現在制作中の紙芝居をいくつか発表します。
181作目『山伏・弁円と親鸞聖人』。
これは、有名な山伏の親鸞聖人暗殺未遂事件である。
182作目『蓮崇(れんそう)と蓮如上人』
以前から気になっていた悪僧と言われた僧侶、蓮崇を描こうと思っている。
183作目『南河内が生んだ大女優・ナニワの浪花千栄子女史』。
これは隣町、彼女の出身地、富田林の板持地区に行って現在、取材中。
乞うご期待!
[管理用]
記事一覧
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現在、制作中の紙芝居
東大坂:善林寺さまの新年法要
河南町介護者家族の会『さくらんぼ』新年会
観念寺新年法要in2020
明けましておめでとうございます。
寺カフェ忘年会
紙芝居:『富田林のはじまり~寺内町の話』(後編)

こうして『富田の荒れ地』の開発工事が始まりました。
周囲の四つの村から、各二名ずつ代表を決めて計『八人衆』で、お寺の建立や周りの屋敷の町割り、そして田畑の場所などを取り決め工事を開始したのです。
こうして[永禄四年]、寺内町は完成しました。
この町は、東西七本、南北六本の街路で区画された[13.3ヘクタール(東京ドーム約三つ分)の]町で、(興正寺という)お寺を中心に創られました。又、周りは堀などで囲み、夜は門を閉め、誰彼なしに入れないようにしました。(結果、野武士たちは入れなくなりました。)
そして町全体をお寺の境内とみなし、信者たちが平和な話し合いで物事を取り決めのできる『宗教自治都市』になったのです。
又、同じ宗教の[浄土真宗](本願寺)が織田信長軍と戦い、浄土真宗に味方した町が、信長軍に焼き払われる中、富田林寺内町は信長に逆らわず、お金を出して中立を守った為、焼き討ちに合わずに済みました。
宗教.寺院の威光を利用しながら、自分たち町民の事は、自分たちで決め、そして守るという、したたかさもあったのです。
こうして寺内町は、彼ら民衆で『富田林(とんだばやし)』と名付けられ発展してゆくになります。
そして江戸・明治時代を経て、富田林全体の商業中心の役割を担い、木綿業、材木商、清酒業などが大いに発展していきました。
戦乱の世に、自分たちの[極楽浄土]を作ろうと、庶民が立ち上がり、完成した町『富田林寺内町』。
今、令和の時代、寺内町はその歴史と文化の大きさから、『重要伝統的・建造物群保存地区』の指定を国から受け、新しい街づくりの試みが始まっています。
それでは、最後に寺内町で生まれ育った歌人『石上露子』の一首の歌でこの紙芝居を終わることにいたしましょう。
『今はとて 還りゆくべき古里は 哀しかりけり 恋しかりけり』 おしまい
紙芝居:『富田林のはじまり~寺内町の話』(中編)

各村の農民たちは、それぞれ代表を決めて集まりました。
「どないしまひょか⁈このままでは、我々はずっと泣き寝入りや。‥米は奪われ、家は焼かれる。・・それに兵隊には取られるし、年貢は取られても、ご領主は我々の命を守ってくれへん。」
「そや、武士に頼らん、我々だけの町を作るんや!」
「それはええ案やけど、そんな土地はどこにあんねんな?」
「ひとつ、あるでぇ!」
「えっ?それはどこや?」
「あの『富田(とんだ)』の芝地やがな!」
そこでみんなは、その土地を見に行きました。
「・・あの荒れた土地でっか⁈」
「そやがな、みんなで力を合わせたら、きっと立派な町が出来るで!・・みんなで銭出して、土地を買うんや。」
「けど、わしらお公家や武士やお寺さんと違うから、土地なんか勝手に買われへんで⁉」
「そや![興正寺(こうしょうじ)]の証秀(しょうしゅう)上人にお願いしてみよ。お上人にわしらの代表になってもらおう。・・お寺を中心とした新しい町づくりを頼んでみよう!きっと賛成してくれはんで!」
そこでみんなは、大阪の興正寺へ向かいました。
お上人は、農民の代表者たちに会われておっしゃいました。
「お前たちの言いたいことは、よう分かった。
荒れた芝地を、お寺を中心とした[寺内町]にしようというこっちゃな。・・武士たちの好き勝手な事の出来ん、自分たちで運営する平和な[極楽浄土]みたいな町を作ろうというこっちゃな。
ようわかった。賛成や。・・しかし、あそこの土地は確か守護大名の土地や。売ってくれれば良いが・・、銭は百貫文(今の約2500000円)ぐらいは出さんとあかんやろなぁ・・。お前らはお金の工面をせぇ。わしは交渉に掛け合うたる。」
そしてお上人を代表に、守護大名と掛け合い、『富田の芝地』を、農民たちは手に入れました。つづく


















