住職のつぼやき[管理用]

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紙芝居:「狭山池の底の石棺」(その3)

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(重源)「ほぉ~、これが狭山池か。
 しかしひどいのぉ・・。堤がみな壊れとる。これじゃ、水は溜まらんわい。しかも、堤の底の樋管(ひかん)も腐ってる。・・これでは、水路が塞がり、堤の向こうまで水が流れんわい。
 堤は土を盛れば直せるが、水の〔取水口〕と〔放水口〕には、頑丈な〔石の管〕が必要じゃのう・・。
 しかし、今から岩石を切り出し、加工し、水路を作るのは、あまりにも日数が掛かる。
 何か良い考えはないものか・・・?
 おおっそうじゃ!」。
 重源和尚は、何か閃いたようです。
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 そして民衆を集めて、重源和尚は叫びました。
(重源)「皆の衆、ただちにこの『河内の国』に多く在るという〔古墳〕から、『石棺』をたくさん引っ張り出して来い!
 それを使って〔石の管〕を作るんじゃ!
 その〔石の管〕こそが、狭山池を生き返らせるに必要な物なんじゃ。」と。
 しかし、それを聞いて民衆は『ゲッ!』と、びっくりしました。
(村の長老)「・・しかし、重源さま、石棺ちゅうたら、昔の豪族、つまり王様の眠る棺おけでっしゃろ?!
 そんな事したら、罰が当たるんとちゃいますやろか?」と、村の長老が代表して言いました。
 すると重源和尚は、
(重源)「大丈夫!仏さんの『入れ物』がもう一遍、生きてるわし等の役に立つんや。仏さんもきっと喜ぶに違いない!」と言いました。
(民衆)「ゲッゲッ!・・それで、いつやるんですか?」
(重源)「今でしょ!」
(民衆)「ゲッゲッゲッ!のジェジェジェ!」 つづく
 

紙芝居:「狭山池の底の石棺」(その2)

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 それは、河内の国(今の大阪府東南部)に位置する『狭山池(さやまいけ)』という大きなため池の修復工事の依頼でした。
 この池の歴史は古く、遥か飛鳥時代には、すでに日本最初のダム式人工池として誕生していました。
 この池の豊富な水のおかげで、近隣の国々まで作物が豊かに実り、人々は餓えずに済んだのでした。
 ・・しかし、長年の風雪や自然災害によって堤(つつみ)は壊れ、今、『狭山池』は泥沼に変わってしまっていたのでした。
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 《以下、(独断と偏見にて)オール河内弁で・・》
(農夫)「あっちゃー、こりゃあかんわ!食い物にならんっ。やっぱし、狭山池の水が無かったら作物は育たんわぃ・・。しかし、このままやったらワシ等はみんな、来年あたり飢え死にしてしまうなぁ・・。早う、何とかせんとなぁ・・。」

(農婦)「でもあんた、わて等には、どうする事もできまへんで。とてもあの崩れた堤は直せまへんよ・・・。あっ、そやぁ!確か、奈良のお寺に〔重源(ちょうげん)〕っちゅう、どえらいお坊さんが居って、この方は壊れた橋や港など、何でも直して下さるって聞いたことありまっせ。
 一遍みんなで、お願いに伺ったらどないでっしゃろか!?」。

 こうして村の代表が決まり、〔重源和尚〕のお寺に向かうことになりました。
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(村の代表)「ほんま、お願いしますわ。重源さま!どうか、わて等の願いを聞いてください。
 泥沼になった『狭山池』をどうか、生き返らして下さい!
 あの〔ため池〕が無かったら、わし等は来年には皆、飢え死にしてしまうんですわ。」
(重源)「・・ふむふむ、解った。
 お前達の真剣な願い、この重源、確かに聞かせてもろたで。・・しかし、一遍、その〔ため池〕を見に行かな、どんな状態になってるのか解らんなぁ・・。
 よしっ、行こう!狭山池に!!」と言って、重源和尚はお供をつれて、河内の国へと向かうことにしたのでした。 つづく

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