昨日、東大阪市の『西法寺』様にお招き頂き、「紙芝居法話」をさせて頂いた。
こちらのお寺へは二回目なので、場所はすぐに思い出し、直ぐ近くまで到着できたのだが、今、お寺のすぐ横で[だんじり]を出しての[秋祭り]の練習が行われていた為、駐車スペースが無く、少々手間取ってしまった。
今は、どこも秋祭りの準備なのですね~。
まぁともかく、無事にお寺の中に入れて「紙芝居法話」が出来たことに、ほっとしている。
いろんな事があります・・が、いつも思うのだが、まず目的地の《お寺》まで、時間通りに着ければ、成功と思って動いています。
内容は二の次・・です。(笑) 合掌
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東大阪『西法寺』様[彼岸法要]への出講
観念寺『秋季彼岸法要』

おととい、観念寺にて、恒例の[秋季彼岸法要]を行った。
読経の際、今までなら、僕一人で発音しなければならなかったが、今は、娘夫婦が一緒に読経してくれるので、(大きな声を出さなくてよくなり)とても楽になった。
だんだんと、次の世代へとバトンタッチが出来れば良いと考えている。
さて、今回は同じ町内より、善秀寺様の御住職にお出で頂き、ご法話を頂戴した。
門徒一同、深く感動致しました。有難うございました。合掌
観念寺『ほろ酔い交流会』をやります!

来週(9月27日)の午後7時から、町の老人会と提携して、観念寺で[ほろ酔い交流会]を行います。
これは、今も行っている[寺カフェ]の男性バージョンです。(ただし、皆のリクエストで女性もokに成ってしまいました。・・まぁ、それもエエか⁉)
[寺カフェ]は、どうしても女性が多い為、その迫力に男性が負けてしまい、『ちょっと一杯お酒が入ったら、男性は心の中の本音を、言い合う事が出来る!』というお声から、始めることにしました。
「観念寺は、ついに貧乏で『居酒屋』を始めることにしよったで⁉」というお声が一部で上がる中(笑)、皆で楽しく語り合える場が出来ればと、今、(提灯などそろえて)楽しく準備中です。
よろしければ、覗いて見て下さい。合掌
豊中市:「正安寺」様の彼岸法要への出講

(正安寺さま[すぐ隣に同派の『常楽寺』様が建つ])
昨日、豊中市の刀根山にある浄土真宗本願寺派『正安寺』様にお招き頂き、『紙芝居法話』をさせて頂いてきた。
こちらは、とても大きな敷地の寺院で、境内に同派のお寺が二つもある。
それもそのはず存覚上人が建立し、その後、織田信長が反逆した武将『荒木村重』を討つために『刀根山城』をこの地に築いたからだそうだ。
(存覚上人建立碑)
その地で、紙芝居をさせて頂く緊張と感動を胸に、いつものお笑い法話をさせて頂いた。(笑)
(難波の赤ひげ医『園井東庵』公の墓[分骨碑])
この境内には、難波の赤ひげ医『園井東庵』の分骨墓があり、御住職にこの赤ひげ医のエピソードを聞かせていただくと、「これは是非、紙芝居化せねば!」と思った次第である。
・・なにわともあれ、ノリの良い正安寺の御門徒の皆様、御住職さま、坊守様、若院さま、その他大勢の皆様、大変お世話になり有難うございました。合掌
大阪市港区『唯称寺』様[定例法座]への出講
大型台風18号が、(反転して)急きょ日本列島を、南から北へ直撃する予測となった為、僕の予定も大いにくるうことになってしまった。(この日に向かうお寺への運転中も、何度もこの二・三日の予定変更連絡が入った)
が、昨日はまだ小雨の為、唯称寺様の『定例法座』への出講には支障はなかった。
がが、お聴聞の門徒様の人数は「台風の為、どうだろうかなぁ?」と心配した。
ががが、本堂にはご門徒の皆さまが、例年の如くご参拝下さって居て、大変嬉しく思った。
それで、いつもより張り切り過ぎて緊張し、反って舌が回らず、おたおたし、皆様には聞き取り難く御迷惑をお掛けしたのでは・・と、反省しきりだった。 すんませんでした・・、とほほほ。では、唯称寺の皆様、又来年。
来年は頑張ります。合掌
石川南組『門信徒講座』
拙寺(観念寺)は、浄土真宗本願寺派『大阪教区 石川南組』に所属している。
その石川南組で、毎年、まるまる一日を使って、門信徒さまにお念仏の素晴らしさ、有り難さを味わって頂こうと実施しているのが、『門信徒(もんしんと)講座』という。
その講座が、今年は、河南町の大ケ塚[顕証寺]さまで実施された。
そして今年は、私も(持ち回りの)主事(=行事進行係)の一人になったので、回って来たお役は、何でもやらせて頂こうと思っていたら、何と『講演者の一人(今年は全三人)をやって欲しい』と言われたので、力不足ではあるがご法話(紙芝居布教)をお引き受けさせていただいた。
なんせ、人数が多い。約80名。
緊張感の中、顔見知りの方が多い為、なんとかリラックスして、法話をお取次ぎさせて頂いた・・。まず、めでたしとしておこうか。(笑)
石川南組門信徒の皆様、長時間のご聴聞、お疲れさまでした。そして有難うございました。合掌
藤井寺市:真宗連合『見真会』への出前
紙芝居:「懺悔の聖者 覚鑁(かくばん)上人」(その7 最終回)

そして、「これ以上、お山を混乱させないようにしなければ・・。」と高野山を下りられるのです。
そして、紀州(和歌山県)の『根来(ねごろ)』という所に、移住されます。
・・が、ここでも、様々な争いは止みませんでした。
「大日如来様のような仏様みたいに、私は成りたい!」と思われた覚鑁上人は、果たして、この状況をどんな目で見られたのでしょうか?
そして根来の地で、覚鑁上人は、風邪をこじらせ、やがて49歳の若さでお亡くなりになります。
おそらく、肉体も精神も、ボロボロの状態になっていたのではないでしょうか⁉・・たとえ、悟りを開かれていたとしても。
(根来寺)
宗教界の風雲児、空海の再来、とまで言われた『興教大師 覚鑁』上人。
そのお墓は、現在も『根来寺』にあります。
おしまい
余話として~
当時、覚鑁上人の熱烈なファンであった《鳥羽天皇》が、覚鑁さまに『高野山に帰れー!お前は高野山に必要なんだぞー!・・かくばーん、カムバッーク!』と叫ぶのですが、
覚鑁さまは『夢の中は、夢もうつつも夢なれば、覚めなば夢も うつつとしれ。』という歌を一首だけ、お返しになり、高野山には戻りませんでした。
この歌の意味は、いろんな説があるのですが、私はこのように味わいました。・・間違っていたらすみません。
『悟りを開いたのちも、現実でやっちゃった事の、果報は受けねばならないのだ。・・私は今、その果報を受けている。これは、しかたがないのだ。』
紙芝居:「懺悔の聖者 覚鑁(かくばん)上人」(その6)

「何という事だ!お山にとって善いと思ってした事が、かえって高野山を二つに割ってしまった・・。仏様、お大師様、申し訳ありません・・。」と、覚鑁上人は反省を繰り返し、今度は『密厳院』というお堂に籠られ、千日間の[無言の行]に入られました。
そして、その行の最後に有名な『密厳院(みつごんいん)発露懺悔文(ほつろさんげもん)』を書かれるのです。
少しだけ中身を述べますと・・、
『我々は懺悔します。・・多くの罪を作っています。・・行動と、言葉と、心の働きは数えきれない程、良くない行いを犯しました。・・私はすべての人々に代わって、ことごとく懺悔します。』というような文が続きます。(お坊さんは一読有りです)
清らかな心の悟りを開き、高野山のトップに立ち、長年の夢であった、弘法大師のような最高指導者になったものの、良き指導者になることが出来なかった悲しさと、そして上人の心の純粋さが文面からにじみ出ています。
(根来寺 覚鑁上人の墓) つづく
『真宗木辺派 仏教婦人連合会』の団参

浄土真宗には、《真宗教団連合》があり、[10]派がある。
その一つが、滋賀県:野洲にある[錦織寺]様を本山とする木辺(きべ)派である。
本日、その[木辺派]の、[仏教婦人連合会]主催の団体研修バス旅行があり、うちのお寺にお出でくださった。
総勢63名、中型バス2台。・・うちの寺のキャパでは一杯いっぱいだ。(椅子が足らん、トイレも足らん・・(笑)ご迷惑をお掛けしました)
まぁ、それでも、ご参拝下さり有り難いことだった。
(僕の隣が、御門主さま・・です)
しかも、木辺派の《御門主様=一番偉い方》もお出で下さり、(知らんかった・・サインもろたら良かった!)焦りました。(到着されてからお聞きした。・・事前に聞いてれば、トイレをもう一つ作ったのに・・うそ。出来ましぇん)
それでも、まぁ、僕はエエかっこ出来ないので、いつものように、何も変わらん紙芝居法話をさせて頂きました。
・・でも、御門主様の前で、皆で「坊主が、屏風に、坊主の絵を描いた!」と大合唱したのは、まずかったかなぁ・・。(笑い)すんませんでした。合掌




