住職のつぼやき[管理用]

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紙芝居の《絵》のヒント

「紙芝居の絵はいったい何を参考にして描かれるのですか?」という質問をよく受ける。
 その答えは《図鑑》であったり《漫画》であったり、色々あるのだが、一番多いのは《映画の一場面》の複写〔パクリ〕だ!
 僕は〔洋画〕も〔邦画〕も大好きで、月に1回は映画館に見に行っている。
 パンフレットも必ずといって良い程買っている。
 映画の一場面は、僕に強烈なインスピレーションを与える。
 ここから絵を考え出すのだ。
 たとえば、『極楽讃歌(仏教もの36)』という紙芝居の中で、金の亡者の主人公が心を入れ変える場面がある。これは《ショーシャンクの空に》という僕の大好きな映画の中から、主人公が見事に刑務所から脱獄成功した場面〔笑〕から複写した。(写真参考)
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 又、『二河白道物語(仏教もの12)』という紙芝居では、最後の場面で、〔極楽浄土〕に無事着いた主人公が阿弥陀仏に抱きしめられるという絵がある。これは《ミッション》というキリスト教宣教師の映画から複写した。(だってこれしか絵のイメージ浮かばなかったんやもん・・〔まるでパロディの様、でも真剣〕)
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 又、『アミダ仏物語(仏教もの18)』は、あの有名な《スターウォーズ》のプロローグからパクッた。
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(だって『仏説阿弥陀経』というお経を読んだ人はわかると思うけど、この絵しかイメージがわいてこなかったんやもん・・〔笑〕)
 まぁ、僕の《紙芝居》の絵って、だいたいこんなもんなんっす!〔笑って許して《仏さま》!〕

3K・・『あなた達はエライ!』

《3K》って何でしょう?
世間では、〔きつい〕・〔きびしい〕・〔きたない〕の頭文字を取って、こう呼んでいる様です。
・・いや、今は〔きゅうりょう(給料)安い〕も入って〔4K〕と呼ばれているのでしょうか?
そう、これは《やりたくない、嫌な仕事》を表す名称なのですね。
 老人ホームなどに『お寺の出前』に行って思うのですが、まさにここは《3K》、いや《4K》の職場だと感じるのです。
 僕は言いたい!『ここで働く若い介護職員さん達、あなた達はエライ!』と・・。
 ご老人の介護って本当に大変です。腰を痛めて、長期休暇を取らざるを得なくなった職員さんを何人も知っています。
 先日或る老人ホームで、夜の〔法話会〕が終わってから、一人の老人の車椅子を押し、お部屋まで同行し帰る途中、廊下に〔便〕が点々と落ちているのを見ました。
 僕はS字カーブをとりながら、この〔便〕を踏まないように進みました。・・そして、きっとこれも当直の職員さんが、見つけたらただ黙々とお掃除されるのだなと思いました。
 又、汗まみれになりながら、絶えず笑顔で〔入浴介助〕をされているお姿には、本当に頭が下がります。
 好きで選んだ道でしょうが、『自分さえ良かったらエエねん』という若者が多い中、《よくぞこの道を選ばれました!》と感動するばかりです。
 まぁ、〔言葉づかい〕など、気になる職員は居るにはいますが、それでもやっぱり思います。『あなた達はエライ!』と・・。
 最後にこれを読んでおられる若い介護職員さん(自称、若くても良い)に言いたい。疲れたり、辞めたくなったら、次のマザー・テレサの言葉を思い出してみて下さい。
『疲れた時には、少し休みなさい。そして、笑顔が戻ったら、又仕事を続けなさい。すべての愛は、笑顔から始まるのですから』という言葉を・・。

 
 

今年一年を振り返る~これも出前、たぶん出前、きっと出前~後編

前回のコラムの続き~
 今年の夏には『寺子屋教室〔命の授業〕』と題して、東大阪のお寺に〔小学生低学年〕相手に「紙芝居法話」に行ってきた。(写真参照)
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そこで「ゲームみたいに《命》はリセットでけへんねんぞー。大事にせえよー!」と叫んできた。
 子供といえば、夏休みに地元の〔学童保育〕にも呼んでいただき、ここでも小学生たちに《命の大切さ》のお話をしてきた。・・ついでに〔地獄の恐ろしさ〕の話もして震え上がらせてしもた。(これは失敗、失敗、ワハハハッ)
 秋には、毎年恒例の《紙芝居創作合宿》を自坊でやった。(写真)
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 深夜まで、取りとめもない話をべちゃべちゃと話し面白かったなぁ。そういえば、この合宿主催の〔ドクター南〕師の今年の《クリスマスパーティー》には、お寺の忘年会と日が重なって行けなかった・・。すんませんでした。
・・・その他、地域の老人会、グループホームなどなど、子供からお年寄りの集まりまで、色んなところへ行かせていただいた。
 ダメ押しは《往生極楽チャリティライブ》だった。(写真)
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今年もこれに出演することにより、ストレスで寿命が一年縮まった。(まるで『恐怖新聞』みたいなイベントや!ほんま「往生しまっせ!!」〔笑〕)
 まぁ、ざっと振り返ったらこんなとこか・・。
 でも本当に今年も色んな出会いがあり、計画が狂ってしんどかったけど、僕は幸せ者だと思います。
 幸せといえば、今年一番の《幸せ》はこのホームページが完成したことだ。ブログも書けて、少しずつだが『紙芝居』の紹介もできるようになった。うれしい限りである。今は好奇心もあり、2~3日に一回、『つぼやき』を更新しているが、ちょっとしんどくなってきたので、来年はもう少し間を取ってゆっくり書かせてもらおうと思っている。・・それでは皆様、良いお年を!来年もどうぞ『紙芝居屋亭』をよろしく、御ひいきに!合掌

今年一年を振り返る~これも出前、たぶん出前、きっと出前~前編

何度も書いてきたが、今年は『お寺の出前』を休むつもりでいた。(長年やってる月例法話会は別として・・)
・・が、これも有難いご縁というべきか、皆様方のご要望もあり、春に復活!『紙芝居屋亭』として再起動することとなった。
そして今振り返れば、今年は全61回の出前に行ったことになる。細かくいえば6日間に一回は〔紙芝居〕を持ってどこかに出張していたことになり、まぁ結論から大阪弁で丁寧に言うなら「いっこも休まれんかったやないけー!」ということになるだろう。・・まぁそれはいい。好きでやってることやから・・。しゃあない。
・・・ということで、ボヤキはそのへんにして、そんな今年一年をざっと振り返ってみる。
 まず、春に地元で《社会貢献支援員・交流会》という会合にゲストで呼んでいただいた。この会は簡単にいえば、〔民生委員のようなお仕事をされている方々の集まり〕で、大阪府社協がバックアップするお助けマンたちの集会とでもいうのだろうか・・?(ようわからん!) まぁそこで『福祉と宗教のタッグはどこまで可能か?』というようなテーマでべちゃべちゃしゃべって来た。
 又、少し前になるが神戸にも行った。(写真参照)
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ここはモダン寺といって大きくてハイカラなお寺だった。(本当は浄土真宗本願寺派〔神戸別院〕という)ここの土曜講座という一般の人向きに「紙芝居法話」をやってきた。
 お寺といえば、大阪の北御堂(〔津村別院〕という)にも《花まつり》のイベントで呼んでいただいた。《花まつり》というのは、〔仏教クリスマス〕みたいなもので、お釈迦様の誕生日をお祝いする日である。僕はここで《仮面ライダー電王ショー》の前座として、『お釈迦様のご一生』という紙芝居をした。本当は〔ライダーショー〕が終わってから、衣姿でライダーと握手する記念写真を撮ってもらおうと思ってたのだが、小雨が降り始めて断念仏・・いや断念することになってしまった。残念仏!いや、残念!(もうエエか・・)
 その他、浄土宗や融通念仏宗などの違う宗派にも呼んでいただいた。ご縁が広がり楽しい春の出前であったと思う。このコラム(後編)に続く・・。

失言(しつげん)~寄り添うだけで良い~

今回は僕の一つの『失言』について書かせてもらう。
場所は毎月〔講話クラブ〕という名で行かせていただいている特養老人ホーム『甍(いらか)』でのこと。
 その日はいつものように講話も終わり、皆が各部屋に帰られた後、一人の車椅子のご婦人が残られた。
 その女性は盲目だった。(といっても少しの光ぐらいは感じるそうだが・・)
 ご婦人はまず、僕の手を握って聴いてほしいとおっしゃった。手を握りながら、自分はなぜ視力を失ったのか。又、ご自分の両親についてお話された。そして、「自分は今だに視力を無くす原因を作った母親が許せない。あの世に往ってしまったのに許せない」と、続けられた。
 そのようなお話を聴かせていただき、つい僕はお慰めするつもりで「目は見えなくても、耳はしっかり聞こえておられるじゃないですか。今、耳は目の代わりをしっかりされているのではないですか」と、言ってしまった。
 これがあかんかった。
 ご婦人は急に手を離され、僕に向かって「そんな事はあなたが目が見えるから言えるんですよ!」と怒鳴られた。
 僕は思わず《その通りだ》と思った。僕は彼女の気持ちを受け取っていなかった。
 僧侶というのは、つい慰めや説教など、善い事を言わねばならないと無意識に、口が反応してしまう。
しかしこの場合、言葉などは要らなかった。ただ彼女に寄り添いお話を聴くだけで良かったのだ。
そんなことを思い深く反省した。
《百》の言葉より《一》の寄り添いながらの沈黙の方が、遥かに良い場合があるような気がする。
 今、僕はそのような事に気づかせてくださったこのご婦人に感謝している。
 講話クラブは僕にとって本当の修行〔聴聞〕の場なのである。

お葬式をしなかった後悔

 或る会に出前に行った時のこと・・。
そこでひとつの質問を受けた。それは『お葬式をしなかった後悔』についてのことで、今自分の心の整理をどうつけたら良いか、わからないという内容の質問であった。
 この年配の女性は昨年にご主人を亡くされたそうだ。
その時、ご主人の遺言もあり、ご遺体は死後すぐに大学病院に献体された。そしてその後ご遺体は家に帰ることなく、「葬式はしなくてよい」というこれも遺言のままに受け、そのまま火葬場に行きお骨となり、大きな京都のお寺に納骨されたそうだ。ゆえに家の中には何もおまつりするものはない。
 それから一年が経った今、ご主人を亡くしたという気持ちの整理がつかないらしい。
・・毎日の散歩の途中に一件のお寺があり、そこに入ってご供養を頼もうかと思うのだが、今さら遅いような気もして迷っておられるそうだ。又お骨を収めているお寺にも行きかねてるらしい・・。
僕は言った。「今からでも遅くないので、ご縁なんで、その近くのお寺に入って和尚さんにお経の一つでもあげてもらったらどうですか。それで何か変わるかそれはわからんけど、奥さんがそんなに気になるなら、今からでも遅くないじゃないですか。勇気を出してお寺に入って事情を説明してみては・・。又、親戚の人にも言って一緒にお勤めしてはどうですか?お骨の収まってるお寺でも良いから・・。気持ちの整理が少しつくのでは・・」と言った。・・・が、まだ迷っておられるようであった。
 その後、この女性はどうされたかはわからない。・・が、この質問によって僕は考えさせられた。そして思った。芸能人のようなド派手なお葬式はしなくて良いと思うが、やはり残った遺族の為にも《お葬式》という儀式は必要なのではないかと・・・。

悲しみを癒せるまでの期間 ~それは2年~

 先日、或る知人からこんな話を聴いた・・・。
「・・愛する家族を亡くし、人生のどん底に落ちたようで、毎日毎日泣いてばかりいた・・。何をしてても不意に涙があふれ、感情のコントロールができず、その人のことをちょっとでも思い出せば、ブラックホールに落ちてしまうようで、なるべく違うことを考えるようにして逃げていた。それで・・この気持ちはいったいいつになったら止むのだろうか・・と思い、同じ経験をした何人かの人に尋ねてみた。すると、たいていの人が『それは2年はかかるで、』と言った。・・でもそれは、2年でまったく悲しみの気持ちが止むのではない。何かの拍子に『あっ、今亡くなった○○のこと忘れてたわ!』という気持ちになるまでが2年かかるということなのだそうだ。だから完全に癒されるには、果てしない歳月がかかるのかもしれない。でもとりあえず、今はこの2年が過ぎる事だけを考えてる。」と、・・・こんな話を聴いた。
 今、その知人はこの2年が過ぎるのをじっと耐えて生きている。

癖(くせ)と口ぐせ

 昨日行かせてもらった『オルゴールの会』の代表からお聴きした「それって良いかもしれない!」と思ったお話を今日は述べたい。
 それは或る老人施設での事で、・・その老男性は認知症で部屋や廊下のあちこちで《オシッコ》をして、周りを困らせていたらしい。早い話が悪い〔癖〕を持っておられたのだ。職員がいくら注意をしても聞かなくて困っていたその時、職員の一人がピカッと閃いた。それは部屋や廊下の下に神社の鳥居の絵を書いてはどうかと・・。(そういえば昔、学校の壁などによく[ここにオシッコするな!]という字と一緒にこの鳥居の絵が描いてあったよね。・・覚えてますか?)
 そして早速実行・・。このおじいさん、この絵が書かれた後、ピタッと立ちションを部屋や廊下でしなくなったらしい。認知症でも子供の頃の記憶って消えないのだろうか?それはわからんけど・・。面白いよね。良いお話を聞かせていただいたと感動した。めでたし、めでたし・・。(ただこれは女性には通用するかなぁ?・・)
 ・・もうひとつ、これは先日或る老人ホームであった僕の体験談。
 苑内でその日の《お話会》が始まる前に、ひとりの入居者のおばあさんが「あ~っ忙し、あ~っ忙し・・」と言って会場に来られた。その方ひとりポツンと座って待っておられるが、皆なかなか揃われない。それで遂に我慢できずにポツリ、「この忙しいのにいつまで待たすのや。話もさっさと終わってや」と言われた。僕は「すんません。今日の仏さんの話、ちゃっちゃと(こんな事言って良いかはわからんが?)やって終わりますからもうちょっと待ってくださいね」と慰めた。が、やはり我慢できず立ち上がり、「もう忙しいねんから・・」と怒って部屋に帰られた。数分後、「もう忙しいわー」と言って又やって来られた。僕がそれで「もう用事終わりましたか?」言ったら無視して、又「もう忙しいねんから早くしてや」言って座られた。このような事が、会が始まるまで2~3回あった。
 後で職員さんが僕に、「何某さん、認知症がすすんでこられました。別に何も用事ないんですよ、あの方・・。気を悪くせんといて下さいね。あの人の〔口癖〕ですから・・」と言われた。
 きっとこの女性、若い頃忙しく働きすぎたのか・・。それはわからんが・・僕は改めて思った。〔人の口癖って一生直らないのだろうか・・?そして癖はどうなのか?〕と。
 僕も気をつけなあかんな、・・と思った出来事でした。

お葬式とラブホテル

特養『白寿苑』は、毎月僕が「法話会」で行かせてもらっている老人ホームです。
この苑では身寄りのない方や特別な事情のある方に限って、《お葬式》を施設関係者(ボランティアも含めて)で執り行っています。
そのようなお葬式は平均して年4~5回あり、僕はその都度、読経に呼ばれて参ります。(もちろんボランティアですので、仕事がある時は代わりに誰かに行ってもらいます。又宗派の違いもありますし・・)
 さて、今年もそのようなお葬式が何度かあったのですが、今回は昨年にあった、心に残るお葬式のお話をひとつ致しましょう。
まず、亡くなられた方は行年87歳の女性。この方は旦那さんと夫婦で入所されていたので、喪主はご主人がなさいました。
 式は近くの会館を借り、ご主人と職員2~3名、そして苑内のお友達数名で行いました。そのお通夜の後、僕はご主人から大変印象深いお話をお聴きしました。
それは亡くなられた奥さんの思い出話でした。
 奥さんは早くに《寝たきり》になられたので、何とかお風呂に入れてあげようと、旦那さんはリヤカーに車椅子を乗せて、それを自転車で引っ張り、毎月3回ほど30分以上かけ、入り口とお風呂に段差のないバリアフリーな《ラブホテル》を目指し、(探すのに一苦労?だったそうです。でも、不思議に昔からラブホテルってバリアフリーっぽい処が多かったそうです・・。ベットも大きくゆったり休めて・・、これ以上ここには書けんわ!)そこへ通われたそうです。
 想像してみて下さい・・、すごい光景だと思いませんか。ホテルで出逢った他のカップルはどう思われたでしょうか・・!?
まだ移動巡回入浴車がない頃のお話だそうです。が、やがて疲れ果て、役所に相談に行ったら、ここの施設を紹介されたということです。そんなお話を聴きました。
 旦那さんは一言、「さんざん嫁はんを泣かしてきたから、罪滅ぼしやったんやぁ~・・」と、ぽつり。
 先日、その後一人になった旦那さんのご様子を職員さんにお聞きしましたら、「案外落ちついておられますよ。やるだけやって最後まで奥さんの面倒みれたから、悔いがないのと違いますかねぇ・・、まぁ僕は独身やからよくわからんけど・・」と教えてもらいました。そんなもんなんかなぁ・・。

「私はだまされへんで!」

今日は、未だ忘れられぬ老人ホームでの『出前・思い出ばなし』をしたいと思います。
 その日は月一度の施設での『法話会』の日でした。
 僕は会の準備をしていましたら、奥のエレベーターの戸がスウッと開き、何やら《怒り心頭》の老婦人がお一人、こちらにやって来られました。
そして開口一番、「あんたが、ここに毎月来られるお坊さんですか?」と尋ねられるので、僕は「はい」と答えました。
すると、「ふーん、でも私はだまされまへんで!私はあんたなど知らん!」と憎々しげに言われるのです。
 その方と、顔見知りの僕は、「なんで、そんな事言わはるの?・・何かあったんですか?どうして怒ってはるの?」と聞くと、それに対しては知らん振りで、突然、「私の財布がない!」と叫ばれ、僕のカバンの中を探し始められました。
 その声にあわてて飛んで来られた職員さんは、「それは何某さんのカバンと違うでしょう。」と窘められたのですが、又「私はだまされへんで!」と言いながら、あちらに行ってしまわれました。職員さんは、僕に「最近、何某さんは特に認知症がひどくなられて・・すみませんでした」と言われました。
 結局、何が原因で怒っておられたかはわからず終い。・・・それでも、この日は最後まで『法話会』に参加され、最後は上機嫌でお部屋に帰って行かれました。
 僕は、この方の後ろ姿を見送りながら思いました。「・・誰かが言った、『年寄り笑うな行く道じゃ』と・・。もちろん、僕に笑う気持ちなどないが、この虚しさは寂しさは何なんだろうか・・」と。
 そう、きっと僕もこの道を行くのでしょう。
 そして言うでしょう・・。誰かが僕に「あんた昔、お寺の出前やってたそうやなぁ・・」と、そしたら僕はきっと叫ぶでしょう。「お寺が出前なんかできるわけないやろ!私はだまされへんで!」と・・・。
 今年も後、ひと月・・。又ひとつ年を取りますね。最近、年を取るのが少し怖くなってきている僕でありました。

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