金子みすゞの故郷は、昔から[鯨捕り]の町でもありました。
みすゞの父の実家の青海島では、捕った鯨を供養する『鯨法会(くじらほうえ)』という、法要が行われていました。
それは、命を捕って生きる悲しみを、誰もが、深く心に留めておくためのものだったのです。
(産まれる事が出来なかった、子鯨の供養墓)
みすゞの、すべての命に対する愛おしさは、おそらく、幼き頃、母や祖母、そして父から聞いた[鯨捕り]の様子から生まれたものかもしれません。
『鯨法会(くじらほうえ)』(「金子みすゞ全集・Ⅲ」より)
「鯨法会は、春のくれ、
海にとびうお 捕れる頃、
浜のお寺で鳴る鐘が、
ゆれて水面をわたる時、
村の漁師が羽織着て、
浜のお寺へ急ぐ時、
沖で鯨の子がひとり、
その鳴る鐘を聞きながら、
死んだ父さま、母さまを
恋し、恋しと泣いてます。
海のおもてを、鐘の音は、
海のどこまで、ひびくやら。」
(青海島[鯨資料館])
つづく
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紙芝居:「金子みすゞと仏さま」(その4)
紙芝居:「金子みすゞと仏さま」(その3)
(再現された『金子文英堂』)
・・余談ながら、今年の夏、この紙芝居の主人公[金子みすゞ]さんの事を調べるために、山口県の仙崎まで行って来た。
こちらは、今もゆっくり時間が流れているかのような穏やかな町であり、町中どこにいても海の匂いがした。
又、信仰の篤い町ともいわれるように、たいへんお寺とお墓が多かった。
この日、僕は汗をかきながら『金子みすゞ』さんの足跡を大急ぎで散策した。(一泊二日しか日が取れなかったので)
・・『金子文英堂』、『金子みすゞ資料館』、『金子みすゞさんのお墓』、青海島の「王子山」、みすゞさんの父親の実家の近くの『くじら資料館』と「鯨墓」などを回った。 毎回思うのだが、やはり、現地に実際、取材をするのとしないのでは、絵のタッチが違ってしまうような気がする。
やはり、絵にも文にも、魂って宿るものだろうか?取材をした方が気持ちが籠るような気がするから不思議だ。
以上、余談終わり。
さて、金子みすゞさんのお話の続き。
(お店の中)
みすゞは、頭の良い子に育ちます。
学校では、常に優等生であったそうです。
(2階のみすゞの部屋)
そして、たいへん感受性豊かな少女で、お話を作ったり、詩を書くことが得意でした。
彼女の心の優しさを表す詩に、次のようなものがあります。
『わたしと小鳥と鈴と』(「金子みすゞ全集・Ⅲ」より)
「わたしが両手を広げても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、
地べたをはやく走れない。
わたしが体をゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴はわたしのように、
たくさんな歌は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それからわたし、
みんな違って みんないい。」
・・この世の中にあるものは、何一つ同じものはない。
だからこそ、みんな尊く素晴らしい!・・と、歌っているようですね。
つづく