今回は僕の一つの『失言』について書かせてもらう。
場所は毎月〔講話クラブ〕という名で行かせていただいている特養老人ホーム『甍(いらか)』でのこと。
その日はいつものように講話も終わり、皆が各部屋に帰られた後、一人の車椅子のご婦人が残られた。
その女性は盲目だった。(といっても少しの光ぐらいは感じるそうだが・・)
ご婦人はまず、僕の手を握って聴いてほしいとおっしゃった。手を握りながら、自分はなぜ視力を失ったのか。又、ご自分の両親についてお話された。そして、「自分は今だに視力を無くす原因を作った母親が許せない。あの世に往ってしまったのに許せない」と、続けられた。
そのようなお話を聴かせていただき、つい僕はお慰めするつもりで「目は見えなくても、耳はしっかり聞こえておられるじゃないですか。今、耳は目の代わりをしっかりされているのではないですか」と、言ってしまった。
これがあかんかった。
ご婦人は急に手を離され、僕に向かって「そんな事はあなたが目が見えるから言えるんですよ!」と怒鳴られた。
僕は思わず《その通りだ》と思った。僕は彼女の気持ちを受け取っていなかった。
僧侶というのは、つい慰めや説教など、善い事を言わねばならないと無意識に、口が反応してしまう。
しかしこの場合、言葉などは要らなかった。ただ彼女に寄り添いお話を聴くだけで良かったのだ。
そんなことを思い深く反省した。
《百》の言葉より《一》の寄り添いながらの沈黙の方が、遥かに良い場合があるような気がする。
今、僕はそのような事に気づかせてくださったこのご婦人に感謝している。
講話クラブは僕にとって本当の修行〔聴聞〕の場なのである。
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失言(しつげん)~寄り添うだけで良い~
お葬式をしなかった後悔
或る会に出前に行った時のこと・・。
そこでひとつの質問を受けた。それは『お葬式をしなかった後悔』についてのことで、今自分の心の整理をどうつけたら良いか、わからないという内容の質問であった。
この年配の女性は昨年にご主人を亡くされたそうだ。
その時、ご主人の遺言もあり、ご遺体は死後すぐに大学病院に献体された。そしてその後ご遺体は家に帰ることなく、「葬式はしなくてよい」というこれも遺言のままに受け、そのまま火葬場に行きお骨となり、大きな京都のお寺に納骨されたそうだ。ゆえに家の中には何もおまつりするものはない。
それから一年が経った今、ご主人を亡くしたという気持ちの整理がつかないらしい。
・・毎日の散歩の途中に一件のお寺があり、そこに入ってご供養を頼もうかと思うのだが、今さら遅いような気もして迷っておられるそうだ。又お骨を収めているお寺にも行きかねてるらしい・・。
僕は言った。「今からでも遅くないので、ご縁なんで、その近くのお寺に入って和尚さんにお経の一つでもあげてもらったらどうですか。それで何か変わるかそれはわからんけど、奥さんがそんなに気になるなら、今からでも遅くないじゃないですか。勇気を出してお寺に入って事情を説明してみては・・。又、親戚の人にも言って一緒にお勤めしてはどうですか?お骨の収まってるお寺でも良いから・・。気持ちの整理が少しつくのでは・・」と言った。・・・が、まだ迷っておられるようであった。
その後、この女性はどうされたかはわからない。・・が、この質問によって僕は考えさせられた。そして思った。芸能人のようなド派手なお葬式はしなくて良いと思うが、やはり残った遺族の為にも《お葬式》という儀式は必要なのではないかと・・・。
悲しみを癒せるまでの期間 ~それは2年~
先日、或る知人からこんな話を聴いた・・・。
「・・愛する家族を亡くし、人生のどん底に落ちたようで、毎日毎日泣いてばかりいた・・。何をしてても不意に涙があふれ、感情のコントロールができず、その人のことをちょっとでも思い出せば、ブラックホールに落ちてしまうようで、なるべく違うことを考えるようにして逃げていた。それで・・この気持ちはいったいいつになったら止むのだろうか・・と思い、同じ経験をした何人かの人に尋ねてみた。すると、たいていの人が『それは2年はかかるで、』と言った。・・でもそれは、2年でまったく悲しみの気持ちが止むのではない。何かの拍子に『あっ、今亡くなった○○のこと忘れてたわ!』という気持ちになるまでが2年かかるということなのだそうだ。だから完全に癒されるには、果てしない歳月がかかるのかもしれない。でもとりあえず、今はこの2年が過ぎる事だけを考えてる。」と、・・・こんな話を聴いた。
今、その知人はこの2年が過ぎるのをじっと耐えて生きている。
癖(くせ)と口ぐせ
昨日行かせてもらった『オルゴールの会』の代表からお聴きした「それって良いかもしれない!」と思ったお話を今日は述べたい。
それは或る老人施設での事で、・・その老男性は認知症で部屋や廊下のあちこちで《オシッコ》をして、周りを困らせていたらしい。早い話が悪い〔癖〕を持っておられたのだ。職員がいくら注意をしても聞かなくて困っていたその時、職員の一人がピカッと閃いた。それは部屋や廊下の下に神社の鳥居の絵を書いてはどうかと・・。(そういえば昔、学校の壁などによく[ここにオシッコするな!]という字と一緒にこの鳥居の絵が描いてあったよね。・・覚えてますか?)
そして早速実行・・。このおじいさん、この絵が書かれた後、ピタッと立ちションを部屋や廊下でしなくなったらしい。認知症でも子供の頃の記憶って消えないのだろうか?それはわからんけど・・。面白いよね。良いお話を聞かせていただいたと感動した。めでたし、めでたし・・。(ただこれは女性には通用するかなぁ?・・)
・・もうひとつ、これは先日或る老人ホームであった僕の体験談。
苑内でその日の《お話会》が始まる前に、ひとりの入居者のおばあさんが「あ~っ忙し、あ~っ忙し・・」と言って会場に来られた。その方ひとりポツンと座って待っておられるが、皆なかなか揃われない。それで遂に我慢できずにポツリ、「この忙しいのにいつまで待たすのや。話もさっさと終わってや」と言われた。僕は「すんません。今日の仏さんの話、ちゃっちゃと(こんな事言って良いかはわからんが?)やって終わりますからもうちょっと待ってくださいね」と慰めた。が、やはり我慢できず立ち上がり、「もう忙しいねんから・・」と怒って部屋に帰られた。数分後、「もう忙しいわー」と言って又やって来られた。僕がそれで「もう用事終わりましたか?」言ったら無視して、又「もう忙しいねんから早くしてや」言って座られた。このような事が、会が始まるまで2~3回あった。
後で職員さんが僕に、「何某さん、認知症がすすんでこられました。別に何も用事ないんですよ、あの方・・。気を悪くせんといて下さいね。あの人の〔口癖〕ですから・・」と言われた。
きっとこの女性、若い頃忙しく働きすぎたのか・・。それはわからんが・・僕は改めて思った。〔人の口癖って一生直らないのだろうか・・?そして癖はどうなのか?〕と。
僕も気をつけなあかんな、・・と思った出来事でした。
お葬式とラブホテル
特養『白寿苑』は、毎月僕が「法話会」で行かせてもらっている老人ホームです。
この苑では身寄りのない方や特別な事情のある方に限って、《お葬式》を施設関係者(ボランティアも含めて)で執り行っています。
そのようなお葬式は平均して年4~5回あり、僕はその都度、読経に呼ばれて参ります。(もちろんボランティアですので、仕事がある時は代わりに誰かに行ってもらいます。又宗派の違いもありますし・・)
さて、今年もそのようなお葬式が何度かあったのですが、今回は昨年にあった、心に残るお葬式のお話をひとつ致しましょう。
まず、亡くなられた方は行年87歳の女性。この方は旦那さんと夫婦で入所されていたので、喪主はご主人がなさいました。
式は近くの会館を借り、ご主人と職員2~3名、そして苑内のお友達数名で行いました。そのお通夜の後、僕はご主人から大変印象深いお話をお聴きしました。
それは亡くなられた奥さんの思い出話でした。
奥さんは早くに《寝たきり》になられたので、何とかお風呂に入れてあげようと、旦那さんはリヤカーに車椅子を乗せて、それを自転車で引っ張り、毎月3回ほど30分以上かけ、入り口とお風呂に段差のないバリアフリーな《ラブホテル》を目指し、(探すのに一苦労?だったそうです。でも、不思議に昔からラブホテルってバリアフリーっぽい処が多かったそうです・・。ベットも大きくゆったり休めて・・、これ以上ここには書けんわ!)そこへ通われたそうです。
想像してみて下さい・・、すごい光景だと思いませんか。ホテルで出逢った他のカップルはどう思われたでしょうか・・!?
まだ移動巡回入浴車がない頃のお話だそうです。が、やがて疲れ果て、役所に相談に行ったら、ここの施設を紹介されたということです。そんなお話を聴きました。
旦那さんは一言、「さんざん嫁はんを泣かしてきたから、罪滅ぼしやったんやぁ~・・」と、ぽつり。
先日、その後一人になった旦那さんのご様子を職員さんにお聞きしましたら、「案外落ちついておられますよ。やるだけやって最後まで奥さんの面倒みれたから、悔いがないのと違いますかねぇ・・、まぁ僕は独身やからよくわからんけど・・」と教えてもらいました。そんなもんなんかなぁ・・。
「私はだまされへんで!」
今日は、未だ忘れられぬ老人ホームでの『出前・思い出ばなし』をしたいと思います。
その日は月一度の施設での『法話会』の日でした。
僕は会の準備をしていましたら、奥のエレベーターの戸がスウッと開き、何やら《怒り心頭》の老婦人がお一人、こちらにやって来られました。
そして開口一番、「あんたが、ここに毎月来られるお坊さんですか?」と尋ねられるので、僕は「はい」と答えました。
すると、「ふーん、でも私はだまされまへんで!私はあんたなど知らん!」と憎々しげに言われるのです。
その方と、顔見知りの僕は、「なんで、そんな事言わはるの?・・何かあったんですか?どうして怒ってはるの?」と聞くと、それに対しては知らん振りで、突然、「私の財布がない!」と叫ばれ、僕のカバンの中を探し始められました。
その声にあわてて飛んで来られた職員さんは、「それは何某さんのカバンと違うでしょう。」と窘められたのですが、又「私はだまされへんで!」と言いながら、あちらに行ってしまわれました。職員さんは、僕に「最近、何某さんは特に認知症がひどくなられて・・すみませんでした」と言われました。
結局、何が原因で怒っておられたかはわからず終い。・・・それでも、この日は最後まで『法話会』に参加され、最後は上機嫌でお部屋に帰って行かれました。
僕は、この方の後ろ姿を見送りながら思いました。「・・誰かが言った、『年寄り笑うな行く道じゃ』と・・。もちろん、僕に笑う気持ちなどないが、この虚しさは寂しさは何なんだろうか・・」と。
そう、きっと僕もこの道を行くのでしょう。
そして言うでしょう・・。誰かが僕に「あんた昔、お寺の出前やってたそうやなぁ・・」と、そしたら僕はきっと叫ぶでしょう。「お寺が出前なんかできるわけないやろ!私はだまされへんで!」と・・・。
今年も後、ひと月・・。又ひとつ年を取りますね。最近、年を取るのが少し怖くなってきている僕でありました。
その相づちがワタシを救う
今日は『相づち力(りょく)』のお話をしたいと思います。
・・これは老人ホームでの体験談です。
老人ホームなどへの出前先で、紙芝居を使った『法話会』を行う前はたいてい緊張モードに入っています。「今日はうまく話が通じるだろうか・・」などと考えている訳なのです。
・・で、毎回の『出前法話会』は、まず雰囲気作りから始めます。その場が柔らかい空気になると、自然とうまく本題の「紙芝居」に移っていけるからです。
さぁ、法話会が始まります。空気が張り詰めます。みんな緊張です。
そんな時、この雰囲気を一瞬にして和やかにしてくれるのが、聴いて下さっている方々の『相づち』力(りょく)です。
たとえば、こんなことがありました。・・・「実はお釈迦様ってインド人だったのですよ。」と僕が言うと、間髪おかず、「なんとっ、そうやったんか!驚き桃の木山椒の木!」などと、インド人もびっくり!(かなり古いギャグ・・)のようなお顔とお声で、相づちを打って場を和ませ、笑いを振りまいて下さいます。 場の空気は一瞬にして、僕もみんなもリラックスモードに変わり、話がしやすく、又聴き易くなります。
そんな時、僕は《お客様は神様です!》。もとい、《聴衆様は仏様です!》と本当に思ってしまいます。
このような方々が居て下さるからこそ、僕はうまくノセラレテ、会がスムーズに進行するのだと思います。ありがたい話です。
そう、これを読まれたそこのあなた!あなたの所へ出前に行かせてもらった時は、あなたのその「相づち」と「うなづき」が、おびえる子羊のようなおっさんのこの僕を救うのです。
・・「相づちは、忘れず実行、良い聴衆!」を合い言葉に、出前に呼んで下さる皆さん、末長いお付き合いをよろしくお願い申し上げます。
・・・何を言ってるのか、自分でもよくわからんようになってきましたので、このへんでやめます。
『紙芝居屋亭』からの「小さな相づち運動」のお願いでした。
・・おそまつっ!
命がけの法話会
「私はここへ来るのも命がけなんです・・」とNさんは僕に言われた。
こことは『特別養護老人ホーム白寿苑』での法話会の場である。・・Nさんは、その法話会に最初から来てくださっていた女性であった。一昨年、行年96歳でお亡くなりになられた。
法話会を始めたのが平成8年からであるから、87歳からおよそ10年間のお付き合いであった。
最初にお会いした時は、まだまだお元気で、僕によく色々な若い頃のお話をしてくださった。・・が、亡くなられる2年ほど前からお身体も弱り、足の指も悪くなって一本切断された。腕の力も無くなって、車椅子も最後は自分では動かせなくなっておられた。
Nさんは、ベットから車椅子に移動する時、「新米の寮母さんでは非常に心もとない」とよく言っておられた。それはいつずり落ちるか分からない怖さがあったからだそうだ。床に落ちると骨折するかもしれない。骨折すると、ここを出て病院に入院しなくてはならない。その入院が長期になると施設内での《籍》が無くなる。そうなると、もうここへは帰って来れない。ここが終の棲家にはならないのだ。
「病院よりはココが良い」と皆さんよく言われる。
Nさんもそう言われた。「・・だからあまり動かないようにしていますが、法話会には行きたいのです」とおっしゃてくださっていた。つまり《命がけ》で来てくださっていたのだ。
その命がけで来てくださっていた方に対して、はたして僕は《命がけ》でお話していたのだろうか・・。そんな思いが今も僕の頭をよぎる。『なんでも継続することが一番大切なのだ・・』と言って何も工夫せず、そこに甘えていい加減な話ばかりになっていたのではなかったか・・。このような想いが今も白寿苑に来る度に、Nさんのおられた部屋を横切る度に、頭をよぎるのだ・・。
「ここへ来るのも命がけなんです」とは、『一期一会の気持ちを大切に仏法を伝えなさい・・』と、僕に今も教え続けてくださっているような、そんなNさんの言葉であったと思う。
『坊主が屏風に・・・』の話 その2 《宗派を選ぶ権利》
今回は、僕が毎月「法話会」で行っている老人ホームで聞かせていただいたお話をしたい。
その日、僕はいつものように会を終え、後片付けをしていると、いつまでも部屋にお戻りにならずに、『絵像屏風(別名「坊主が屏風に坊主の・・」もう、ええか?)』をずっと見ておられる車椅子の男性がおられた。きっと何かお話があるのだろうと、お声を掛けさせていただくと、この男性は次のようなお話をされた。
「この屏風に描かれたお坊様達(「最澄様」「栄西様」「道元様」など)は、昔の人だけど、それぞれにやはり我々と同じように悩みを抱いて、それぞれが独自の方法を見つけて『苦』の解決をされたのですよね・・。この宗祖たちも、やはり最後は死んでいったけれど、何かを残してくれたから、今でも崇められているのでしょう。それを私は知りたい。それぞれの『苦』の解決方法を知りたいのです。その中から、自分にあったものを見つけたいのです。それを自分の《死への準備》にしたい。そんな一人ひとりの宗祖の紙芝居を描いて下さい。そして、それを分かり易く教え伝えて下さい・・。
お釈迦様が亡くなった後、このお坊様達は世に出られた。今、あなたもこの方達と同じ衣(ころも)を着けているのだから、お釈迦様の教えを受け継がれたこの方達と、同じ立場にいるのではないですか?この宗祖の方々のお話しを伝えて下さるということは、宗祖方と同じことをするのではないでしょうか?是非お願いします」と・・。
そう、お話されて帰られた。
この言葉は堪えた。この時から、僕は色々なお坊さんの紙芝居を描こうと思ったのだ。それがこの《出前メニュー》にある《僧侶もの》シリーズの「紙芝居」だ。(これらの作品はこのHPで追々紹介していきたいと思っている。)しかしまだ描いていない宗教者はたくさん居られるので、少しでもこの男性の期待に応える様にこれからも、まだまだ作っていきたいと思っている。この男性の「自分にあった宗教・宗派はこれです!」という声を聞くまでは・・・。
『坊主が屏風に坊主の絵を書いた屏風』の話 その1
出前に行かせていただく老人ホームや病院など、多くの場合『仏間(ぶつま)《仏壇のあるお部屋》』がない。
ゆえに、施設苑内で「法話会」を開き、お話をさせていただく場は、たいてい食堂や多目的ホールになる。
・・である為、『お寺の出前』と言いながら、なかなかお寺の雰囲気が出せない。(僧侶の着物姿でお話はするのだが・・)
それで・・、「それはそれで仕方がない」と思っていた或る日、施設内で仲良くなった一人のお年寄りの女性から、ホールで法話会が終わった後、「ホンマにここに来て、お話を聞かせてもろたら、お寺の居るような感じがします」と言われた。もちろん、それは僕へのリップサービスであろう。・・とわかってはいるけど嬉しかった。そして、「この場をもっとお寺らしい雰囲気にしたい・・。その為には御本尊となる仏像を置きたいな」と思った。
が・・、施設に仏像を持って来るのはご法度だった。それは「他の新興宗教の入所者の方からクレームがつく」と職員さんから言われたからだ。
それで考え作り出したのが、《写真》の屏風である。これは『絵像屏風』と言い、別名『坊主(僕)が屏風に坊主の絵を書いた屏風』という(笑)。ちなみに「じょうずに」は入っていないからあしからず。さて、この屏風は折りたたみ式で広げれば畳三畳ぐらいの大きさがある。真ん中がご本尊の《仏様》で、手から鈴付きの五色の紐が伸びるようになっている。これは、寝たきりの方の所へ持って行った時、「今、仏様とつながっていますよ」と言いながら、この紐を握ってもらいお話する為の装置である。・・そして《ご本尊》の回りには平安・鎌倉時代の宗派を作られた祖師方「親鸞様」「法然様」「日蓮様」「空海様」方などを、だいたい?オールスターキャストで似顔絵を描かせていただいた。そして、この屏風を『出前』の本尊とし、現在も講演には必ずこれを持って行き、日夜《お寺もどき》の雰囲気作りに励んでいるのである。ちなみに、これを見た新興宗教の方々からの苦情は未だない・・。めでたし、めでたし。

