歌山で南方仁医師と接触させている。(この辺が憎いなぁ)
・・でも、南方熊楠と幕末の南方仁とは時代が違う為、これ以上の二人の交流は不可能であったと思われる。・・僕は、南方仁は、南方熊楠の子孫(養子?説)であったぐらいのオチをつけるのかと思っていたが、そこまでせんかったなぁ。(笑い)・・どうでもよい余談おわり。
ファイル 909-1.jpg(熊楠その若き晩年)
 クマグスは、型やぶりな変わり者でした。
 世界18ヶ国語(19ヶ国とも云われている)を話せ、『歩く百科辞典』とも呼ばれるほど博識があるのにも関わらず、常に自宅では裸ん坊で凄し、(時には森林の中でも裸でうろうろした、又あえて写真では腰巻のような物を巻いて写っているが、おそらくあれは、写真用であって、実際は常にフルチンだったに違いない・・と思う)アンパンをこよなく愛し、銭湯に行って、子供たちを摑まえては『世界の伝説』などを語り、気に入らない大人には、ヘドを吐いて大喧嘩をしたと伝わっています。(南方仁(JIN)はそんなことせんなぁ)
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 そんな、子供が大人になったようなクマグスを友達たちは心配して、お嫁さんを世話することにしました。
 お嫁さんの名前は、〔松枝〕さんとおっしゃって、闘鶏神社の娘さんでした。
 この時、クマグスは39才。初めて家庭を持ったのです。
 松枝婦人への最初のプレゼントは、〔樽一杯の本〕だったと伝わっています。(笑うしか・・ないなぁ。松枝夫人に最大限の同情を致します)
 こののち、クマグスは一男一女の父親になります。 つづく
 

 

紙芝居:「不思議なクマグス」(その5)

・・クマグスと幽霊の話をもう少し。
 クマグスは、和歌山県の那智で、一人植物採集をしている時(そのあまりの孤独さゆえか?はたまた持って生まれた才能か?)よく幽霊に遭遇している。(クマグスの面白いところは、(その幽霊を恐がらずに)そこは研究者・科学者の目でじっくりと幽霊を観察しているところである。・・そんな記録が残っているのだ。)
 たとえばこうだ。
 「本物の〔幽霊〕と〔幻覚〕とはこう違う。本物の幽霊はどんな状況で出現しても、床に対して《垂直》に立って現れる。・・が、幻は、床に対して《平行》に現れる。つまり、枕元に立つのは本物の幽霊。 おおいかぶさってくるのは幻である」と、その述べている。
 そう考えると、昨年ヒットした三谷幸喜監督の『ステキな金縛り』はおかしく(誤りに)なってくる。
 深津絵里さん演ずる主人公が金縛りにあって、西田敏行さん演ずる幽霊が、深津さんに覆いかぶさり、二人はこの時はじめて接触する。・・が、クマグス説では、覆いかぶさって来る幽霊は、深津さんのイメージで作り出した幻影なのだ。
 だから、正確には西田さん演ずる落ち武者の幽霊が、裁判に立って証言してもらうには、まず、深津さんの布団の上に垂直に立って登場しなければならない。でないと、クマグス説を取るならば成り立たない。(別にこの説を取らんでも良いのだが〔笑〕)
・・長々とこんな事をまじめに書いてる自分が、だんだんとあほらしなってきたが、まぁ、でも幽霊が垂直に枕元に立ったら、映像的にはあまり迫力が出ないやろなぁ・・とも思う・・。もうこのへんにしとこか。 
 皆さんも、この際是非『金縛り』に(寝ている時に)あったら、幽霊が平行か垂直かを、客観的に見つめて頂ければ、又違った『金縛り』の楽しみ方を味わえると思いますのでご参考に。
 長い余談、終り。
 さて、本編に戻らな・・。
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 ところで、クマグスが生涯を掛けて研究をしたものに『粘菌(ねんきん)』があります。 
 『粘菌』とは何でしょうか?
 それは『菌』が付くので、カビの仲間の様です。
 しかしこの『粘菌』は、自分で動き回って細菌などを食べて大きくなるので、動物のようでもあります。
 が、又、胞子(ほうし)などをばら撒いて仲間を増やすので、植物のようでもあります。
 つまり『粘菌』は、動物のようでもあり、植物のようでもある(・・ベンベン、それは何かと尋ねたら・・〔笑い〕)、不思議な生命体なのです。
 この『粘菌』、ひょっとすると太古の昔に、宇宙の他の星から、この地球に落ちて来た動・植物の原型ではないかとも言われているのです。
 クマグスはこの不思議な生命体に興味を持ち(何か、クマグスが興味を持つなんてよく解る気がするなぁ・・)、集めて研究しました。
 中でも、自宅の柿の木(自宅かいっ!〔笑〕)から発見した粘菌は、新種の粘菌で世界的にも認められ、『ミナカテルラ・ロンギ・フィラ』と、クマグスの名字を入れて名づけられました。 つづく 
 
 

紙芝居:「不思議なクマグス」(その4)

 南方熊楠の人生は、(明治期の)小さな日本国から、やがて世界を舞台に大きく羽ばたいてゆく成功者の人生と《真逆》のコースをたどった偉人だと、この紙芝居を描きながらよく思った。
 普通の偉人は、(若き日に)日本国で頑張って勉強し、やがて(齢を経て)世界に進出してゆくのに、熊楠の場合、若い頃にすでにアメリカ・南米・ヨーロッパと渡り歩き(ある程度有名に成り)、中年になって日本に帰って来てからは、ほぼ〔和歌山県〕から出ず一生を過す。・・これだけ見ても、熊楠は普通人ではなく、面白い人間だと思ってしまう。
・・では続きをどうぞ。
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 大きな夢を胸に、世界各地を渡り歩いて14年・・。
 クマグスはボロボロの服を着て、両手に植物の標本とノートだけを持って帰って来ました。
 クマグスの留学中、すでに父に亡くなり、日本の神戸港には弟だけが、出迎えに来ておりました。
・・が、クマグスの身なりを見て、「こんな姿では、恥ずかしくて兄を和歌山につれて帰れない。」と弟は思い、知り合いのお寺に、そのままクマグスを預けてしまいました。
 家族や親類の中にクマグスを理解する者は少なく、「訳の解らないものにお金を使う道楽者」としか、彼は見られなかったのです。 
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 やがてクマグスは、預けられたお寺から、和歌山県の〔那智勝浦〕に引越しました。
 そこには、弟が経営するお店の支店があったからです。
 クマグスはここで勤めながら、毎日のように那智の山奥深く入ってゆき、植物を集めました。
 ここでクマグスは、『ナギラン』という珍しい植物を発見しますが、これは「場所は《幽霊》が教えてくれたんじゃ」と書き残しています。
 どうやらクマグスは、幽霊が見えて自由に会話することができたようです。
 クマグスは幽霊にいろんな事を教えてもらっていたようで、「大昔の人間は、大自然の〔もののけ〕と自由に話せる超能力を皆、持っておったんじゃ。しかし今、物に埋まって暮らしているので、そんな力は無くしたのじゃ。」と言っています。(宮崎駿みたい・・) つづく

紙芝居:「不思議なクマグス」(その3)

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 大学を辞め、和歌山に帰ったクマグスは、
「わしに日本は狭すぎる!本当の学問は、本場の外国に行ってやらねばならん!」と、父に無理を言って旅費を出してもらい、単身アメリカに渡ることにしたのでした。
ファイル 906-2.jpg(アメリカ留学中の熊楠)
 そして、アメリカの大学で勉強を始めました。
 しかし・・、
 一年も経つと、クマグスは大学の寮で揉め事に巻き込まれ、その大学を辞めてしまいました。
 その後、和歌山の実家からの仕送りも途絶え、窮したクマグスは、
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 南米キューバに渡り、サーカス団に入団し〔象使い〕の助手をしながら、各地で植物採集をして、研究を続けたのでした。

 その後、クマグスはイギリスに渡り、誰の助けも借りず、独学で勉強を続けました。
 その甲斐あってか、やがて〔大英博物館〕の部長に見出され、クマグスは博物館の助手として雇われ、そこで活躍し、彼の研究は学会でも発表され、世界的に名が知られるようになっていったのでした。
 が、しかし・・。(又しかし、かいっ!)
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 またもやここで、クマグスは事件を起してしまいます。
 それは博物館で日本人を軽蔑し、クマグスに唾を吐きかけた白人を殴ってしまったのです。
 それで、クマグスは博物館を追い出され、収入の道を無くしてしまいました。
 そしてついに、クマグスは友達にお金を借りて、日本に帰る決意をしたのでした。 
 この時、外国に渡ってから、すでに14年の歳月が経っておりました。 つづく

兵庫県加古川市からの団参

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 本日、兵庫県加古川市から真宗大谷派の「光念寺」さまの御一行が、団参に来て下さった。
 今回は、大型バスと中型バスの二台(計61名)でお参りくださり、小さいうちの寺が参詣の方で一杯になった。(うちの永代経法要でもこんなに人は集まらない。・・うれしい悲鳴であった。)
 あいにくの雨模様のお天気だったので、「バスの到着場所からお寺まで(三分ほど)歩いて来てもらうのが申し訳ないなぁ。」と妻と話していたら、小雨となり、お日さんも出てきたので、ホッとした。(うちに、大きな駐車場があったらなぁ・・と、つくづく今日は思ったわ)
 又、うちはトイレも小さいので、まず今日は『かなん道の駅』に寄って頂き、トイレ休憩してからお出で頂いた。(トイレも、もうちょっと大きくしたいなぁ。・・希望ばっかりや)
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 さて、光念寺様ご一行が到着されてから、今日は(二階の床が抜けたらあかんので〔笑〕)一階ホールで、まずお勤めをして頂く。
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 そののち「紙芝居法話」を約40分。今日は「三尺三寸のお箸」と「共命鳥のはなし」の二本をさせて頂いた。
 毎回思うのだが、うちにお越し下さるお寺の住職さん(&檀家さん)は、本当に気さくな方ばかり、腰が低くお優しい方ばかりだ。
 それで、ご一緒の檀家さんとずっと仲良くされていて、ホンマ雰囲気が良い。
 それをいつも皆さんがお帰りになられた後、坊守(妻)と一緒に話題にして話し合っている。
 「あんな風に檀家さんたちと仲良く御付き合い出来るお寺が、一番良いお寺のスタイルなのだろう」と、今日もこんな話を妻とべちゃべちゃしていた。
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 今回も、皆さんをお送りしながら、「あんなお寺さんになりたいなぁ」と思い、お寺に帰ってそのことを妻に言ったら、妻に「お父さんも勉強やで、勉強。今日も良い勉強させてもろたなぁ。お父さんも頑張りや」と言われ、ほんまその通りやとも思ったのであった。合掌

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