住職のつぼやき[管理用]

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コウメちゃんの難産

 残念ながら、コウメちゃんの初めての子供は死産であった。
 ・・犬の話である。
 コウメちゃんとは、うちの寺の近所の門徒さん宅の〔柴犬〕である。
 おとといの夕方、〔お参り〕とは別の用事で、そこの御宅を訪ねた時、奥さんが犬小屋の前でしゃがみ込んでおられた。
 『何をされているのか?』と近づいて見れば、コウメちゃんのお腹を一生懸命に「頑張れ、頑張れ」と言って、さすっておられるのだ。
 そして、コウメはというと、子犬を出産しかけたまま、足がひっかかり、なんとも言えん苦しそうな声で鳴いているのだ。(ひっぱり出せない!)
 奥さんが言われるには「朝に破水したまま、まだ産み落とせないのです。・・いつも行ってる病院は土曜で休みやし、体力も落ちて来たみたいやし、どないしょうかと思って、今旦那に電話したところなのです」と言われた。
 僕はとっさに、〔動物病院〕で勤められてる別の檀家のお嬢さんの事を思い出して、「電話してみますわ!」と言って、寺に帰り連絡を取った。
 上手いこと家にお嬢さんは居られ、病院に連絡を取って下さり、帰って来た旦那さんと奥さんは、コウメちゃんと一緒にそこの病院へ向かった。
 ・・夜、寺に電話があって「子犬(一匹だけだった)はダメでしたが、コウメは手術せず出産できて命は助かりました。今、コウメも家に帰って来て休んでいます。元気です。ありがとうございました」という事であった。
 はじめての子供は残念だったが、コウメは助かって一応ホッとした。
 僕は、〔犬〕というものはすべてにおいて〔安産〕なのだろうと思っていたが、やはり、一つの命を生むというのは、(どんな動物でも)そんな安易なものではないのだと、改めて考えさせられた。(犬は難産の場合、無事に子供を産んでも育児放棄をする確率が高いらしい。それで子供の死ぬ確率も高いと言う事である。・・以上、余談)
 ・・こんど、お見舞いに〔ジャーキー〕をコウメちゃんに持っていってやるか。 
 
 
 
 
 

紙芝居:「願わくば、花の下にて春死なん~西行法師の一生」その4

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(西行)「出家したのち、わしは『西行』と名乗り、あちこちに場所を移し、修行生活に入った。
 京の〔嵯峨〕や〔鞍馬山〕、そして山深い奈良の〔吉野山〕に庵を設けて、修行したんじゃ。
 ・・が、わしは出家したのちも、歌を作るのはやめんかった。
 歌はわしの生き甲斐じゃった。
 出家した当時、わしは次のような歌を作って詠んでおる。
『世の中を捨てて 捨てえぬ心地して、都はなれぬ我が身なりけり』と・・。これは〔世を捨てたつもりなのに、京の都の思い出が煩悩となって忘れられないよ~〕という意味じゃな。・・わしの出家仕立ての頃の弱い心の内を歌ったもんじゃなぁ。
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 それからわしは、奥州の〔平泉〕や〔出羽〕へ旅をした。
 そして帰ってからは、〔高野山〕で草庵を結んだ。
 当時、〔高野山〕は落雷の為、火事で大きな被害を受けておった。
 だからわしは、〔高野山〕で修行しつつも、寺院復興の為、《勧進》という『寄付金』集めの旅に出ざるを得んかった。
 わしは出家しても、元は〔有名人〕で顔は売れていたから、チャリティー活動がやりやすかったんじゃよ。
 平家の総帥、『平清盛』の所にも寄付のお願いにいった。
 『清盛』とは、北面の武士の頃からの付き合いで頼みやすかった。
 又、わしの親戚に当たる奥州の『藤原家』にも頼みに行った。
 そう、わしは政治の世界から出た身じゃから、『平家』にも『源氏』にも『藤原家』にも、出入り自由だったんじゃ。そう、わしは全国あちこちを回って『寄付金』集めをした! 
 今の〔二十四時間チャリティーテレビのメインキャスター〕兼〔チャリティーマラソンランナー〕の《走り》みたいなもんじゃな。・・なんじゃったら一曲『サライ』でも唄おうかのう・・。『サクラ吹雪の~ サライの空は~』・・何、つづくじゃと。残念!

特養『甍』からの感謝状

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 昨日、特養老人ホーム『甍』さんから、感謝状(写真)を頂いた。
 今年で、特養『甍』は開設10周年を迎える。
 それで先日、その10周年記念式典(パーティー)が、大阪市内のホテルで、関係者・功労者(ボランティアを含む)を招き、行われたのだ。
 僕はこちらのホームとは、平成13年からの『講話クラブ』という法話会・偲ぶ会を通してのお付き合いである。
 だから、僕も〔招待状〕を頂いたのだが、あいにくその日は〔法務〕が入っていたので、欠席させてもらった。(行きたかった!みんなの前で表彰されたかった!そんなん、卒業式以来やもん。)
 それで式典に欠席した為、昨日の『偲ぶ会』の終了後、その式典で頂けるはずであった〔感謝状〕と記念品を戴いたのだ。
 賞状を頂いた時、僕はそれをマジマジと見つめながら、「ニーン、ニーキ、ニーンニーン。ニキニキニンニンニーン・・」と一人で〔表彰ソング〕を口ずさみながら、賞状を受けたのだった。(偶然、それを見ていた一人の認知症のお婆ちゃんが、わけがわからんまま拍手をしてくれた。・・そういえばこのお婆ちゃん、この日僕が〔偲ぶ会〕で『お焼香』した時も拍手してくれたなぁ・・。『お焼香』して、拍手してもらったん始めてや。笑いそうになったで!)
 さて、この『賞状』、名前のところに『お寺の出前 (宮本直樹)』と〔肩書き〕が入っているのが、ちょっと笑えてステキだ!お寺で大切に飾ろうっと!

 

言うべきか?言わざるべきか・・?

 お彼岸のお参りが続いている。
 お彼岸の時だけ、『読経』を頼んでこられる檀家さんがあって、一年の内、春と秋の二回しかお会いしない。
 それで、そのお参りの時のご挨拶が「お変わりございませんか?」で始まり、たいていは「はい、元気でやっております」と返事が返ってきて、『読経』が始まる。
 ・・が、しかし、今日は違った。
 「お変わりございませんか?」とお聞きすると、そこの奥さんが「ええ、ちょっと色々ありまして・・。」とおっしゃり、ご主人と顔を合わせられた。
「どうされましたか?」とお聞きすると、奥さんのお兄さん(75才)が危篤だということだった。
 病名は癌で、今、病院で身体中、〔チューブ〕状態らしい。
 それで、相談を受けた。
 奥さんには、まだこの危篤の兄以外、四人〔兄弟姉妹〕がおられるそうなのだが、この《状態》を知っているのは、その内〔弟・妹〕だけらしい。
 後の〔兄と姉〕は知らないとのことである。
 つまり〔兄・姉〕には、仲が悪くて連絡していないのだそうだ。(若い頃は皆、仲が良かったらしい・・)
 ・・が、今、危篤状態である。
 亡くなった後からだと、きっと知らされなかった兄と姉、いや、みんなが後悔するのではないか?と、先の檀家さんの〔妹夫婦〕は悩んでおられるのだ。
 「知らせたら良いじゃないか」と、簡単に僕なんか思ってしまうが、この危篤状態の兄は、「自分に何かあっても絶対に兄と姉には教えるな!」と、奥さんと子供に常日頃から、(伝言を)言っておられたらしい。
 だから、その奥さんは皆に伝えていない・・との事だ。
 ・・でも、僕は言った。
「それは守らなくても良い〔伝言〕だと思います。いや、守った方が良くない〔伝言〕だと思います。
 奥さんは旦那さんの病気の状態を見て、今、《平常心》ではなくなっているのだと思います。だから旦那さんの〔伝言〕に固執してしまっているのではないでしょうか?
 ・・後悔を後に残さない為にも、その〔伝言〕は破ってお伝えすべきだと僕は思うのですが・・。第三者が偉そうなことを言ってすみません。」と、思うことを言って、あと謝った。・・が、僕はやはり今もそう思うのだ。
 後、どうされるかは、奥さんのご親戚内で決められる事なので、僕は何もわからないが。・・又、半年後、この結果はお聞きすることができるだろう。・・が、長い半年だ。

紙芝居:「願わくば、花の下にて春死なん~西行法師の一生」その3

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(西行)「・・出家を決意した時、わしはすでに結婚しておった。 そして、幼き子供も一人おったんじゃ。
 僧侶になろうと決意し、家に帰った時の事じゃった。・・わしの子供は、わしを見つけ、喜んですがりついて来た。
 わしの心は動揺した。・・・が、決めた事じゃ。心のとらわれを振り払おうと、わしは心を鬼にして、その子供を縁側から蹴り落とした! 
 子供は泣き、妻は動揺して怯えた。
・・が、しかし、わしは急いで部屋に入って髪を切った。」
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「・・おそらく、あなた方の疑問は唯一つ。
 なぜ、出家したかったのか?という動機を知りたいのじゃろう。・・それは秘密じゃ。人は誰でも内緒にしておきたき事があるじゃろう。
 ・・が、世間の人達は色々と噂をした。
 『西行は、さる高貴なお方との秘密の恋に破れ、世を捨てたのだ』とか。
又『いや、親友の突然の死に、人生の無常を感じての出家だったのだ』とか。
 いずれにせよ、今となってはどうでも良い事。仏縁があったという事じゃろう。
 えっ、それでは、捨ててしまった妻と子は、その後どうなったかとお聞きか?・・わしは、妻子のことはわしの弟にちゃんと頼んでおいた。・・生活できるようお金を預けてな。
 しかし、のち、妻も子もわしと同じように仏門に入ってしまったがな・・。今は罪な事をしてしまったと思っておる。 つづく」

紙芝居:「願わくば、花の下にて春死なん~西行法師の一生」その2

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(西行)「わしの本名は〔佐藤義清(ノリキヨ)〕といって、先祖は《藤原鎌足》という、いわゆる一つの名門の出じゃ。
 そう、わしは裕福な武士の家に生れた。
 自分でいうのも何じゃが、若い頃は〔容姿端麗〕で、走る馬から矢を放つ『やぶさめ』というスポーツも得意であり、『けまり』の名手でもあった。又、『歌』も上手に詠めたんじゃよ。・・まぁ、ベッカムと福山雅治を足して二で割ったような、いわゆる『文武両道』のスターじゃな。
・・が、しかし、23才の時、突然、わしは何もかも捨てて〔出家〕を決意するんじゃ! つづくじゃ・・・、どうやら、ブログの作者が、お彼岸で忙しいらしい・・。」

紙芝居:「願わくば、花の下にて春死なん~西行法師の一生」その1

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(西行)「おぉっ、なんと見事な桜吹雪であろうか・・。
 わしも願わくば、この桜のように、お釈迦様の御命日(2月15日)に近い今日、(陰暦2月16日)に散って、いや死んでいきたいものよ・・。
 そんな願いをずっと持ち続けて、生きてきたような気がする。
 そういえば以前、そのような詩を詠んだなぁ・・。
『願わくは、花の下にて春死なん、そのきさらぎ(陰暦二月)の望月(満月)の頃』と・・。
 わしも、もう73才。そろそろ散る時が来たようじゃ。
 ・・いやいや、散る前に、わしの歩んで来た道を、少~しばかり、あんたたちに語っておこうかのぉ・・。
 それから散っても、遅くはあるまいて・・。
 ・・そう、今わしは、『西行』と呼ばれる出家僧ではあるが、昔は、〔北面の武士〕という、京の〔御所〕を警備する、超エリート侍だったんじゃよ。 つづく
 
 

わが町のイメージキャラクターは「西行くん」

ファイル 467-1.jpg(西行くん)
・・唐突ながら、わが町〔河南町(カナンチョウ)〕のイメージキャラクターは、「西行(サイギョウ)くん」という。
 そう、このキャラ、歴史の教科書に出て来たあの有名な歌詠みのお坊さん『西行法師』がモデルである。
 この人物が我が町で亡くなられ、お墓(弘川寺)がある。
 だから『キャラ』になったらしい。
 「他に、何かモデルは無かったのか?」と、言われたらそれまでだが、そう・・らしい。(・・が、お坊さんのキャラって、同業の僕にはちょっと嬉しい。)
 大阪府の南東に位置する、人口わずか17000人程の小さな町〔河南町〕は、関西人、いや大阪人に聞いても「その河南町って、いったいどこにあるの?知らんなぁ・・」と言われるぐらいマイナーな町である。(現に、10年前に大阪市内から引っ越して来た僕自身も知らんかった・・(今は、〔笑〕ってられん))
 うちの寺から、車でわずか10分程の場所にある『西行法師、終焉の寺〔弘川寺(ヒロカワデラ)〕』。ここは有名な桜の名所であり、春の桜のシーズンには(いやシーズンだけ)、人でごった返す。
 『願わくは 花の下にて春死なん そのきららぎの望月の頃』と詠み、その通り、桜のシーズンに亡くなった西行法師。
 僕は檀家さん宅のお参りの帰り、よくこのお寺に寄ってお参りをした。・・その内に〔西行法師〕について、色々と調べたくなり「これも何かの縁だ」と、一昨年、このお坊さんについての『紙芝居』を作った。 
 それでは次回から、この河南町キャラでもある『西行法師』の紙芝居を紹介したいと思います。
ファイル 467-2.jpg(弘川寺内、西行法師の墓)

「お住(じゅ)っさん、待ってたよ・・」

 前回、突然の檀家さんとの『別れの話』を書いたが、今回は、打って変わって嬉しかった話。
 それは昨日、団地で一人暮らしの〔檀家〕のお婆ちゃんのお家に〔月参り〕に行った時のこと。
 僕がお家に入るなり、「・・ああ、お住っさん、待ってました。なんと待ってる一ヶ月の長い事。私、毎月のこの(月参りの)時間が楽しみで楽しみで・・。」と、(この暖房の効きすぎた部屋で)涙ぐんで熱烈大歓迎された。
 あっけに取られて、僕は思わず、「・・何かあったんですか?」と聞き直した。
 このお婆ちゃんは「私、足が悪くなって、毎日話するのはヘルパーさんぐらいやろ。息子もたまにしか来てくれへんし、嫁には気兼ねするし、お住っさんと一緒に〔仏壇〕にお参りした後、お茶飲みながら、世間話するのが一番楽しいねん・・。今日はゆっくりできるの?(なんか、怪しい関係のような?〔笑い〕)」と、続けて言われた。
 僕は、今日は日曜やから〔ご法事〕があって、ゆっくりできませんねん。すみませんなぁ・・」というと、又涙ぐまれ、「じゃぁ今度、ゆっくりお話聞かせてなぁ。ホンマ楽しみやねんで。待ってるからなぁ。いろんな話聞かせてや。」と、ダメ押しなぐらい言って下さった。
 寂しかったとはいえ、こんなに歓迎して下さり、待っててくださっていると言う事実に、こっちが感激してしまった。そして「坊主冥利に尽きる」と思った。
 仏さまは、落ち込む僕をちゃんと慰めて下さったのだ。・・という事にしておこう。
 

不況の波~突然の別れ・・

 先日、ご門徒宅へ、『月忌参り』に行かせてもらった時のこと。
 お家に入るなり、そこの奥さんから「院主さん、私等(夫婦)、来月早々引越して、娘の家に同居することになりましてん。・・それで寂しいけど、今日でお別れですねん。長いこと有難うございました」と突然、言われた。
 「えっ、それじゃ、この新しいお家どうされますの?」と聞くと、
「もう、別の人に売れましてん。・・ホンマ、計画が狂いましたわ。主人のボーナスを当てにしてローンを組み、この家建てたのに、仕事がなくなってしもて、・・リストラですわ。それで、仕事を探して回ったんやけど、なかなか無くてね。この年齢でしょう。・・あきませんわ。・・それで、決断しましてん。」と言われた。
 今まで何も言われなかったが、さぞかし悩まれたのだろう・・。 これからの新生活、うまくいけば良いのにと、心から思った。
 ・・不況の波は回りまわって、お寺にも来ていると、痛感した一日だった。

 

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