(はじめに)
・・一つのことに、心が執(とら)われて、そこから離れない事を執着(しゅうちゃく)という。
昔々のお話。
二人の修行僧が旅をしておりました。
歳を取った兄弟子の僧侶は、若い弟弟子の僧侶にいつもこう言っていました。
「仏教の修行とは厳しいものじゃ。・・心が乱れるので、若い女性には触れてはいけないぞ。」と、いつも言っておりました。
「はい、わかりました。」と若い僧侶は、この兄弟子の言葉をしっかり守っておりました。
そんなある日。
或るところで、一人の若い娘がしゃがみ込んで泣いておりました。
「どうしたのかな?娘さん」と、兄弟子は尋ねました。
すると、
「あっ⁈はい、お坊様。・・いつもここは、川が出来ていないのです。・・が、昨日の大雨で、ここが川になってしまいました。
私は大事な用があって、急いで向こう岸まで行きたいのですが、どうしても怖くて行けません。・・どうしたものか⁈と思って、それで泣いていたのです。」と、娘は言いました。
「ああっ、そんなことで泣いていたのですか。」と、兄弟子は答えたと思うと・・。
ひょいっと、娘を[お姫さま抱っこ]をしたかと思うと、バシャバシャと川を渡ってしまいました。 つづく
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紙芝居:「執(とら)われざる者~二人の僧侶の話」(その1)
雪の金剛登山
愚かな目利き
檀家さん宅にて、仏壇にお参りさせて頂いた後、お茶を頂く事が多い。
今日もそうであった。
そのお茶の『湯飲み茶わん』が、金色に塗られて輝いていた。
見るからに高価な湯飲みである・・と思ったので、「これはどこでお求めになられたのですか?」と聞いた。
すると、そこの奥さんが笑いながら、「ガラクタ市で150円で買いました。高価に見えますやろ⁈」と言われた。
僕は「100万円です!」と言われるような予感がしていたので、ガクッときて笑ってしまった。
すると、大事にもっていた湯飲みを、つい雑に扱い出した。
「僕は愚かな目利きだ・・」と苦笑いしながら、色形ですべてを判断してはダメだなと、改めて思った。
平成30年 観念寺新年法要
反戦僧侶の紙芝居

昨年の暮れから、平和というものを考え、それを行動に移した僧侶の紙芝居制作に入っている。
『戦争は罪悪である』と、戦時下に世に訴えた、浄土真宗大谷派の僧『竹中彰元』師。(この方のご先祖様は、有名な戦国時代の秀吉公の軍師・竹中半兵衛公だ。)
それと、『戦争は集団殺人である』と訴えた、同じく浄土真宗大谷派の僧『植木徹誠』師である。(この方は芸能人の植木等さんの御父上と言った方が分かりやすい)
この二人の僧侶の生き様を紙芝居にしようと思って、今調べて、すでに下絵の段階にいるのだが、中々筆が進まない。
描きながら、『自分はどうなのだろうか?・・この方たちのような勇気はあるのか?』と絶えず、問われているような気がするからだ。
すでに、何冊か資料は読み、関連の映画も観に行った。
いや、実際、取材に行って、もうちょっと深く考えてから、制作に入るとしよう・・。
活躍している『地元紙芝居』たち!
河内長野観光ガイドボランティアの会員さんのお一人から、嬉しい年賀メールが届いた。
それは、私が作った『地元(偉人を含めた)紙芝居』を、その地元(の舞台)で演じて下さっている活躍を、写真集にした年賀メールであった。
楠木正成公、高向くろまろ公、夏目庄吉師、エトセトラ・・などを描いた紙芝居たちである。
僕の知らない所で、こんな立派に活躍してくれてるのかと思うと、嬉しくてワクワクして、その現場にいるような錯覚に陥った!
有難うございます、河内長野のガイドボランティアさん諸氏方!
これからのよろしくお願い致します。
又、こっそり、演じて居られる所を見に行かせてもらますからね・・。(笑)
紙芝居:『太子と雪丸』(その4 最終回)

ボクは、太子と共に生活できて、とても幸せだった。
・・でも、この世でのお別れの時が来た。
犬は人間よりも寿命が短いからね・・。
ある日、朝早く、ボクは太子の床の横で、ひっそりと命を終えた。
太子は起きたら、悲しむだろうなぁ・・。
だからボクは、太子の夢に出て、お別れの挨拶をすることにした。
雪丸「太子、今までありがとうございました。
・・ボクはとても幸せでした。
おそらく、太子のことだから、ボクが死んだら悲しんで、ボクのお墓を作ってくれると思います。
その時、最後のお願いがあります。
もし、お墓を作ってくださるなら、以前、[片岡山]で、太子の施された男の人のお墓近くに、ボクのお墓も作って頂けないでしょうか?
・・実は、こちらの世界に来て解ったのですが、あの男の人は[達磨(ダルマ)大師]の生まれ変わりだったんです。
太子にお会いしたくて、達磨ひふみん、いや大師はあの姿をされてたんですよ。
・・ボクもその近くで眠りたいのです。いや、そこから太子を見守りたいのです。」
太子「・・わかったよ、雪丸。
お前の望みをかなえてやろう。
私を癒してくれてありがとう!いつまでも私を、いや皆を墓から、いや、天空から(ドローンになって?)見守っておくれ・・さよなら、雪丸。」
こうして、聖徳太子の愛犬[雪丸]は、今も奈良県北葛城郡王寺町にある、達磨寺の境内にまつられているということだ、ワン。 おしまい
(達磨寺境内、一号墳・雪丸のお墓?と云われている)
少しのあとがきだワン!
達磨寺に行って感じたのは、本当に雪丸が犬であったのか?ということだ。
人間の言葉が理解でき、お経が読める白い犬・・、しかも太子よりも早く亡くなり、きちんと埋葬もされている。
考えてみたら、これって、聖徳太子の(異国から来た病弱で賢い)お付きの少年ではなかったのか?・・つまり織田信長でいえば、寵童・森蘭丸みたいな存在ではなかったのか?・・と思った。想像だが。・・あぁ、夢が無くなる想像だワン。
今、王寺町イメージキャラの雪丸のドローンが、毎日、王寺町の空を飛んでいるらしい。
来年は、一度、生雪丸ドローンを見て見たいと思っているワン。
(奈良県王寺町『達磨寺』さま)
紙芝居:『太子と雪丸』(その3)

太子「おおっ、そなた、身よりは無いのか?
この寒さで、着るものも無し。・・食べ物も無し。
そうじゃ、私の荷物に少しの食べ物があった。・・それにもし良ければ、私の着物を着てくれんか?」
と、太子は少しの食べ物と自分の着物を差し出して、その人に着せたんだ。
その男の人は、涙を流して太子の手を握り感謝した。
太子は「さぁ、良ければ、一緒に私の屋敷まで行かぬか?」
と誘ったけれど、男の人は頑として、そこを動かなかった。
次の日、太子とボクはあの男の人が気になって、もう一度、同じ場所に行ってみた。
すると、男の人はにっこり笑って、そこで亡くなっていた。
太子は家来に命じて、すぐ近くにお墓を作って、手厚く埋葬した。
かわいそうだったけれど、その男の人の最後は幸せだったかもしれない・・。
だって、太子というお優しい人に出会えたんだもんね。
ところで、なぜ、太子がそんなに優しい心を持つようになったのか?
それは、若い頃、中国のエライお坊さんに、ホトケの教えを習ったからなんだって・・。
あっ、そろそろ今日も、その仏の教えを勉強する時間だ。
大人になった今も、太子は勉強してるんだよ。
もちろん、ボクも一緒さ。
太子「さぁ、雪丸。一緒にお経の(※『勝鬘経(しょうまんきょう)』より)勉強をしようね。私についてお経を称えるんだよ。」
雪丸「ワン!」
太子「世尊よ・・。」
雪丸「ワオンよ・・。」
太子「今後、」
雪丸「コワンゴ・・、」
太子「私は病気で苦しむものを・・、」
雪丸「ワンたしは、びょうきで、くるしむものを・・、」
太子「見たなら、」
雪丸「見たなワン、」
太子「見捨てずにしません。」
雪丸「見捨てずにしまワン。」
太子「雪丸、上手だよ!」
雪丸「ワンワン、ワンダフル!」つづく










