
(この紙芝居を描く為に、買って作った[竜]のプラモデル。結構作るのが難しかった。・・鉄のプラモなので手を切って血だらけになってしまった。[笑])
(はじめに)
・・何年か前に、岩手県の『宮沢賢治記念館』へ行ったことがある。
そこで、学芸員の方に『賢治』の仏教的作品について、色々と教えて頂いた。
その作品に(ジャータカ(仏の前生談)などの影響から)『よだかの星』なども(自己犠牲談も)あるが、僕はこの『手紙』という名で、後世に残った『竜』の話がとても印象にのこった。・・なぜ、この題名が『手紙』かというと、賢治が誰かに宛てて書いた手紙ではなく、物語を思いついたら、やたらめったに友人や知らない家のポストに入れまくって配ったから、こんな題名が付いたらしい・・。もらった人はどう思ったろうか?案外迷惑な『手紙』だったのではなかろうか?「これ何?」と思ってすぐに捨てられた方もあったのであろう?・・が、それが賢治らしくて僕は好きだ。
尚、この紙芝居は、原作の表現を少しわかりやすく変えて作りましたので、原文を読まれたい方は、文庫本を買って読んでください。
それでは、はじまり、はじまり~
昔、あるところに、一疋(ぴき)の竜がいました。
力が非常に強く、形も大層恐ろしげでありました。
それに強い毒も持っていました。
それで、あらゆる生き物がこの竜に遇えば、弱いものは気を失い、強いものでも死んでしまうことがありました。
が、ある日、この竜は良い心を起こしました。
「これからは、もう悪いことはしない!すべてのものを悩ませない!」と誓ったのです。
そして、静かなところを求めて、林の中に入り『物事の正しい道筋』を考えていました。
が、とうとう疲れて眠ってしまいました。(ねっ、寝んのかい⁉)
竜は眠っている間は、形が『へび』に変わります。(・・そんなん初めて知ったわ⁉・・余談だが、ブッタの弟子のカッサパ三兄弟の話に出てくる竜も、ブッタに諭されて蛇に姿が変わったと書かれてあったような・・、知らんけど)
この竜も大きな蛇の形になりました。
体は綺麗な瑠璃色や金色の紋があらわれていました。
そこへ、猟師たちがやって来ました。
そして、この蛇を見て、ビックリするほど喜んだのです。
(喜ぶ前に驚いて怖がれよ‥余談)
「こんな綺麗な珍しい皮は見たことがない。王様に献上すれば、さぞや喜ばれるであろう!」と。
そして、猟師たちは杖でへびの頭を押さえて、その皮を剥ぎ始めたのです。
竜は気が付いて考えました。
「俺の力は、この国さえも壊せる。こんな猟師ぐらいなんでもない。
・・けれど、私は『もう悪いことはしない!』と誓った。
この猟師を殺したところで可哀そうだ。
もはや、この体は投げ捨てて、こらえてやろう。」と、竜はへびから元の姿に戻るのを、我慢しました。
そして、すっかり覚悟が決まりましたので、目をつぶって痛いのをじっとこらえました。
又、猟師たちに毒をかけないように、息をこらえて、悔しいという心さえ起こしませんでした。
そして猟師たちは、皮を剥いだら行ってしまいました。
そこで、ようやく蛇から、竜の姿に戻りました。
後編へつづく
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記事一覧
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紙芝居:『一疋(ぴき)の竜』(前編)
瞑想教室
去年の秋から、月に一回、『瞑想教室』に通っている。
お釈迦様も、瞑想(座禅)によって、悟りを開かれた。
もちろん⁉、僕が『悟り』なんて、とても開けるものではないことは重々承知だ。
だが、僕も来年は還暦。人生も後半戦に入った。
少しでも、お釈迦様の真似事をしたい・・と思ったのだ。手遅れかも・・(苦笑)
若い人たちに交じって、瞑想の真似事をするのは恥ずかしいが、少しでも先達たちの、爪の垢を煎じて飲めるまで成長したい・・と思っている。
「石上露子」伝、紙芝居から挿絵へ
地元、富田林の明治期の歌人「石上露子」の(近々出版されるであろう)童話の挿絵が、ようやく完成した。
以前に作った(この主人公の)紙芝居の絵から、はるかに枚数を増やして描いた。
文章は、石上露子の事といえば、この人しか居ないであろうと思われる奥野和子先生である。
さて、どのような童話になるか?今から楽しみである。
紙芝居: 『インドのえらーいお坊様のお話~頼りになる者の巻』(後編)

「あなた、この私には、まだ年頃の子供がおりまして・・、その子たちの将来のことも考えてやらねばねぇ・・。
私が死んだら、どういうことになるか⁈・・心配で心配で・・。」と言って、薬を飲むのを断りました。
医者のふりをしている師匠は、次に彼の妻に声をかけました。
そして、薬を手渡しました。
妻は考えました。
そして、やがて涙をためて言いました。
「主人は、今日までの寿命だったのですわ。・・私が死んだらこの赤ん坊はどうなりましょう⁈誰が育ててくれるでしょう?・・この薬を飲むわけにはいけませんわ。」と。
そうこうしているうちに、薬の効き目がなくなって、弟子は身体を自由に動かせるようになりました。
彼はその時、誰一人、自分のものではない事を、はっきり悟りました。
そして、ベッドから降りて、師匠と共に家を出て行きました。
師匠は弟子に話されました。
「これで分かっただろう・・。
でもただ一人、自分のものと呼べるお方がいる。
それが、神仏だよ」と。
おしまい
紙芝居: 『インドのえらーいお坊様のお話~頼りになる者の巻』(中編)

弟子は言われた通りにしました。
・・そして、死んだようになりました。
母、妻、その他の肉親たちは、彼が突然亡くなったと思い泣き始めました。
折も良し、その時、医者に変装した師匠が訪ねてきました。
「わしは医者だが、どうして泣いているのか⁈」と訪ねると、家族は訳を話しました。
そこで、医者はみんなの前で言いました。
「ここに良い薬があります。これを飲ませると、旦那さんは必ず生き返ります。
・・だが、一つ条件があります。
この薬は、まず最初に、親族の者が飲まなければならないのです。
それから、旦那さんに飲ませます。
すると、旦那さんは生き返ります。・・が、最初に飲んだ者は死ななければなりません。
見渡したところ、お母さんも奥さんも、親戚の方たちも、何人もおられる。
きっと、どなたか、この薬を飲んでくださるでしょう。
そうすれば、この前途ある若者の命は助かります。」と言いました。
もちろん、幽体離脱した弟子は、すべてを聞いていました。
医者のふりをしていた師匠は、まず母親に声を掛けました。
母親は嘆きのあまり、床の上を転げまわって泣いていたのですから・・。
「お母さん、もう泣くことはありません。
早くこの薬をお飲みなさい。そうすれば、息子さんは生き返ります。・・もっとも、あなたは死にますが・・。」と言いました。
母親は薬を手のひらにのせて、考え始めました。
ずいぶん、考えました。
そして、医者に言いました。 つづく
紙芝居:『インドのえらーいお坊様のお話~頼りになる者の巻』(前編)

インドのえらーいお坊様のお話の続編
ある日、えらーいお坊様は、弟子のひとりに、こうおっしやいました。
「神様、仏さまだけが、お前のもの。ほかの者は、誰一人お前のものではないんじゃよ。」と。
それを聞いて、弟子の一人が不服そうな顔をして、反論しました。
「でも、先生!私の母も妻も、大層良く私の世話をしてくれます。
一度会って下されば、お分かりになります。
彼女たちは、とても私を愛してくれています!」と言いました。
すると、師匠はニッコ笑って・・、
「それはお前、錯覚というものさ・・。誰一人、お前に属している人間はいない。
その事実を私が見せてやろう。
ここに、不思議な薬がある。
これを家に帰ったら、すぐ飲んでベッドに入って寝ていなさい。
お前は誰が見ても死んだようになる。
家族は驚く!お前が死んだと思うだろう。
だが、お前の意識はハッキリしていて、何でも見えるし聞こえる。いわば、幽体離脱じゃ。
その時、わしが医者に変装して、お前の家を訪ねて行こう。」と言いました。つづく
紙芝居:『インドのえらーいお坊様のお話~縛られた人の巻』(後編)

だが、二匹か、三匹くらいがドボーン、ドボーンと、音をたてて逃げてゆく。
そんな時、漁師は言うよ。「おっ、一匹デカいやつが逃げちまったぞ!」と。
これが『悟れた人』。大いなる安らぎが手に入った人じゃ。
しかし、網にかかった大部分の魚は、逃げようともしない。
それどころか、網の目を口にくわえて、湖の底に潜り込んでじっとしてる。「もう心配ない。俺たちはうまくいっている」と考えている。
世の中はそんなもんじゃ・・。
やがて漁師たちが網を引き上げ、一匹残らず捕まってしまうことが、どうしてもわからない。
これが、そっくりそのまま、『縛られた人』の有様じゃ。
皆の衆、世間の楽しみなど、幻のようなもんじゃ。
・・地位、名誉、お金、すべては幻・・。
漁師の網を抜け出す!それは、世間の束縛の網!
大いなる安らぎを求める、そんな方法をそれぞれが探すこと・・それが大切な事なんじゃよ。 おしまい
紙芝居:『インドのえらーいお坊様のお話~縛られた人の巻』(前編)

わしの名は『ラーマ・クリシュナ』。
インドのえらーいお坊さんじゃよ。
皆の衆、しばらく、わしの話を聞いておくれ。
それでは、はじまり、はじまりじゃ。
わしの見る所、世の中には、四種類の人間がいるのぉ。
一人目は『世の中のあらゆることに縛られた人』。
二人目は『そのあらゆることから、脱け出して悟りを求める人』。
三人目は『あらゆることから、悟れた人』。
そして、四人目が『人びとを幸せにするためだけに、この世に居る人』じゃ。
たとえ話をしよう・・。
湖に漁師が網をしかけた。
賢い魚は、決して網にはかからない。
これは、人びとを幸せにすることだけを考えている人じゃ。
世俗の楽しみに、まったく興味がない。
ブッタなどの偉大な聖者たちの魂じゃな・・。
だが、ほとんどの魚は網にかかってしまう。
この中で、幾匹の魚は、逃げよう!と頑張る。
これが、悟りを求める人じゃ。
けれども、皆が逃げれる訳ではない。
世の中には、誘惑が多いので、逃げるのが難しいのじゃ。
後半に、つづくじゃ。
『寛弘寺古墳群と紺口県主(こむくのあがたぬし)』の講演に行ってきました

昨日、河南町の『近つ飛鳥博物館』にて、舘野和己館長による『寛弘寺古墳群と紺口県主ー古墳時代の地域と王権ー』という講演を聞いて来た。
寛弘寺古墳とは、自坊のすぐ近くの古墳である。
近くに住みながら、知らないことだらけの地域の歴史。
それを少しでも勉強せねばと思い行ってきたのだ。
うちの寺には、『寛弘山(かんこうざん)』という山号が付いている。
今回の講演会で判ったのは、この『寛弘(かんこう)』というのは、昔この辺りを納めていた豪族『紺口(こむく)』という豪族長の名が、訛って『寛弘』へと変化したのではないか⁈ということであった。
しかも、現在の古墳の規模は小さいが、当時の勢力は結構大きいものであったようだということが分かった。
僕は、土地の大御先祖様に恥ずかしくないような生き方をせねばと思いながらも暑さには耐えられず、ソフトクリームをなめなめ食べ食べしながら帰って来たのであった。
『石上露子を語る会』からの挿絵依頼
先々月、「石上露子を語る会」の会長・副会長さまがお寺に来られ、新たに(歌人、石上露子の)出版する童話本の挿絵を頼まれた。
これは、富田林市文化振興基本事業として、歌人・石上露子没後60年を記念する事業として『記念誌』を発刊することとなったからなのだ。
その記念誌の挿絵の部分を僕は受けたのだ。
大まかには、以前作った『紙芝居』を基に使いたいと思うのだが、「それでは、まだ『絵』が足りない」ということで、描き直しも含めて書いている。
締め切りは来月末までなので、まだ時間はあるが、いつどんな用事が入るかわからないので、できるだけ時間を見つけて描いている。・・・間に合いますように。・・会から絵のOkがでますように!

