このような大きな仕事を成し得た、中甚兵衛ですが、新大和川完成の次の年、67才で、突然、大阪は浄土真宗本願寺派『北御堂』(どうでもよい余談ですが、僕が今月の「花まつり」に紙芝居をしたお寺です。・・仮面ライダーも一緒でしたちなみに、昨年はアンパンマンも一緒でした。・・書かなかったら良かったか?)で、剃髪してしまいます。
そして〔庄屋〕の仕事はすべて息子に任せ、自分が亡くなる92才まで自宅に引き籠ってしまいます。
おそらくそれは「自分のするべき仕事はすべて終った。」と思ったからかもしれません。
・・が、あるいは、今も〔肖像画〕に残る頭にある傷跡に、その秘密があるのか?・・それは誰も解りません。(けっこう(新川筋の人たちに)怨まれてたような感じもするからなぁ・・)
さて、新大和川の生みの親、中甚兵衛が亡くなって約300年。
今も、南大阪を東西に横切り、流れ続ける(全長68キロメートルの)大河〔大和川〕。
その川を、『中甚兵衛』像が、柏原市役所前の公園から、今もじっと見つめ続けています。
おしまい
参考文献: 中九兵衛氏著『甚兵衛と大和川 北から西へ改流・300年』、『ジュニア版 甚兵衛と大和川』、他