僕には息子が一人いる。(娘のほかに)
今、(理数科系の)大学を卒業して、サラリーマンをやっている。
息子は今、専門的な(技術職の)仕事のせいか、遠方で社宅(ワンルームマンション)での生活を、一人でやっている。
・・で、なかなかお寺には帰って来ない。(いろいろと忙しいらしい)
その息子が、(久々に)おととい帰って来た。
おそらく、『母の日』だったからに違いない。
それで、夜遅くまで(息子の仕事の事やら、こちらでの近況などをいろいろと)しゃべっていた。
僕は思ったのだが、やはり、就職して(社会に出た)ことは、良いことだと感じた。(たくましくなっていた)
もちろん、人間関係の中で、揉まれる事は大変なことに違いない。
しかし、長い人生の中で、どんな仕事をするに当たっても、人間関係の無い職場などはない。
つらい目にあったり、共に喜んだりして、人は育つものだ。
息子の話を聞いていて、人によって『育てられてるなぁ』と思った。
もちろん、僕は息子に『僧侶』になって欲しい。・・それは本音だ。・・宗教にも興味はあると(息子は)言っていた。(でも、その分、娘が得度をして「僧侶」になってくれてるから、欲張りなことを言ってはダメだとは思っている)
(息子には息子の)自分のやりたい夢があるのだから、それを奪う権利は僕には無い。
又、僕自身も父の期待を裏切り、酒屋にならず、僧侶になったのだから、息子に対しては何も言えない。
息子も、娘も、それぞれの一個の人格を持って、今を精一杯(いろいろと考えて)生きている。
「後を継いでくれ」とか言うのは、まだ早いような気もする。
後を継ぐとか、継がんとか、それは『縁』に寄るものだ。
僕も『縁』があったから、酒屋から僧侶になった。
仏さまに、すべてはお任せしよう。
そして、今は僕のできる事を精一杯させてもらおう。
息子としゃべっていて、そんな事を思った。