本日、ディサービスカナンにて、弟子?が「お話会」デビュー致しましたので、ご報告させて頂きます。(写真参照)
と申しますのは、先月一人の尼僧さんが、私の紙芝居法話を聞かれ(無理やり)「弟子入り」を希望され、あれやこれやと言う間についにそれが現実のものとなったからなのです。
「初めは見学という事にしときまひょか。」と言ったのですが、弟子は・・、(名前を書けばよいのですが、何かこっぱずかしいので、今流にDESHIと呼ばせてもらいます。)
そのDESHIは、将来、自分の寺の近くの老人施設で、法話会をやりたいそうで、今はその練習をしておきたいというのが、どうやら本音のようです。(それで良いと思います)
で、今回、無事に私の「紙芝居」をじょうずに読み、かつ演じられ、聴衆の方から拍手喝采をあびておられました。(よかった、よかった・・(僕より10倍は読むのうまいがな)ちょっと嫉妬やがな〔笑い〕)
まあ、これからどうなるか解りませんが、取りあえずデビュー祝いと言う事で、今回、ちょこっとこのプログに書かせて頂きました。
「DESHI、がんばれよ!」と言ったら、『お前も頑張れよ』と言われそう・・。
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弟子?デビュー!
認知症の方とのコミュニケーション「バリデーション療法」
(高落(タカムラ)敬子先生)
昨日、河南町介護者家族の会:主催の「さくらんぼフェスティバル」が開かれ、農林環境改善センターまで行って来た。(僕はこの会の〔幹事〕なのです)
で、昨日は、社会医療法人大道会在宅事業部:大阪市認知症介護指導者の〔高落敬子〕さまをお招きし、『認知症の人とのコミニュケーションを考える ~バリデーションからの学び』という講題でお話を頂いた。
で、まず『バリデーション』って何?という素朴な疑問からお話を始めてくださったのだが、日々、老人ホームで『法話会』をして、虚無感に襲われている僕にとっては、正に『眼から鱗が落ちる』ほどの感動があった。
それでは(今日は)、その『バリデーション療法』について(僕の理解したトコだけ)簡単に書かせていただきたいと思う。
この『バリデーション』とは、元もと『認める、確認する』という意味なのだそうで、この言葉はアメリカのソーシャル・ワーカー:ナオミ・フェイルさんが、認知症の方とのコミュニケーション術として、開発されたそうだ。
この療法の特徴は、認知症の方が、騒いだり、徘徊したりすることにも『何か意味がある!』と捉え、なぜ騒ぐのか?、なぜ徘徊するのか?を患者さんの歩んで来た人生に照らし合わせ、《共感して接する》という事に重点を置くことなのだそうだ。
高落先生のお話をお聞きして、徘徊にも、他人を非難したり「盗んだ」と責めたりすることにも、何か(その奥に)重要な意味がある、ということに改めて気づかせて頂いた。
でも、この療法をマスターするには、自分自身、常に〔仏様〕のような気持ちで人と接しなくてできないのでは・・と思った。(自分の心の中、又、その変化を常に客観的に見ておかねばならないような・・そんな難しさがあるように感じた。)
この方法って、ひょっとしたら、昔、お釈迦さまや偉大な宗教者・医療者たちが行っていた、対人療法なのではなかろうか?・・とも思ったのであった。