住職のつぼやき[管理用]

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リハビリ病棟日記 4.15

リハビリ病院の中で、一番苦手なものはお風呂である。
なぜなら、下着を脱ぐ所から、湯船につかるまで.すべて看護師さんに見張られているからだ。

「僕は全部、ひとりで出来ますって!」と、言っても「規則ですから!」と.言われたら、仕方がない。
あぁ、お風呂は.一人1でゆっくり入りたいものだ。

リハビリ病棟日記 4.14

昨日、作業療法士の先生の指導により、病院の庭を自転車の練習をした。
スピードをあげたり、急ブレーキをかけたり、ジグザク運転をしたり、普通に運転出来た。
復帰の日は近い。
この2ヶ月間、外にほとんど出てなかったもんなぁ。

リハビリ病棟日記 4.13

病院の生活は、規則正しい。
毎日、朝6時に起床。消灯は午後10時。
でも.実際は、午後7時頃には寝る準備が始まり、朝は深夜にはもう目が覚める。
で、ベッドの中で、いろんな事を考える。
先日、天地がひっくり返ったような、めまいを経験した。
急いでナースコールをし、主治医に診てもらえば、ストレスからくるものらしかった。
へっちゃら、へっちゃら、と思っていたのに.精神的に弱い自分を、改めて発見した。

リハビリ病棟日記 4.11

毎日、病院のリハビリ室内で、お経の練習を大声でやっていると、ここは本当に病院なのか?と、不思議に思ってしまう。
でも.そんな余裕はない。
「頑張って!」と、連日、たくさんのお見舞いに来てくださる方々の為にも、頑張らないと!

リハビリ病棟日記 4.9

今、リハビリで、講演会の仮想練習をしています。
ここを退院したら、すぐに現場に戻る練習です。
もちろん、紙芝居の練習も、家から持ち運んでやっていますよ。
入院してても紙芝居...です。
リハビリとして、又、紙芝居もベッドの横で描いています。

リハビリ病棟日記 4.8

リハビリ病棟には、基本的な動作の改善をサポートする、理学療法(PT)。
退院後の生活環境に合わせて,自立度をあげるのを目的とする、作業療法(OT)。
そして、脳血管の後遺症から来る言語の治療を行う言語聴覚療法(ST)がある。
どれもマンツーマンで、専門の先生がついてくださり、
僕は今、理学療法以外の治療を行なっている。
そして今日は、この病棟の中でのOTの治療の一つとして、畳の病室で50分ほどお経をあげた。
これも日常生活の早く復帰するためと、大声で病院内であげた。
噛まずに全部読めたので、作業療法の先生も、「ありがたかったです」と言ってくださった。(笑)

それは、突然にやって来た...(その七)

こうして、いくつかの偶然が、...いや奇跡とあえて呼ぼう! が、重なって僕の命は助かった。
これは、主治医のドクターが言ってくれたのだが、「何かーつあかんかっても、あんたは寝むり姫のままや..いや、男やったな...はははっ」と、いう言葉が、印象に残っている。

そして、こののち.救急病院で18日間も入った0病院、さらに、現在も続いている転院したリハビリ病院での、悪戦苦闘の日々が続いているのだが、それは別のお話...。

三つどころか、十も二十も奇跡を、仏様から紡ぎ出して頂いた本願寺津村別院の職員様、本当にありがとうございました。
又、本当に今もよくやってくれているうちの家族ありがとう。

そして、急きょ、講演.読経等々を中止させていただき、ご迷惑をおかけしました関係各位の皆様、観念寺の檀家様、本当にすみませんでした。
合掌
おしまい

それは、突然にやって来た...(その六)

「宮本さん、宮本さん、宮本さ ん...、」
僕は何とうるさい人達やねんと、目を覚ましたら、そこには五人ほどの白衣。
「あーっ、良かった。手術は大成功ですよ。」と言ってくださった。

...何日か経って、主治医のドクターは「(担架で運ばれきたこの人は、お坊さんの患者やなぁ)と思っていたら、本願寺の職員さんが「この人は講演をしはる人なんで、声帯につながるところは特に気をつけて頼みます。」と言われたんや。
声帯は大丈夫やと思うでえ..。」と、言ってくださった。
これも考えてみたら、仏さまの奇跡なのかも知れない。
つづく

それは、突然にやって来た...(その五)

救急病院は、すぐ近くにO病院があって、直ぐに着いた。
MRlを撮り、「これは、すぐに手術したら大丈夫やで..」と、耳もとで喋っておられたドクター達の会話を、今でもよく覚えている。

しかし、一方、病院まで付き添ってくれていた本願寺職員さん達が「..駄目です。ご家族に連絡が取れません。」と言っておられた。
お寺は留守番電話で、妻は仕事に行っていたのだ。
つまり、家族2名の同意サインがないと、手術が出来ないのだ。

どうしようもなく、なくなった。

この時に、三つ目の仏さまの奇跡がおきる。
一昨年、僕と娘は、本願寺津村別院が主催した、和歌山県台風被害地ボランティアに参加した。その参加したものは各自の携帯電話を、本願寺津村別院が控えておくことになっていた。
職員さんが、その事を思い出されたのだ。
そして、職員さんは別院に連絡され、その名簿を探して下さり、僕の娘にすぐ電話を取ってくださった。
間よく、娘もその時に、バイトが休みだったそうで.電話をすぐ取る事ができた。
びっくりした娘は、おばあちゃん(母)と一緒に、病院までタクシーで直ぐ飛んで来てくれた。
間もなく、妻にも連絡もつき、そして、点滴で抑えてあった僕はすぐ手術。
こうして、手術は始まったのだ。
つづく

それは、突然にやって来た...(その四)

講演は、どうにか無事に終えた。
だが、控え室にかえって僕は戸惑った。
大嵐の船に乗っているかのように、身体が揺れているのだ。
「疲れているんだ。早く車を運転して帰ろう」と、なんとか荷物を直して、本願寺の職員さんに領収書を渡そうと、サインをしようとすると、文字が書けないのである。
それでも、どうにかサインして帰ろうとすると、今度は立てないのた。
それに気付いた、もう一人の本願寺の職員さん、「宮本さん、救急車呼びましょう!」と、言われた。
僕は、「そんな大層な」と思ったが、動くことができない。
しかし、この時の本願寺の職員さんの判断がなかったら、僕はここに居ず、今頃、お浄土にいるであろう。
原因は、高血圧による左脳の脳内出血であった。
この本願寺の職員さんの判断こそが、二つ目の、仏さまの奇跡なのであった。
なんせ、一分一秒を争うことだったのだから。
又、救急病院もすぐ近くにあったのだ。 つづく

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