昨日、鍼灸医院の先生にお出で頂き、第二回『お灸講座』を開いた。
今回のテーマは[不眠]に効くツボ。
「この頃、変りやすい気候のせいか・・ストレスなのか⁉よく寝れません」というご門徒さんのお声に答えるべく、開いた講座だ。
眠れないというのは、辛いものだ・・。
それで、開くことになった。
まずアンケートをとって、自分の不眠タイプを調べ、そして、先生の指導の下、自分の[不眠ツボ]に小さな[お灸]を、自分でするというものだ。
みんな、「あっ、やっと熱なってきた!」とか、「効いてきたわ、今日はよく眠れそう」とかの声が上がって、わいわい楽しく講座を終えました。
[管理用]
記事一覧
※画像をクリックすると拡大されます。
観念寺:第二回『お灸講座』、今回のテーマは[不眠]
紙芝居:「与謝野晶子(よさの・あきこ)」(その2)

お店を手伝う、晶子と弟の[ちゅう三郎]は、たいへん仲の良い兄弟でした。
二人は暇をみつけては、詩や歌を作り、大阪の小さな雑誌の団体に投稿していました。
晶子には、歌の才能がありました。
そこで、弟の友達の(文学大好き坊さんの)[河野鉄南(こうのてつなん)]の勧めで、『浪華青年文学会』に入ることになりました。
河野鉄南には、お坊さんに成りたての頃、同じ僧侶仲間であった[与謝野鉄幹(よさのてっかん)]という(イケメンの)友達がおりました。
鉄幹は、今はお坊さんを辞めて、『明星』という歌の文芸誌を出しておりました。
その鉄幹が、講演の為、東京から関西に来ることになりました。
・・晶子の運命が変わる時がやってきました。
「この方が与謝野鉄幹先生です!」と、お坊さんの鉄南さんは、晶子に紹介しました。
「はじめまして、晶子さん!僕が(イケメンでモテモテの色男)、鉄幹です!」 つづく
紙芝居:「与謝野晶子(よさの・あきこ)」(その1)

日本を代表する、情熱の歌人[与謝野晶子]。
彼女は(いわゆる一つの)、明治・大正時代の世間が好む美人ではありませんでした。
男のような太い眉。
がっしりと張った顎。
いかめしい肩幅。
そして、黒曜石のように輝いた大きな瞳。
そんな彼女は、妻子ある男性と、情熱的な恋に落ち(いわゆる不倫やがなぁ)、女性の自由を歌った詩を作り発表し、有名になりました。
又、同時に軍国主義の真っただ中に、反戦歌を発表し、世間を驚かせました。
さて、このお話はそんな波乱にとんだ彼女の一生の物語です。はじまり、はじまりー。
今からおよそ110年ほど前・・、
大阪は堺(さかい)という町に、江戸時代から続く、和菓子の老舗『駿河屋』というお店がありました。
その帳場で、店番をしながら『源氏物語』などの古典を読みふける少女がおりました。
(与謝野晶子生誕の碑:大阪堺市)
彼女の名は、名字が[鳳(ほう)]。
名前は[しよう]。
・・といい、この店の三女に生まれました。
この少女が、のちの与謝野晶子です。
さて、この物語では、[しよう]ではなく、わかりやすく『晶子』という名で通します。つづく
170本目の紙芝居『悲しき阿修羅』、只今製作中!
只今、170本目の紙芝居、『悲しき阿修羅(アシュラ)』を作っています。
奈良のお寺で、人気ナンバーワンの仏像『阿修羅』。
その阿修羅神の伝説に迫ります。
何故、正義の神、阿修羅は魔神といわれるようになったのか?
宿敵、力の神:帝釈天との関係は?
そして、顔の表情の秘密とは?
それらを15枚の紙芝居で表したいと思っています。
お楽しみに!
紙芝居:「慈雲尊者(じうんそんじゃ)」(その6:最終回)
紙芝居:「慈雲尊者(じうんそんじゃ)」(その5)

又、慈雲様が、その著作『十善法語(じゅうぜんほうご)』の中で、人間として生きる基本的な十の戒めを示しておられます。
一つ、不殺生(生き物を大切にする)
二つ、不偸盗(盗まない)
三つ、不邪淫(不倫をしない)
四つ、不妄語(うそをつかない)
五つ、不騎語(無駄話をしない)
六つ、不悪口(悪口を言わない)
七つ、不両舌(二枚舌を使わない)
八つ、不貪欲(むさぼらない)
九つ、不瞋恚(うらまない)
十、不邪見(ひがまない)
以上が『十善法語』の中の「十善戒」、十の良い戒めです。
慈雲様は、『直心是(これ)道場』、「素直な心を保つ生活の場こそが、自分を鍛える道場そのものである」と、判りやすい言葉で、万民に仏法を説かれました。
この十善法語は、信用第一の大阪商人のバイブルとして、「片手にそろばん、片手に十善法語」と、ナニワ商人としての心意気として、引き継いでゆくことになりました。
つづく
紙芝居:「慈雲尊者(じうんそんじゃ)」(その4)
慈雲様は、様々な経験を経て、
「すべて、お釈迦さま時代の仏教に戻れば良い!」と、気づき、その教えを説き始めます。
具体的には、お釈迦さまが示された衣(けさ)を正しく身につける事。
お釈迦さまのお言葉であったサンスクリット語で、お経を読むこと。
お釈迦さまの定められた、僧侶の生活規律を守る事。これらの戒律復興を目指したのです。
そして、それを文字に書くという方法で、わかりやすく万民に示されました。
ところで、慈雲様はお釈迦さま時代の仏教に戻れば良いと言いながら、ご自分は何故?ヒゲや髪の毛を伸ばしていたのでしょうか?
一説によると、彼の髪の毛やヒゲは硬く、カミソリを使うと傷だらけになってしまうから、伸ばすようになったと言われています。(どんな髪の毛やねん?)
つづく
紙芝居:「慈雲尊者(じうんそんじゃ)」(その3)
紙芝居:「慈雲尊者(じうんそんじゃ)」(その2)

法楽寺で出家した時の、慈雲さまの気の強かったエピソードが残っています。
彼は師匠に向かって、こう言ったそうです。
「自分は仏教が嫌いだ!・・出家したのは母に頼まれたからだ。私は仏教をとことん学んで、こんな教えはたかが知れてると、仏教批判をしてやるつもりです。」と。 
(大阪:法楽寺さま)
後年、慈雲様はこの発言について次のように語っておられます。
「・・あの時、私は儒教にかぶれていた。
死後の世界も否定的だったし、派手な衣を着た僧侶も大嫌いだったのです」と。
一本気な慈雲様は、何でも徹底的にするタイプで・・、おかしな話ですが、仏教を否定するために猛烈に修行に励んだのです。
難しい経典を読み、古代インドのサンスクリット語も学びました。
そして修法も学び、これらの修行を通じて、「自分の考えは間違っていた。仏教は信ずるに値する教えだ!」と、気づくのでした。 つづく







