住職のつぼやき[管理用]

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紙芝居:「妙好人 物種吉兵衛さん」(その8:最終回)

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 晩年の吉兵衛さん。
・・求道の為に、先祖代々からの田畑財産を売ってしまったがゆえに、貧乏でした。
 それで、魚の行商をして暮らしを立てていたそうです。
 やがて、吉兵衛さんの妻[のぶ]は、或る日[中風]になり、バッタリ倒れてしまいます。
 寝たきりになった妻を、吉兵衛さんは村人たちが感心するほど、よく看病しました。
 それは苦労をかけた妻への感謝の気持ちがあったのでしょう。
 妻は、最後に吉兵衛さんの信心に深く感化され、感謝しながら亡くなったそうです。
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 年を取り、一人ぼっちになった吉兵衛さん。
 悩みを聞いてもらったり、助けてもらったご門徒たちが、今度は吉兵衛さんのために、みんなでお金を出し合って、一軒の《説教所=居宅》を建てました。
 これが、『要聞庵(ようもんあん)』です。
 晩年、吉兵衛さんはこの『要聞庵』で、七十七才で往生されるまで過ごされました。
 
・・それでは最後に、集まって来られたご門徒たちに、語った味わいのある言葉を二・三あげて、紙芝居を終わるとしましょう。

 「仏法を聴聞するについては、二通りある。
 一つ目は、仏法を聞けば、自分がだんだん良くなっていくという事。 
 二つ目は、(仏法を)聞けば聞くほど、『自分には値打ちがない』と知れて来る事。
 ・・(一つ目の)聴聞してな、自分が良くなるのではないんや。
 聞けば聞くほど、自分に値打ちがないと、知れてくる。これが、仏法の聞きようや。」

 「あるひとが、あんたのようになったら、もう腹なんか立たんやろうと言うた。
 わしは言うた。何、言うてるんや。腹立たんでかい、凡夫やもの。さりながら、根っこを(仏さんに)切ってもろてるから、実はならんのや。」

 「迷う道は広いが、助かる道は、(南無阿弥陀仏)ただ一筋や。」と、お念仏を絶えず、称え続けた吉兵衛さん。
 
 今、お墓は生まれた場所のすぐ近所の[浄土真宗本願寺派 元立寺]様の境内にあります。 おわり

紙芝居:「妙好人 物種吉兵衛さん」(その7)

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やがて、「是非、吉兵衛さんのお話が聞きたい!」という、悩みを持つ多くの人が、吉兵衛さんの回りに集まってきました。
 それらの人々に、吉兵衛さんは《生きる》意味について、次のようなお話をされています。

 「今日の日は、わが(自分の)人生に、もう一遍、暮らし直し(やり直し)ができん。
 《また(二度と)と無い日》やと思って、味おうて暮らしておくれや。
 朝が昼となり、昼が晩となる。片時も同じところに、じっとしておらんのや。一息、一息、放り出されているのや。」と。
 このように、吉兵衛さんの言葉は人々の心を癒していきました。
 そしてその言葉は、感銘を受けた人々によって、やがて『物種吉兵衛語録』として、記録され残されることになるのです。つづく

紙芝居:「妙好人 物種吉兵衛さん」(その6)

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 師匠の元明師が太鼓判を押したように、吉兵衛さんはもう「このままでは、とても死んで行けましぇ~ん」と言うようなオロオロした面影は無くなっていました。
 吉兵衛さんは、《絶対他力》の境地に達したのです。
 吉兵衛さんが、[死]について語った次のような言葉が残っています。
 「この世界で、人が一番嫌がること(=話題)は、死ぬことや。・・死ぬ事を思うと、してる仕事も手に付かんと申す。
 又、『死ぬことを聞くのも嫌!知らずして暮らしている方が良い』と、思う人がいる。
 それは、大きな間違いや。
 死ぬ事を思ったがゆえに、死ぬで無し。又、死の話を聞いたがゆえに、死ぬで無し。
 (しかしながら)聞かずにいたら、長生きするでも無い。
・・本当に死ぬ事が知れたら(理解できたら)、毎日、勇んで(元気に)日々が送れるんや。」と。

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