
昨日は『お寺の出前』と違って、夫婦で京都観光の日。
岩倉実相院にお参りに行き、紅葉も見て来ました。
今で、八分の紅葉だそうです。
北の京都は静かで良いですね。
お昼は、宝ヶ池のプリンスホテルで日本食を頂きました。
その後、市内に戻り、大政奉還150年記念の二条城を拝観。
二条城は広いですね。・・こちらも外国人観光客で一杯でした。
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京都観光の日
泉佐野市:「光明寺」様の報恩講

土曜・日曜の二日間、初めて泉佐野市の『光明寺』さま[報恩講法要]に、[紙芝居法話]をさせて頂いて来た。
いつもそうだが、初めての場所で紙芝居をさせて頂くことは大変緊張する。
でも、二日目は慣れもあって、リラックスモードでお話することができる。
おそらく、『こいつは、こんな奴やねんなぁ~。はははっ』と、ご門徒さんに思って頂けるからだと思う。
・・つまり僕への警戒感が取れるのかな。・・空気が一日目と二日目で違うねんなぁ。
こちら光明寺様も、そうでした。有難うございました。合掌
受けが良かったのか?・・又、来年もお招き頂くこととなった。
「お世辞抜きに、門徒さんが法話を聞いて、笑たり感心したりしているお顔を見るのはええもんですなぁ。・・こっちが、それ見て感動しますわ」と、御住職に言ってもらえた。
又、感動してもらうため、来年に向けた新しい[ネタ法話]を考えなぁ・・(笑)。
(初めて自撮りしました)
お寺の出前の方針変更
『お寺の出前紙芝居屋亭』の方針を変更した。
今までは、病院や老人ホームなどに呼んで頂き、出前ボランティアをさせて頂いて来た。
が、三年前に大病をして以来、まだまだ体調が万全ではなく・・、その日その日の体力を調整をしながら、出前を続けている現状だった。
お寺の仕事も、(自分一人では出来ないので)妻や娘に手伝ってもらいながら、自分は出前ボランティアに行くわがままを家族に言い、その後ろめたさを、なさけないと思いながら活動してきた。
悩んで、ここらあたりで方針を変更せねばと決心した。
これから、お寺の出前は[出前法話]という形で、(お寺など)宗教施設限定に行かせて頂こうと思う。
そして、病院や老人施設でどうしても、紙芝居法話を聞いてみたいとおっしゃる方は、『お寺で待つday』のコーナーを見て頂き、こちらのお寺に来て頂こうと思う。
現に、小型バスなどでお越しになっておられる団体もあるので、お金が掛かるだろうが、難しいことではないと思う。
申し訳ないが、このような方針変更を、苦肉の策として考えた。
こんな形で、『お寺の出前紙芝居屋亭』は生まれ変わりましたが、これからもよろしくお付き合い下さい。合掌
東大阪市:『清證寺』様の報恩講

昨日は東大阪市今米町にある『清證寺』様の報恩講法要。
この日はお昼と夜の[二座]の法座があり、半日、お寺で過ごさせて頂きました。
お昼の法座は『こども報恩講』。小学校低学年を中心とした法要です。紙芝居は『くもの糸』を中心とした解り易い作品を披露しました。
夜は大人の報恩講法座。
こちらは、大和川を付け替えた地元のヒーロー[中甚兵衛]さんが生まれた所で、甚兵衛さんの地縁血縁の濃い場所。
(今米町に建つ中甚兵衛の記念碑)
ということで、中甚兵衛さんの生涯を描いた紙芝居をさせていただました。
そして最後は、一昨年亡くなられたこちらのお寺の住職とのお約束だった『金子みすづ』さんの紙芝居と詩の朗読会をみんなでさせて頂きました。
これで、ほんの少し、お世話になったご住職への恩返しができたでしょうか・・?南無阿弥陀仏 合掌
和泉市:『西教寺』様の報恩講
今日は、和泉市の西教寺様への[紙芝居法話]。
初めてのご法縁でしたので、紙芝居「阿弥陀仏ものがたり」を中心にお話しさせて頂きました。
お寺のご家族の皆様、ご門徒の皆様にたいへん良くして頂きました。
ありがとうございました。合掌
大阪市城東区:栄照寺さまの[報恩講]
今日から三日間、報恩講紙芝居デイです。
三日続けて、違うお寺に『紙芝居法話』に行きます。
その第一日目が、大阪市城東区にある「栄照寺」様。
『報恩講』なので、親鸞聖人が主役の紙芝居「出家とその弟子」を中心にお話しさせていただきました。
皆さん、興味深く鑑賞してくださり、たいへん喜んで下さいました。
ありがとうございました。合掌
いつも、[紙芝居]の事を考えています
いつも、僕は『紙芝居』制作について考えています。
頭の中は、次回作の事(ストーリーやページ割りの配分、主人公の表情やセリフの事、色についての構成など)でいつもいっぱいなのです。
もっと時間があれば、しっかりとした紙芝居が作れるのにと思っていますが、その時間を創り出すのが難しい。
僕は、現役のお寺の住職なのです。
やる仕事が毎日あります。
檀家さん宅への月参りやら、年忌法要、お葬式、お寺の法要、お寺の事務、掃除、そしてお寺の来られる方の人生相談、さらに布教講演活動など・・。
ああ、住職を引退したいと思うこともあります。
そうすれば、紙芝居制作一本に時間が取れる!と、わがままに思ってしまうのですが・・、それはそれで生活するのがたいへんになってしまうので、やはり今みたいな生活配分がベストなのでしょうねぇ。
後、何年生きて、後、何本作れるか解りませんが、とにかく僕の人生観・世界観・宗教観を絵に込めて、次回作・次回作に全力を費やしたいと思っています。
・・でも、もちろん住職の仕事もきちんとしますよ。(笑)
11月の寺カフェ
今月も[寺カフェ]は盛況だった。
新しいお客さまも増え、コーヒーも売り切れた。
来月から、もっとコーヒー豆を多く買わねば・・。
本当にいつも準備から後片付けまで、ボランティアでお手伝い頂いている『観念寺仏教婦人会』の皆様、有難うございました。合掌
紙芝居:『にんじん』(その5 最終回)

ある日、いつものようにお母さんが
「にんじんっ、おつかいに行っておくれ!」と言った。
が、僕は初めてお母さんの顔をしっかり見て、
「嫌だよ。ママ」と答えた。
「・・なんですって!にんじん、あなた自分が何を言っているか解ってるの⁉」とお母さんは言った。
「解ってるよ。でも、僕は行かない。」と、僕はお母さんをじっと見つめて言った。
「・・・」
お母さんは初めて震えた。
そして、「お兄ちゃんっ、お姉ちゃんっ!ちょっと聞いて!・・にんじんが云う事を聞かないの⁉・・これはどういうこと⁉・・革命が起こったの⁉」と言って、この日を境に、お母さんは寝込んでしまった。
そしてその後、僕は初めて家族に手紙を書いた。
『お母さん、お兄ちゃん、お姉ちゃん、僕はこのまま家で生活をしていると、死にたくなってしまうので、遠くの学校に転校することにします。
そう、お父さんと相談して決めました。
そこは寮があるので、うちには帰って来ません。さようなら。休みの日には帰るかもしれません。にんじんより』と。
みんなは何も言わずに、その手紙を読んだ。
こうして、僕は少し寂しかったけれど、家族から離れた。
だけど、やがてたくさんの友達を作ることができたんだ。
そして、その後、もう死にたくなる事はなくなり、明るく暮らすことができたんだ。 おしまい
(紙芝居のおわりに少し・・)
何という、後味の悪い終わり方なのだ!
家族が離れて、ハッピーエンドだなんておかしい。
が、児童虐待の精神疾患⁉を持っているような母親とは、離れて暮らすことが(親子にとって)良策だったのだ⁉と思ってしまう。
この物語は、半自叙伝だという、原作者ジュール・ルナールの日記では、その後、父も母も(自殺?といわれているが)非業に亡くなってしまう。
現実も悲しい終わり方なのだ。
母親のこころに何がおこったのだろうか?わからない。
ところで(はじめに)のところで書いた、精神的虐待を実際に受けた友人に、この紙芝居を見てもらった。
『・・自分は親にいじめられて生活してきたが、親と離れて住んで、初めて親の身持ちが解ったような気もするのです。』と言った。
そして、『私を救ってくれたのは、この紙芝居の父親のような悩みの相談に載ってくれた多くの友人でした。』と付け加えてくれた。 終わり
紙芝居:『にんじん』(その4)

ある日、僕はお父さんと二人で釣りに出掛けた。
僕はお父さんに、ぼそっと言った。
「父さん、僕は本当にお母さんの子供なの?」
『うん、間違いない・・。お前はお母さんの子供だよ。』とお父さんは言った。
「じゃあ、なぜ?あんなに母さんは、僕をいじめるんだろ⁉」
『うん⁉・・母さんは一挙一動、お前を見ていると「自分自身の嫌な処を見ているようだ」と、言っていたことがある。・・自分が嫌なために、お前をいじめるのかもしれんなぁ・・?』と言った。
「でも、父さんっ。僕あんまり辛くて、この前、洗面器の水に顔をつけて死のうとしたんだよ。・・そしたら、母さんに見つかって、ひっぱたかれたんだ。」
『そうか、そんなことがあったのか・・。
でも、にんじんっ、どうか死なないでおくれ。お前に死なれたら、私はどんなに悲しむか・・。
私は母さんと仲が悪い。・・だから、あまり会話をしない。又、仕事が忙しくて留守がちだ。
でも、にんじん、お前の事は愛しているよ。
・・そうだっ!にんじん、お前、遠くの学校に転校してはどうだ!・・その学校は寮があって、そこでは、友達と一緒に生活できるんだ。もう、家族と住まなくても良いんだよ・・。』と言って僕を抱きしめた。
その時、僕は始めて、あたたかい父さんの血を感じた。
つづく



