【御文章[第四帖九通]『疫癘(えきれい)の章』より】
昔むかしの室町時代。
この年[延徳4年(1492)]は、伝染病の流行により、多くの人々が亡くなっておりました。
そこで、朝廷は[明応]と元号を改めましたが、一向に事態は良くなりませんでした。
浄土真宗の本願寺第八代の『蓮如(れんにょ)上人』は、この当時流行していた伝染病にたいへん心を痛めておられました。
そしてご門徒たちに一通のお手紙をお書きになります。
それが『疫癘(えきれい)の御文(おふみ)』と呼ばれるものでした。
疫癘というのは、今でいう伝染病のことです。
ここある念仏道場も・・。つづく
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紙芝居:『蓮如上人からのお手紙~伝染病について』(その1)
「無常やなぁ〜」
「院主さん、親父が死んで三週間。世の中は無常やなぁ、オレ自身も無常やぁと思いまんねん。」と、お参りが終わってお茶を頂いてる最中に、ある檀家の跡取り息子さんがしみじみと言われた。
泣き言一つ言われた事の無い気丈夫な息子さんだったので、どうされたのかと聞いてみると、次のような事だった。
「オレは若い頃からヤンチャばかりして、ずいぶんと親父を泣かしました。が、親父が死んでなんか猛烈に後悔しましてん。もうちょっと孝行しとけば良かったと・・。で、よし、死んでちゃんと供養せなあかん!と思いましてんけど、三週間経ったらもう忘れかけてまんねん。
仕事の事やら、家族の事やら、遺産相続のお金のことやらで・・。親父の事をどんどん忘れてゆきます。院主さん、ホンマに無常やなぁ。オレ自身。」
少し[無常。常無らず]という意味を間違えているような気はするのだが、根本的なとこは当っているように思える。
しかし、そんな事は言わなかった。
僕は「そのお父さんを思う気持ちはちゃんと届いてますよ。」とだけ言って、その優しい息子さんの家を後にした。
「疫癘(えきれい)のご文章」から、「白骨のご文章」紙芝居へ
蓮如上人の伝染病についてのお手紙である「疫癘の章」の紙芝居は完成した。
それを何度も読み返しているうちに、人間の無常感を説く「白骨のご文章」にぶち当たってしまった。
そして歴史的に調べていくうちに、このお手紙は、[伝染病]が蔓延する社会情勢を鑑みて書かれたものではないだろうかと思った。
そう思えば、「これは是非紙芝居にしたい!」と、画用紙を引っ張り出して来てあっという間に、『蓮如上人からのお手紙2・白骨のご文章編』の下書きが完成した。
こちらももうすぐ完成します。又、アップしますのでよろしくお願いします!
コロナ禍の『報恩講』法要が終わりました
今年の『報恩講法要』は、ちょっと違う⁈
今月14日の観念寺『報恩講法要』は、いつもとはちょっと違います。
まず、時間が午後2時からのスタートです。(いつもは夜の7時でした)
そして、出勤して下さるお寺さんは(コロナ禍の為)お休みです。
又、布教使の先生もお休みです。(少し僕が『新作紙芝居』で法話をします。お題はこの日に間に合わせて完成した『蓮如上人からのお手紙~伝染病について』です。)
又、お勤めはいわゆる[内勤め]でします。・・観念寺の僧侶だけのお勤めです。
又、今回も二階の本堂から一階ホールにテレビ中継をして、ソーシャルディスタンスを守って、ご門徒さんにはご参加いただこうと思っています。
何分行き届かぬことばかりかと思いますが、よろしくお願い致します。合掌
河南町:介護者家族の会の会報に載りました
新作紙芝居『蓮如上人からのお手紙~伝染病について』制作中
今、『蓮如上人からのお手紙~伝染病について』という新作紙芝居を作っています。
これは応仁の乱期、後期の僧侶・蓮如上人が、当時大流行していた疫病について、『疫癘(えきれい=伝染病)の御文』というお手紙を書き、[念仏者が伝染病にどうに対処すれば良いか]を短く記しておられるものです。
現在のコロナ禍の中、我々がどう疫病に立ち向かえば良いのかを考えるヒントになるかもしれません。
完成すれば、アップしますので又良ければ見て下さい。合掌
宗教文化誌『法華』に載りました
河南町「老人施設内[古墳跡]」へのお参り
お彼岸最後の日は大雨であった。
そんな日に、寺の近くの老人施設内のある[古墳跡]記念碑にお参りを頼まれて行って来た。
これは毎年の行事なのである。
河南町は古墳が多い。
一般の住まいの近辺にも古墳はある。
雨の中でのお参りは大変だったが、何故か[古墳]の古代主のお方も喜んで下さったような気がした。







