住職のつぼやき[管理用]

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筋ジストロフィー青年との会話記録 その3

 故・N君は詩人である。詩集も三冊出版されている。
 尾崎豊と宮沢賢治が好きだったN君・・。
 これは、そんな彼との会話記録である。

平成8年3月14日
 今回が初めての自分一人での病院訪問。はたして僕を覚えていてくれてるだろうか、少し不安であった。
 が、僕を見るなり「ああ、又来てくれたんですか・・」と言ってくれて一安心。
 今日は、彼が出版した詩集の話をした。
 一冊目の詩集は、彼が16~8才の頃に書き溜めた詩で、読ませてもらって思うのは、自分の病気に対する苛立ちや悲しみのエネルギーが噴出している感じがした。
 そして二冊目は、19才以降のもので、こちらは悲しみを通り越して、何か悟っているかのような感じで、他者への思いやりの気持ちや優しさが強く出ているような感じがする。
 そんな感想を彼に伝えたら、彼は「僕と云う《存在》は自然の中の一部であるような、そんな感じがするのです。・・体の動きが、前より不自由になって、書きたい詩の内容も少し変わったような気がしています。・・ひょっとして、兄ちゃんとの事も〔超えた〕のかもしれない。(N君の兄も同じ病気で小さい時に亡くなっている)」と言った。
 兄弟の間にどのような思い出があったのかは、教えてくれなかったが、少しN君の気持ちに寄り添えたような気がした。
 つづく

 


 

筋ジストロフィー青年との会話記録 その2

 前回からの続き・・
平成8年2月22日の記録
 ・・O先生に連れられて、N君(21才)に会うべく、僕は初めてT病院のY病棟に入った。
 大きなエレベーターで二階に上がり、六人部屋に入る。
 初めてN君に出会った時の印象は強烈であった。
 頭は普通の若者と同じぐらいの大きさなのだが、体は痩せ細り、腕も足も骨と皮だけのようであった。
 それに今は、口からモノを食べることができなくなっていて、胃に穴を開けて栄養剤を入れて生命を保っているということで、薄緑の液体の入ったガラス瓶からチューブが出ていて、体とつながっていた。
 この時、彼は髪の毛をわりと伸ばし、薄ヒゲで目だけがキラキラ輝いていた。
 O先生が僕を紹介してくださり、N君と僕のしどろもどろの会話が始まった。
 まず、受けた印象は、彼はとても頭が良くて、なんでも知っているという事であった。
 たとえば、僕に「なぜ、○○寺はよく内紛が起こるのでしょうねぇ。・・西本願寺はどうなのですか?」と、聞いて来た。
 彼はテレビや雑誌などから、社会情勢・政治経済・スポーツなどの情報を知っていたのだ。
 どう答えて良いか戸惑ったが、僕の知ってる範囲で答えた。
 こうして少し世間話などをして時間を過ごした。
 彼は繊細で、誠実な性格のように思えた。
「これは気が合うかもしれん」と思った僕は、「又来ても良いですか?」と尋ねたら、OKが出たので、ほっとして今日の所は帰ることにした。
 ・・こうして、僕と筋ジストロフィー青年N君との三年間に渡る交流が始まったのだ。
つづく

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