住職のつぼやき[管理用]

記事一覧

※画像をクリックすると拡大されます。

紙芝居:「大阪の川の流れを変えた男 中甚兵衛ものがたり」(その6)

・・そろそろ、この『紙芝居』も終りに近づいている。
 ここで少し、余談を述べたい。
 大阪の人間に「大和川って知ってる?」と聞くと、たいていの人は「ああっ知ってるよ。あの汚くて有名な川やろ」と答える。
 しかし、甚兵衛達が作ったときは、周りが田畑でたいへんキレイな川だったそうだ。
 これはそんな昔の話ではないようだ。なぜなら、うちの檀家のあるお爺ちゃんに聞くと「昔、あの川で泳いでいたよ。魚も一杯おったしなぁ」と答えてくれたからだ。
 これは、下水道を作らずに川の近くにたくさんの人が住むようになった為、生活排水がそのまま流れ込み、急激に汚れたからなのだそうだ。
ファイル 1085-2.jpg(現在の大和川)
 ・・残念な話ではあるが、しかし、現在「大和川クリーンキャンペーン」が市民の間で盛んに行われ、大和川はキレイに成ってきている。最近、魚が増えたとの新聞記事も目にした。
 せっかく、甚兵衛たちが苦労して作った川なので、我々は、川を汚さず、未来に向けて大切に守ってゆきたい。・・でないと、先人たちに申し訳ない。
ファイル 1085-3.jpg(大和川:浅香山(堺港近く)付近)
 もう一つ、余談。
 先日、知り合いの方からこのようなお話を伺った。
 「私がある堺地区の(大和川の新川筋になった場所)昔から住む方に、『中甚兵衛さんって知ってる?』と聞くと、その人は『あんな悪い奴はおらんで』と答えられました。」と、そのお方から聞いた。
・・甚兵衛さん達が行った『大和川の付け替え』で、先祖代々住む土地から立ち退かざるを得なくなり、大変迷惑を被った人たちの御子孫が、現在も居られる事を、我々は忘れてはいけないと思う。・・が、立ち退きに合った人は、その同じ分だけの別の土地を、幕府からもらったそうなのだが。新天地でゼロから暮らした人の苦労は計り知れないものがあったのだろう。
 以上、余談おわり。
ファイル 1085-1.jpg
 七ヶ月半に渡る『大和川』付け替え工事は無事に終り、新しい大和川はついに完成しました。
 そう、大和川は生まれ変わったのです。
 これによって、河内平野の様子は大きく変わりました。
 元の川筋の人達は、もう洪水の恐怖から解放され、お米や作物を安定して収穫できるようになったのです。
 又、新しい川のお蔭で、潰された古い川の上は平地となり、『新田』が開発され、そこで、綿の木などが栽培され、これがのちに『河内木綿(かわちもめん)』へと発展し、大阪経済発展の基礎を作ってゆくことになるのです。
 つづく(次回、最終回)

上に戻る