・・どうして、親鸞聖人は、実の子〔善鸞〕房を義絶したのか、その訳を〔唯円房〕は妻に語り始めました。
(唯円)「昔、親鸞聖人は、関東の地で長い間、布教された。
そしてその後、京都に戻られ、執筆活動に入られた。
しかし、お聖人の居られなくなった関東の地では、〔念仏の教え〕に対して、異論が沸きあがったんじゃ。
その異論者たちの団体(新興勢力)は日に日に大きくなっていった。
それに対してお聖人は、その者たちの異論を正そうと、ご自分の名代として、ご子息の〔善鸞〕さんを、使者に派遣された。
・・がしかし、善鸞さんには、そのような大役は無理であった。
いつしか、善鸞さんも、その異論者たちに巻き込まれ、その仲間になってしまったんじゃ。
そして、関東の地はさらに大パニックに陥り、・・それを収集させようと(お聖人は涙を呑んで、)善鸞さんを義絶し、混乱を収めたのじゃ。
・・これが、義絶(勘当)の理由じゃ。」
(勝信尼)「・・その後、善鸞さまはどうなされましたか?」
(唯円)「・・うん、もう、焼けのやんぱち、日焼けのなすび、色が黒くて食いつきたいが、わたしゃ入れ歯よ、歯がたたないわ、という、寅さんの口上のような気分に陥り、眉唾な新興宗教の教祖のようになり、毎日、酒びたりで荒れた生活をされたらしい。
・・そう、それ以来、善鸞さんは京には戻って来られなかった。
まぁ、お聖人に合わす顔もなかったであろうが、善鸞さんも頑なに詫びを入れなかった。
時どき、隠れるように京に帰ってきては、父の噂を聞き、そしてすぐ又、関東へ帰ってしまわれるらしい・・。
わしが風の噂で聞くところによると、『父上に直接会って謝りたい』と、最近では言っておられたそうじゃが、等々、それも叶わなかった。
・・が、本当はお聖人も、善鸞さんに会いたいはずじゃ。実の親子なのじゃもの。
しかし、世間の目もあって、それも叶わなかったのだと思う。」
(勝信尼)「・・なんと、悲しいお話ですこと。」
(唯円)「だから、わしはお聖人に内緒で、善鸞さんを探し、『お聖人がご危篤です。すぐに来られよ』と、手紙を書いた。
・・帰って来てくれれば、良いが。」 つづく