住職のつぼやき[管理用]

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紙芝居:「金子みすゞと仏さま」(その5)

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 仙崎は、信仰の篤い町でした。
 町の中に、今でもたくさんのお寺があります。
 みすゞも子供の頃から、毎日、仏様に手を合わせていたそうです。
 又、自宅の二階が『歎異抄』という宗教書の勉強会場になっていて、みすゞもよく講義を聞いていたと伝わっています。
 みすゞに、次のような「お仏壇」を歌った詩があります。

 『お仏壇』(「金子みすゞ全集・Ⅱ」より)
「お背戸でもいだ橙も、
 町のみやげの花菓子も、
 仏さまのをあげなけりゃ、
 私たちにはとれないの。

 だけど、やさしい仏さま、
 じきに、みんなに下さるの。
 だから私はていねいに、
 両手かさねていただくの。
 
 家にゃお庭はないけれど、
 お仏壇にはいつだって、
 きれいな花が咲いてるの。
 それでうち中あかるいの。

 そしてやさしい仏さま、
 それも私にくださるの。
 だけどこぼれた花びらを、
 踏んだりしてはいけないの。

 朝と晩とにおばあさま、
 いつもお灯明あげるのよ。
 なかはすっかり黄金だから、
 御殿のように、かがやくの。

 朝と晩とに忘れずに、
 私もお礼をあげるのよ。
 そしてそのとき思うのよ。
 いちんち忘れていたことを。

 忘れていても、仏さま、
 いつもみていてくださるの。
 だから、私はそういうの、
「ありがと、ありがと、仏さま。」

 黄金の御殿のようだけど、
 これは、ちいさい御門なの。
 いつも私がいい子なら、
 いつか通ってゆけるのよ。

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(金子みすゞ家の墓所:「遍照寺」さま)
 又、みすゞはよくお寺にお参りに行っていたようです。
 このようなお寺の法要の詩が残っていますので、これもご紹介しましょう。
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 『報恩講(ほうおんこう)』(「金子みすゞ全集・Ⅱ」より)
「「お番」の晩は雪のころ、
 雪はなくても暗(あん)のころ、
 
 くらい夜道をお寺につけば、
 とても大きな蝋燭と、
 とても大きなお火鉢で、
 明るい、明るい、あたたかい。

 大人はしっとりお話で、
 子供は騒いじゃ叱られる。

 だけど、明るくにぎやかで、
 友だちゃみんなよっていて、
 なにかしないじゃいられない。

 更けてお家にかえっても、
 なにかうれしい、ねむれない。

 「お番」の晩は夜中でも、
 からころげたの音がする。

 つづく
 

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