今年の[報恩講法要]が、無事に終わりました。
お昼時の法座にも関わらず、たくさんのご門徒さんの御参詣でした。
お天気にも恵まれたし・・良かったよかった。
有難うございました。合掌
[管理用]
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紙芝居『修験者 役小角!』制作中
(制作中の紙芝居)
今年の[観念寺門徒バス旅行]は、奈良県の『吉野』へ行く。
そして、浄土真宗名僧のお寺や、金峯山寺の[金剛蔵王権現]特別ご開帳を拝観させて頂く。
そこで、今、バスの中で演じる『紙芝居』を作っている。
吉野といえば、やっぱり《役小角(えんのおづぬ)》であろう・・。
と、『修験者 役小角!』と題して、役の行者の一生を簡単に作っている。
そして『なぜ、金剛蔵王権現なのか?・・なぜ、巨大なのか?・・なぜ、三体も居られるのか?』と、蔵王権現さまに紙芝居で登場してもらい、皆に興味を持ってもらおうと思っているのだ。
これを、バスの中で演じたい。
今から、皆さんの反応が楽しみだ。
『報恩講』の為の大掃除
紙芝居:「妙好人 六連島のお軽さん」(その8:最終回)

(お寺の横に建つ『おかる同行の碑』。「でかっ⁉・・何かおかるさんに似合わないような気がした。」)
辛い事の多かった人生を振り返りながら、夫と妻が、お互いを仏法の師匠・大先輩《善知識》と呼び、拝み合う姿は美しいものです。
おかるさん、幸七さん、そして現道住職も・・、仏法で救われた喜びが(皮肉でなく)日記の中からほとばしっているようです。
(おかる・幸七のお墓・・こっちの方が好きやな、僕わ。)
こののち、おかるさんは、56歳でコレラに掛かって、安政三年にあっけなく亡くなられます。(本当にあっけないですが、これが人生で、本当の姿です。)
・・
それより少し前、おかるさんは西教寺を訪ねて、どういう気持ちか、住職に次のような歌を《一首》言い残しています。
『亡きあとに、かるをたずねる人あらば、弥陀の浄土にいた(行った)と答えよ』。
これが彼女の辞世の句となりました。
そう、この歌の如く、おかるさんは浄土に還られたのです。
おしまい
( ※今年の風雲急の芸能界に捧ぐ・・。)
紙芝居:「妙好人 六連島のお軽さん」(その7)

西教寺住職の現道師は、当時、日記を付けておられました。
その中で、おかるさんと幸七さんのお寺に来院した時の一日の様子を書いていらっしゃいます。
次の通りです。(注:拙僧現代語訳)
『ある日、幸七とおかるが連れだってお寺に参って来た。
住職である私と、三人で輪になって、茶飲み話をしていた時、何かのついでに、おかるが幸七をかえり見て、ニコニコ笑いながらこう言った。
(おかる)「この人が浮気をしなさった時は、いっそ死んでしまいたい程、私は悩みました。・・がしかし、思えばそれが御縁で、こうして尊いお慈悲に遇わせて頂けたのですから、この人が私にとっての尊い仏法の導き師匠である《善知識》です。」と言うと、幸七は恥ずかしそうに・・、
(幸七)「お前にそう言われると、何とも恥ずかしいことだが、しかし、私もこうしてお前の導きで、お念仏に遇わせてもらえたのだから、お前こそ、わしの師匠《善知識》じゃ。」と、言ったのだった。その二人の幸せそうなやりとりを聞いて、私はこう言った。
(現道住職)「おかるにせよ、幸七にせよ、こうして真剣に仏法を聞いてくれるお同行が居てくれればこそ、怠けがちな私も励まされて、お聖教を身を入れて読ませて頂ける。お前たち二人こそ、私のこよなき仏法の師匠《善知識》じゃ。」と私は言った。ちゃんちゃん。(ちゃんちゃんは書いてない。)』
と、日記に書かれています。
つづく(次回、最終回)
紙芝居:「妙好人 六連島のお軽さん」(その6)

多くの心労があったのでしょう。
おかるさんは、35歳で風邪をこじらせ、生死の境を彷徨うようになります。
が、彼女は布団の中でも「御院さん(=住職の事)、御院さん、仏さまのお話を聞かせてください。」と、住職に法話を求めるのでした。
そして等々、彼女の辛かった心に、阿弥陀様の慈悲がしみわたったのでした。
文字は一字も、読み書き出来ないおかるさんでしたが、ご住職のご家族から和歌(詩)を習い、自分の心境を歌にしたのです。
『聞いてみなんせ、まことの道を 無理なおしえじゃないわいな』byおかる

やがて、夫の幸七が浮気を清算させ、帰って来ました。(生まれ変わったおかるさんだから、夫を許して受け入れたんやろなぁ・・余談)
そして、元の実直な亭主に戻ったばかりか、おかるの勧めで、お寺で熱心に仏法を聴聞するようになったのでした。 つづく
(仲良く夫婦の名前が刻まれたおかるの夫婦墓・・お墓、探して見つけました)
紙芝居:「妙好人 六連島のお軽さん」(その5)

「幸七の(浮気のことは)おかるにとって、かえって良かったのだ」と、ご住職は言いました。
おかるさんは、怒って言い返しました。
「人がこんなに苦しんでいるのに、『良かった』とは何ごとですか⁉」
すると、ご住職は「おかるや。こんなことが無ければ、あんたは仏法を聞くような人でなかった。・・だから、良かったのだ。」と言われました。
おかるは、それを聞いて腹を立てて帰りました。
が、しかし、家に帰って一人で考えました。
そして、やがてご住職の言葉の深い意味に気づくのでした。
それからです。
おかるさんの熱心なお寺参りが始まるのは・・。
『きのう聞くのも 今日また聞くも ぜひに来いとの およびごえ』by(おかる)
西教寺はもちろん、北九州や下関に、立派なお坊さんが来られて、お説教が聴けると聞いたなら、嵐の日でも、一人舟をこいで聴聞に向かうのでした。
それは、どうしても仏法によって、自分の心の苦しみを解決したかったからです。
この時のおかるさんの心境を詠った詩です。
『(仏様のお救いの声を)こうも聞こえにゃ、聞かぬがましよ 聞かにゃ苦労はすまいもの
聞かにゃ苦労はすまいといえど、聞かにゃおちるし、聞きゃ苦労。』
この時、おかるさんは、35歳になっておりました。つづく
紙芝居:「妙好人 六連島のお軽さん」(その4)

余談ながら、六連島で道に迷った僕は、畑仕事をされていたご年配の方に「浄土真宗の西教寺(さいきょうじ)へは、どう行けば良いのですか?」と聞いた。
「その狭い道を曲がればすぐじゃ」と、その方は教えて下さった。
「こんな山の斜面に本当にあるのか?」と思いながら、その通りに行くと、すぐお寺に出た。
『あぁっ、ここか。おかるさんが通ったお寺は』と、ちょっと感動した。
西教寺ご住職は、北九州へ仕事の為、お留守とお聞きしていて、お電話で「お寺の戸は開いていますので、どうぞご自由に見学して下さい」と言われていたので、僕は中に入った。
そして、阿弥陀様にご挨拶した後、おかるさんの家から、本堂にそのまま持ってきたという囲炉裏のセット、[自在鉤(じざいかぎ)]を眺めた。
『わたしゃ、自在鉤 阿弥陀さま、こざる(=小猿という横木道具) 落しゃなさらぬ 火の中に』
これは、おかるさんが作った有名な歌の一つである。
文字が書けなかったおかるさんは、西教寺のご家族から歌を習い、その詩集は、お寺さんによって記録に残された。
この紙芝居に、これから登場するその詩も、それらのものである。
『あぁっおかるさん、あなたはこの本堂でご仏縁を頂き、救われたのですね・・』と、本堂の中から海を見ながら、僕はつぶやいた。・・以上余談。
西教寺についたおかるさんは、ご住職に自分の苦しい胸の内を打ち明けました。
すると、ご住職の[現道]師は、こう言いました。
「幸七のことは、おかるにとって、良かったのだよ」と。
おかるは「えぇっ!」と驚きました。つづく
紙芝居:「妙好人 六連島のお軽さん」(その3)

夫の幸七さんの帰りが次第に遅くなり、
・・やがて、二日、三日、何週間と帰って来なくなりました。
不思議に思ったおかるさん。
夫の仲間に聞いてみますが、誰も「知らぬ」の一点張り。
実は、夫に北九州で愛人が出来ていたのです。
夫の友人達は、それを知っていましたが・・、
「激しい気性のおかるに、もし知れたら大変!」だと、皆で隠していたのです。
・・しかし、ついにおかるさんに知れました。(今も昔も一緒でんなぁ。バレるものはばれる。あぁ~ゲスの極みか、ため息か。ワイドショーは永遠に・・)
勝気ではありましたが、純情そのもののおかるさん。
「裏切られた!!」と、足元から大地が崩れて、奈落の底へ引きずりこまれるような気がしました。
「夫が許せない!そして、愛人を殺してやりたい!」と、おかるさんの激しい気性に火がつき、嫉妬の日々が続きました。
しかし、一方では「でも、きっと夫は、私のもとに帰ってきてくれる!」とも思うのでした。
呪いながら、怨みきれず、尚、夫の愛を求めている女心。
そのジレンマに耐えきれず、とうとう、おかるさんは子供たちをつれて、「崖から飛び降りよう!」と思ったのでした。
しかし、子供たちに泣いて止められ、自殺を諦めます。
そして、とうとう「これから、私はいったいどうしたら良いの?」という気持ちが、おかるさんを(島に一つしかなかった)お寺へと向かわせるのでした。
つづく
紙芝居:「妙好人 六連島のお軽さん」(その2)

江戸時代後期に生まれたおかるさん。
少女時代から、おてんばで負けず嫌い。
いつもやんちゃな男の子とばかり、泥だらけになって遊んでいました。
そんなおかるさんを見て、六連島の若者たちは「男勝りなおかるの所へは、養子に行ってはならない」と言い合っていました。
そう、おかるさんは[一人娘]だったのです。
やがて、19歳になったおかるさん。
同じ島の幸七(こうしち)という、28歳の青年を養子に迎えました。
そして、やがて子供にも恵まれ、今やおかるさんは幸せの絶頂期でした。
夫の幸七さんは、毎日、おかるさんが作った取れたての野菜を持って、下関や北九州へ行商に出て行きます。
妻のおかるさんは、そんな夫を毎日、笑顔で見送りました。
が、しかし・・・。つづく




