住職のつぼやき[管理用]

記事一覧

※画像をクリックすると拡大されます。

失言(しつげん)~寄り添うだけで良い~

今回は僕の一つの『失言』について書かせてもらう。
場所は毎月〔講話クラブ〕という名で行かせていただいている特養老人ホーム『甍(いらか)』でのこと。
 その日はいつものように講話も終わり、皆が各部屋に帰られた後、一人の車椅子のご婦人が残られた。
 その女性は盲目だった。(といっても少しの光ぐらいは感じるそうだが・・)
 ご婦人はまず、僕の手を握って聴いてほしいとおっしゃった。手を握りながら、自分はなぜ視力を失ったのか。又、ご自分の両親についてお話された。そして、「自分は今だに視力を無くす原因を作った母親が許せない。あの世に往ってしまったのに許せない」と、続けられた。
 そのようなお話を聴かせていただき、つい僕はお慰めするつもりで「目は見えなくても、耳はしっかり聞こえておられるじゃないですか。今、耳は目の代わりをしっかりされているのではないですか」と、言ってしまった。
 これがあかんかった。
 ご婦人は急に手を離され、僕に向かって「そんな事はあなたが目が見えるから言えるんですよ!」と怒鳴られた。
 僕は思わず《その通りだ》と思った。僕は彼女の気持ちを受け取っていなかった。
 僧侶というのは、つい慰めや説教など、善い事を言わねばならないと無意識に、口が反応してしまう。
しかしこの場合、言葉などは要らなかった。ただ彼女に寄り添いお話を聴くだけで良かったのだ。
そんなことを思い深く反省した。
《百》の言葉より《一》の寄り添いながらの沈黙の方が、遥かに良い場合があるような気がする。
 今、僕はそのような事に気づかせてくださったこのご婦人に感謝している。
 講話クラブは僕にとって本当の修行〔聴聞〕の場なのである。

上に戻る