住職のつぼやき[管理用]

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あきらめないで、あなたのお肌・・・

 先日、『老人施設』に「出前法話」させて頂いた時、ちょうど別のフロアーで、『化粧療法』をされていた。
 『化粧療法』とは、別名「コスメティックセラピー」といい、〔美しく老いを生きる〕をコンセプトに、お化粧をする事によって、お年寄りの《自信の回復》、《対人関係の円滑》、《認知症の予防・回復》などに〔心理的効果〕があるらしい。
 確かに横で見ていて、お年寄りの女性が、鏡の前で若い美容師さんに、ヘアーセットやメイクをしてもらっている姿は、活き活きとされている・・ように見えた。(ちょっと派手目のメイクが、解りやすくて良いのやろなぁ・・)
 顔見知りの認知症の女性も、僕を見つけ、照れくさそうに微笑まれたので、僕は「あきらめないで、あなたのお肌!」とちょっと高めの声で言うと、何も言わずに笑っておられた。
 ・・・後ろの美容師さんには受けた。

紙芝居:「洪庵のたいまつ」 プロローグ

 唐突ですが、お釈迦様のニックネーム(別名・あだな)を知ってますか?
 『大医王』なのですって。・・意味は〔偉大な医者の王様〕。
 そういえば、お釈迦様の教えに『応病与薬(おうびょうよやく)』というものがありました。
 その意味は「その人(病人=悩める人)に応じた、お薬(お話)を出して心と体を治す」ということらしいです。
 確かに、お釈迦さまは、当時の超エリート王族のお一人だったので、医学知識は豊富だったでしょうが、それだけではなく、その人の心の苦しみの原因を見抜いて、治療されるのがお得意であったと思われます。・・・今で言う『心理カウンセラー』であったのかもしれません。
 さて、この日本にも、お釈迦さまのような《慈悲》のお心を持つ『大医王』がおられました。
 しかも江戸時代後期に!
 ・・が、その方は『宗教家』ではなく、本当のお医者さまでした。しかも、紛れもなく『お釈迦様』のようなお心を持たれた方。
 「それは『JIN-仁』かって?」・・あれは漫画のお話〔笑い〕。
 その方のお話を、今から紙芝居を使ってお話させて頂きましょう。そのお方の名は《緒方洪庵(おがたこうあん)》、といいました。
 司馬遼太郎原作 〔緒方洪庵生誕200年記念〕
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 世の為に尽した人の一生ほど、美しいものはありません。
 これから、特に美しい生涯を送った人についてお話します。
 それは『緒方洪庵』という人の事です。
 この人は、江戸時代末期に生れました。
 お医者さまでした。
 この人は名を求めず、利益を求めず、溢れるほどの実力がありながらも、他人の為に生き続けました。
 そういう生涯は、遥かな山河のように美しく思えるのです。
 つづく

キッズサンガの〔花まつり〕

『キッズサンガ』とは何か?
『キッズ』は、〔子供たち〕。
『サンガ』は、〔仏教徒の集まり=お寺〕を意味する。
 つまり、『キッズサンガ』とは、〔子供たちの集えるお寺〕と言う意味である。
 今、子供たちの〔居場所〕が無くなっている。
 昔は、公園や空き地が一杯あった。・・が、今は公園は〔ゲートボール場〕と化し、空き地は〔立ち入り禁止の場所〕となってしまった。
 今こそ、お寺が『子供たちの安心して集える場所』になろう!
・・というのが、今〔宗門〕が力を入れている『キッズサンガ』という運動なのである。
 さて、おととい、その『キッズサンガ』の一貫として、富田林市の『妙慶寺』さまが、〔花まつり〕を開かれた。
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 子供たちにお寺を開放し、本堂で〔若住職〕が導師を勤め、『勤行』をした後、僕は『紙芝居:「おしゃかさま物語」』を(ご住職のお招きで)させて頂いた。
 その後、本堂で伸び伸びと『輪投げゲーム』をして楽しんだり、境内でお父さん達が作る『たこ焼き』を食べたりして、楽しい時間を(子供たちと共に)過ごした。
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 時代は(昭和後期から思えば)大きく変わってしまったが、今日、このお寺は間違いなく、映画『ALWAYS 三丁目の夕日』と化していたように思えた。

従兄弟が亡くなった・・

 従兄弟が亡くなったと連絡が入った。
 急なことだった。
 従兄弟は、48歳独身で、一人住まいだった。
 お隣さんから、〔室外機〕の音が、鳴りっ放しとの連絡を受け、警察と義兄で、ドアをこじ開けたら、中で一人で亡くなっていたという。
 おそらく、僕が〔お葬式〕をする事になると思うのだが、今警察で〔検死〕の状態なので、それがいつになるか全くわからない。(〔検死〕って、どれぐらいの日数が掛かるのだろうか・・?)
 伯父叔母の〔死〕を聞いてもショックなのに、〔従兄弟〕の訃報には、正直参ってしまった。
 幼い頃、一緒にプラモデルを作ったり、漫画本を貸し借りした仲なので、寂しさはひとしおだ。
 彼の父も母も、僕がみな〔お葬式〕の導師をした。
 連絡を受けた時、『僕もいつかは死ぬのだ』と改めて思い、自分の死も意識した。
 それがいつかはわからんが、今を精一杯生きねばとも思った。
 奇しくも、昨日は『おしゃか様』の誕生日・・。
 僕は前日、紙芝居で『おしゃか様』のお話をし、その中の『四門出遊』の場面で、「人は生れた以上、必ず死ななければならぬのだ。この私もいつか・・。」と、おしゃか様のセリフをしゃべったばかりだった・・。 合掌
 
 

三谷幸喜と呼ばないで・・・Ⅱ

 昨日、堺市にある『極楽寺』様の〔永代経法要〕にお招き頂き、「紙芝居法話」に行って来た。
 こちらに呼んで頂くようになって、六年が経つ。
 有難い事に、毎年一回、呼んで下さるので、こちらの檀家の皆様とは完全に顔見知りになった。
 私が本堂に入っていったら、「あぁ、お酒屋さんのご住職や・・。」とか、「今年の紙芝居は何やろかなぁ?」という声が聞こえる。
 本堂の中は完全にリラックスムードである。(これが良いのかどうかはわからんが・・〔笑い〕)
 まぁ、そんなわけで、昨日は《お釈迦さまと阿弥陀さま~二大如来さま夢の共演》というテーマで、前半はお話させて頂いた。
 そして後半は、《親鸞聖人の《悪人正機》とはなんぞや?》というテーマで、完成したばかりの紙芝居『出家とその弟子〔第一部:悪をせねば生きれぬ人〕』を上演させて頂き、話をまとめた・・つもりである。
 最後、『極楽寺』の御住職が檀家さんに挨拶をされるのだが、
その挨拶が面白かった。
 「・・さて、皆さん。私、今日ずっと〔宮本住職〕の顔を後ろから見ていて思ったんですけど。・・宮本さんって、脚本家の〔三谷幸喜〕さんに似てませんか?・・似てますよね、・・皆さん!」(なんちゅう、〆の挨拶やねん〔笑い〕)
 すると、会場の皆さんは「そうや、そうや、似てる似てる。・・とくに笑ろた顔が!」という声が、笑いと一緒に起こった。
 僕もしょうがないから、「は~い、よく言われまーす」と大きな声で、控えの間から返しておいたら、又、爆笑だった。
 こんなんで『永代経法要』は良いのやろか?・・と思いつつ、やっぱり、僕は〔三谷幸喜〕氏と似てるんや。特に笑った顔が・・と思った。そして、もう笑わんとことも思った。〔笑わん〕
 

紙芝居:「願わくば、花の下にて春死なん~西行法師の一生」 その8

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(西行)「・・そろそろ、わしの話も終る時がきたようじゃ。
 70歳を越えて、わしは、ここ〔河内の国〕の『弘川寺(ひろかわでら)』に、草庵を結んだ。
 思い返せば、23歳で、出家したのち、旅から旅の人生であった。
 わしは歌を作るのが好きじゃたので、旅をしながら多くの歌を作った。
 わしの作った歌は、いつしか《仏の声》そのものに成っていたような気もする。
 ・・・わしはのぉ、インドの〔おしゃか様〕に憧れた。そして〔おしゃか様〕を《お手本》としたかった。
 〔おしゃか様〕は、わしと同じ〔武家の名門〕の出身であり、子供がありながら家庭を捨てて出家し、一生、旅の人生を送られた。とても他人とは思えんかったんじゃ。
・・わしも願わくば、そうありたいと思って、おしゃか様の《真似まね人生》を送ろうと誓った。
 その真似も、願わくば、おしゃか様と同じ日に死ねれば、完璧なんじゃがと思っておったが、そううまくゆくまいとも思っておった。
・・が、どうやら、(一日遅れるが、)それがうまくゆきそうな気がするんじゃ。
 昨日(2月〔如月〕15日)は、おしゃか様のご命日。そして今日は、ご命日と同じ満月(望月)の日・・。そしてわしの好きな〔桜〕も満開!
・・完璧じゃ。完璧すぎる! 有難い、有難い。
・・ああっ、仏さま!お迎えに来て下さったのでございますか?
 はい、ご一緒に参ります。 ありがとうございます。南無仏、南無仏・・。」
『ガクッ!』(往生された音)
『パラパラパラ・・・』(桜が散った音、効果音じゃ。)
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「仏には桜の花をたてまつれ 我が後の世を人とぶらはば」(西行)
 行年73歳 おしまい
ファイル 479-3.jpg(現在の弘川寺内の『西行堂』)
ファイル 479-4.jpg(現在の弘川寺、本堂)

紙芝居:「願わくば、花の下にて春死なん~西行法師の一生」 その7

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(西行)「・・が、しかし、そんなわしの活躍を面白くないとする僧侶がおった。
 その坊主の名は、〔文覚(もんかく)〕といって、暴れん坊で有名な奴じゃった。
 〔文覚〕は、わしがちゃんと修行もせず、歌ばかり作って遊んで旅をしていると、勘違いしておったんじゃな。
 〔文覚〕は弟子たちに、「一度、〔西行〕と顔を合わす機会があれば、ゲンコツを喰らわしてやる!」と息巻いておったんじゃよ。
 そして、ついに〔文覚〕は、わしと顔を合わす時がきた。
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 ・・それがじゃ、なんと〔文覚〕は、わしを一目見るなり、ニコニコ顔になって、手厚く持て成してくれたんじゃ。
 そして、わしは〔文覚〕と円満に別れた。
 ・・〔文覚〕の弟子たちは、わしを見送った後、師匠に詰め寄ったそうじゃ。
「師匠、話が違うではありませんか!〔西行〕をぶちのめすのではなかったのですか!」と。
 すると〔文覚〕は、「お前たちは、あの〔西行〕の面構えを見なかったのか。・・あれは紛れもなく、武士の顔じゃ! もし、わしが殴りかかったとしたら、反対にわしがボコボコにされたであろうよ。」と、言ったそうじゃ。
 〔僧侶〕として、又〔歌人〕として、穏やかに生きて来たつもりであったが、見るものが見れば、わしは紛れもなく〔武士〕の臭いがしたのじゃろうな・・。
 まぁこの話は、わしの他愛もないエピソードじゃがな。わっはっはっ。
 次回、いよいよ最終回じゃ。」

北御堂:〔花まつり〕な一日

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 昨日、大阪本町にある〔北御堂〕へ、花まつり(お釈迦様のお誕生日をお祝いする日)の『紙芝居講演』に行って来た。
 晴天にも恵まれ、老若男女、たくさんの参拝客で賑わった。
 この日は、朝から本堂で〔法要〕があり、その後、境内特設ステージにて、色々な催し物〔イベント〕があった。
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 さて、僕もその〔イベント〕の一つとして、『お釈迦様物語』という「紙芝居」を披露させて頂いた。
 ・・さてさて、面白かったハプニングであるが、司会者のお姉さん(イズミナツコさんとおっしゃった)が、僕をステージで紹介される時、「それでは、今から《マツモト ナオヤ》さんによる『紙芝居』が始まりますよ~」と、思いっきり(苗字も名前も)間違えて下さって、(一瞬僕は、『もう一人紙芝居をする人がおるんかいな?』と凍ったりもしたが、)小さな声で「・・ミヤモト ナオキです。」と訂正させて頂いたら、「もう一度やり直しましょうー」ということで、僕ももう一度、幕裏に引っ込んで、今度は〔拍子木〕を打ち鳴らしながら、出て来る事とした。(・・まぁ、ええけどな。〔苦笑い〕)
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 ・・まぁ、そんでもって、無事僕の出番も終わり、その後、『仮面ライダーショー』などもあり、子供たちは多いに盛り上がっていた。
 ・・実は僕も『ライダーショー』を見ようと思っていたのだが、遠縁の親戚のおじさんに、境内でつかまってしまい、本堂内で、おしゃべりをしていたので見逃してしまった。(残念!・・だからライダーを写した写真はありませんです。・・はい。)
 

紙芝居:「願わくば、花の下にて春死なん~西行法師の一生」 その6

(西行)「・・まぁ、そんな訳で、わしは再び〔寄付金〕集めの旅に出ることになった。
 それで、まず、わしが向かったのは、大金持ちのハトヤマ家・・。いや間違えた、奥州の〔藤原家〕であった。
 この頃の〔藤原家〕は、《金》の産地をその領地に持っておったので、大層裕福だったのじゃ。
 それで次の話は、奥州に向かう途中のエピソードじゃ。
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 わしは途中、〔鎌倉〕に寄って〔鶴岡八幡宮〕を、参拝しておった。
 その姿を、源氏の頭領〔源頼朝〕の家臣に見つかってしもうてなぁ、・・家臣たちは、わしを〔頼朝〕の面前に案内したんじゃ。
 〔源頼朝〕公は、わしを見て喜んでなぁ、わしに『武家としての心構え』や『歌の詠み方』などを講義してくれと言うんじゃよ。
 わしは「みんな忘れました」と言ったら、大層がっかりされたので可哀想に思って、「あっ、思い出しました!」とボケをかまして、しゃべるだけしゃべってやったわい。
 それで〔頼朝〕は喜んでな、お礼にと言って《白銀製の猫の置物》をくれたんじゃ。
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 ・・が、わしにはそんな品物、不用の物。
 館を出た時、外で遊ぶ童たちに、ポンとくれてやったわい。
 太っ腹なわしじゃろう。・・が、しかし、後で考えたら、やっぱりお金に代えたら良かったと、ちょっぴり後悔したわい。ワッハッハッ。
 ・・そののち、わしは無事に〔奥州〕に着き、〔寄付〕の願いをちゃんと聞き届けてもろたんじゃ。」 つづく

紙芝居:「願わくば、花の下にて春死なん~西行法師の一生」 その5

(西行)「結局、わしは高野山に〔30年間〕居ったことになる。
 その後、わしは60才で〔伊勢の国〕に移った。
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 伊勢にはわしの歌友達、通称〔歌トモ〕が多くおってのぉ、そこで〔草庵〕を結んで、歌の編纂に力を注いだんじゃ。
 ・・が、時代は荒れ始めた。 
 源氏と平家の戦いは、全国各地を炎に包んでいったんじゃ。
 たくさんの人が死に、また多くの神社・仏閣が焼かれた。
 わしはその時、『死出の山 越ゆる絶え間はあらじかし 亡くなる人の数続きつつ』、〔あの世への山を越えてゆく人のなんと多きことか〕と、歌を詠んだ。
 それから間もなくして、又、わしに友人から「京・奈良の神社・仏閣復興の為の〔寄付金〕集めをしてくれんか」と頼みの手紙が来て、わしはまた旅に出る決心をしたんじゃ。・・・わしはのぉ、水戸黄門さまのような、安易で旅好きな、ただのご隠居ではないのじゃぞ。フォッフォッフォッ(笑い声じゃ!カクしゃんも聞きにゃしゃい、シュケしゃんも聞きなしゃい。) つづくじゃ」

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