「幸七の(浮気のことは)おかるにとって、かえって良かったのだ」と、ご住職は言いました。
おかるさんは、怒って言い返しました。
「人がこんなに苦しんでいるのに、『良かった』とは何ごとですか⁉」
すると、ご住職は「おかるや。こんなことが無ければ、あんたは仏法を聞くような人でなかった。・・だから、良かったのだ。」と言われました。
おかるは、それを聞いて腹を立てて帰りました。
が、しかし、家に帰って一人で考えました。
そして、やがてご住職の言葉の深い意味に気づくのでした。
それからです。
おかるさんの熱心なお寺参りが始まるのは・・。
『きのう聞くのも 今日また聞くも ぜひに来いとの およびごえ』by(おかる)
西教寺はもちろん、北九州や下関に、立派なお坊さんが来られて、お説教が聴けると聞いたなら、嵐の日でも、一人舟をこいで聴聞に向かうのでした。
それは、どうしても仏法によって、自分の心の苦しみを解決したかったからです。
この時のおかるさんの心境を詠った詩です。
『(仏様のお救いの声を)こうも聞こえにゃ、聞かぬがましよ 聞かにゃ苦労はすまいもの
聞かにゃ苦労はすまいといえど、聞かにゃおちるし、聞きゃ苦労。』
この時、おかるさんは、35歳になっておりました。つづく