住職のつぼやき[管理用]

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紙芝居:「大阪の川の流れを変えた男 中甚兵衛ものがたり」(その2)

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中甚兵衛が子供の頃、大阪に大雨が降り続き、近くの川が氾濫し大きな洪水被害を出しました。
 お百姓さんたちは、「これやったら、何べん田んぼで作物こしらえても、大雨が降ったら、又あかんようになってまう・・」と嘆き、そこで、みんなの代表である〔庄屋〕さんへ相談に行く事にしたのでした。
 さて、それではここで、当時(江戸時代初期)の『大和川』の流れの地図を見てもらいまひょか。(あかん、ナレーションも大阪弁になっている〔笑い〕)
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 当時の大和川は、奈良から南大阪(現在の柏原市)に出て、(南から来る)石川と合流し、そこから北西に向かって、何本も流れを増やし、河内平野(現在の大阪市内)を通過し、大阪湾へと流れ出ていました。
 その余りの川の多さゆえ、大雨が降ると、たちまち川が氾濫してしまうのでした。
 その洪水被害を無くす根本的解決法は唯一つ。
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 ・・それは『大和川』の流れを変えてしまうことだったのです。
 そう、柏原の合流地点から〔北西〕への流れを止め、その流れを〔真西〕へと変えてしまうことでした。
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 庄屋A「・・そやなぁ、やっぱし、この川の流れを変えるしかないなぁ・・。」
 庄屋B「しかしやで、川の流れを変えてしまうなんて、そんな事、ほんまに出来るんかいな。」
 庄屋C「それは、どえらいこっちゃで、しかし・・。そんな大仕事は、やっぱし、キイ坊(西川きよしの事。説明入らんかったでしかし。)・・いやいや、幕府の偉いさんに頼まな出来んで、しかし。」
 と、お百姓さんから相談を受けた村々の〔庄屋〕さんたちは、何度も集まり相談したんやで、しかし。
 そして、(庄屋全員)「よっしゃ、それやったら、いっぺん皆の代表を決めて、江戸の幕府のお役人様まで、頼みに行ってみよやないかいっ!」ということに決まったのでした。 つづく

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