住職のつぼやき[管理用]

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紙芝居:「出家とその弟子(第三部 父と子)」 その3

 ・・どうして、親鸞聖人は、実の子〔善鸞〕房を義絶したのか、その訳を〔唯円房〕は妻に語り始めました。 
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(唯円)「昔、親鸞聖人は、関東の地で長い間、布教された。
 そしてその後、京都に戻られ、執筆活動に入られた。

 しかし、お聖人の居られなくなった関東の地では、〔念仏の教え〕に対して、異論が沸きあがったんじゃ。
 その異論者たちの団体(新興勢力)は日に日に大きくなっていった。
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 それに対してお聖人は、その者たちの異論を正そうと、ご自分の名代として、ご子息の〔善鸞〕さんを、使者に派遣された。
 ・・がしかし、善鸞さんには、そのような大役は無理であった。
 いつしか、善鸞さんも、その異論者たちに巻き込まれ、その仲間になってしまったんじゃ。
 そして、関東の地はさらに大パニックに陥り、・・それを収集させようと(お聖人は涙を呑んで、)善鸞さんを義絶し、混乱を収めたのじゃ。
 ・・これが、義絶(勘当)の理由じゃ。」

(勝信尼)「・・その後、善鸞さまはどうなされましたか?」
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(唯円)「・・うん、もう、焼けのやんぱち、日焼けのなすび、色が黒くて食いつきたいが、わたしゃ入れ歯よ、歯がたたないわ、という、寅さんの口上のような気分に陥り、眉唾な新興宗教の教祖のようになり、毎日、酒びたりで荒れた生活をされたらしい。

 ・・そう、それ以来、善鸞さんは京には戻って来られなかった。
 まぁ、お聖人に合わす顔もなかったであろうが、善鸞さんも頑なに詫びを入れなかった。
 時どき、隠れるように京に帰ってきては、父の噂を聞き、そしてすぐ又、関東へ帰ってしまわれるらしい・・。
 わしが風の噂で聞くところによると、『父上に直接会って謝りたい』と、最近では言っておられたそうじゃが、等々、それも叶わなかった。

 ・・が、本当はお聖人も、善鸞さんに会いたいはずじゃ。実の親子なのじゃもの。
 しかし、世間の目もあって、それも叶わなかったのだと思う。」

(勝信尼)「・・なんと、悲しいお話ですこと。」

(唯円)「だから、わしはお聖人に内緒で、善鸞さんを探し、『お聖人がご危篤です。すぐに来られよ』と、手紙を書いた。
 ・・帰って来てくれれば、良いが。」  つづく

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