いつもいつも難しいと思い、又、もう止めたいと思うのが、認知症の方への(仏教)法話である。
老人ホームでの「法話会」のはなしだ。
昨日も、とある老人ホームで「法話」をするために、ホーム奥のエレベーターで、四階に上がった。
ドアが開いたら、そこにお一人の(認知症の)女性がしゃがみ込んでおられる。
「こんにちは・・」と僕。
「あんた、誰や?」とその御老人の女性。
「あの、今日、こちらで法話をさせてもらいます。・・仏さまの話です。・・聞いて下さい」と僕。
「そんなん、私は聞いてない!・・あんた、どこのお寺やねん。・・私等は忙しいねん」と女性。
「まぁ、そう言わずに聞いて下さい。・・すぐ終わりますから。」
と僕。
「何分ぐらいや?」と女性。
「10分ほどですから。・・しんどかったら、途中で帰られてもエエですよ。」と僕。
・・と、こんな調子で無理やり(五人ぐらいの方に)座ってもらって「法話会」を開く。
「今日は、『くもの糸』というお話をします。・・解りやすいように『紙芝居』を使ってお話します。」と僕。
「はやくしてや。こっちは忙しいねんから。」と先ほどの女性。
「はい、解りました。・・昔むかしのお話。或る日の朝、お釈迦さまは・・。」と、間髪おかずに話し始める。
話してゆくうちに、横をプイッと向かれていた先ほどの女性が、「紙芝居」を食い入るように見始める。
そして、紙芝居が終って、ちょっと人間のエゴについてお話して終りにする。・・ちょうど10分ぐらいだ。
この女性、さっきとは打って変わって、「良かったわー、お話。又、来て下さいね。」と言って、(上機嫌で)こんどは僕を、ここから帰そうとしない。そして、ご自分の身の上話を始める。何度も、何度も、同じ話を・・。しかし、ちょっとづつ、内容が変化してゆき、身の上話のつじつまが合い出す。・・が、今日はここまで。 僕は帰る時間だ。
彼女は、エレベーターのトコまで送りに来てくれる。(しかも手を振って見送ってくれる。)
・・がしかし、次回、お会いする時は、又彼女の罵声を聞いて、一から説明して、勢いで話を始めねばならない・・だろう。
『ほんま、自分はいったい何をしてるんや?・・こんな事やって、意味があるのか?』と自暴自棄になりながら、一階の受け付けで、次回に来る日を、又決めて帰る。・・しかも、作り笑顔で。
そんな自分が、時々嫌になるが、でもやっぱり好きなんやろなぁ・・。 入所者の方にお会いするのが。 僕の業かも。