住職のつぼやき[管理用]

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空(す)いている病院

僕は高血圧の為に二ヶ月に一回、病院に行かねばならない。 
診察と薬を貰いに行くのだ。
 で、今日も行って来たのだが、コロナ禍の影響か?院内は空(す)いていた。
 いつもは一時間程待たされるのを覚悟して、文庫本など持って行くのだがその心配も無し。
 すぐに診てもらえた。丁寧に扱ってもらえるのは嬉しいが、何故か寂しい。・・コロナの収束を早く願う。

紙芝居;『私が住職になった理由(わけ)』(後編)

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この話は冒険でした。
大阪とはいえ、広うござんす。
見知らぬ土地で、見知らぬ人達と一緒に住むというのですから・・。
しかも、妻と子供も一緒に来て欲しいというのです。(親とは離れて)
この時ばかりは悩みました。
 僧侶になったからには、一ヶ寺の住職になって自分流の運営をしてみたい。
 がはたして、こんなスタイルで生活が上手くやっていけるのか?
 又、いつかきっと老姉弟の介護の問題も起こってくるに違いない。その時はどうするか?
いろんな問題を想像して、それから妻と子供達と残してゆく両親と何日も話し合いました。
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そして最後に「やるだけやってみよう!」という結論に達しました。
 両親も「店の事は心配するな、いずれは閉める。行って来い」と言ってくれ、妻も「あなたの夢について行く」と言ってくれました。
 一方、お手伝いをしていたお寺も、ご子息さんが後を継ぐ事に決まり、心置きなく出発できる事になりました。
 そして平成10年の夏、引っ越し。
 見知らぬ土地での他人との同居生活が始まりました。
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がやはり、上手くいきませんでした。
 最初はお互い遠慮し合って、上手く生活していたのですが、その内、生活習慣の違いから話しがこじれ、やがて老姉弟は別居される道を選ばれました。(親戚の近所に家を買われ移られました。)
そしてお寺には私達家族だけが残りました。
 結果的には、後味の良いものではありません。がしかし、正直この様な選択しかなかったのです。
 こうして、私は「観念寺」の住職になりました。
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 今でも「これで良かったのか?」と悩む事があります。
 がしかし、観念寺の檀家さん達から「住職さん、これからこの寺を頼みます!」と言われる度に、責任を感じ身の引き締まる思いがします。
 ご縁あって、住職になったのです。
 これからも、檀家さんの為に、世の為人の為に、仏様の元精進して行きたいと思っています。ご縁ある皆様、これからも御鞭撻のほど、宜しくお願い致します。おしまい
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(終わりに)
平成18年、「宮本酒店」は閉店し、父も亡くなりました。母は健在です。
 又、お寺を守っておられた老姉弟も老衰で亡くなられました。
 現在、観念寺は私の娘が、次期住職として精進しております。
 もちろん、私も住職として、バリバリ現役です。

 最後に余談になるのですが、このお話では、私の弟が出てきませんでした。話がややこしくなるのでカットしたのです。(弟、すまん!優しい兄思いの弟です)
 現在、弟は三重県で、家庭を持ち公務員になって働いています。
 これで、第二部が終わりました。
 いよいよ、第三部は、何故?私が紙芝居を制作するようになったかを、お話します。題して「紙芝居事始〜私が紙芝居を始めた理由」です。

紙芝居:『私が住職になった理由(わけ)』(前編)

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 私が後悔しない僧侶の道で生きていこうと思ってから、何年かが経ちました。
 がしかし、相変わらず酒屋の二階に、家族(父母、妻と子供二人)と共に暮らして居ました。
さてこの紙芝居は、私がお寺の法務員(役僧)から、今のお寺(観念寺)の住職になるまでのお話です。始まり、はじまりー。
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 宮本酒店の規模は縮小し、父親一人でも運営出来るようになっていました。
・・というよりも、時代の波でお酒を置いたコンビニが増えだし、ウチのような小さな酒屋は縮小せざるを得なかったのです。
 私は相変わらず、お寺の仕事をしながら、酒屋の仕事も手伝っていました。
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 又それとは別に、休みの日には、その頃[仏教ホスピス活動]と呼ばれていた[ビハーラ活動]にも参加していました。
 これは、老人ホームや病院などへ宗教者が出向き、様々な奉仕活動をさせて頂くものです。
 私はこのような[宗教と福祉と医療]が共に手を携えて、社会の為に貢献してゆく奉仕運動が本来したかったのです。(ちっちゃな事ですが)
 この活動が私の運命を変えました。 
 ある日、このビハーラ活動の恩師から、次のようなお話がありました。
 それは、平成10年の春でした。
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 恩師は私に突然言われました。
「大阪は南河内に後継を探しているお寺がある。
 良かったらそこに来ないか?新住職として迎えるから・・」と。
 「・・ただし、」と話しは続き、
「すでに、その寺には留守番僧として、老人姉弟が住んでいる。
 その御老人達と暮らすのが、条件なのだが・・」と言われたのでした。つづく

泉南市:善照寺様への「報恩講法要」の[紙芝居法話]

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12月5・6日の2日間、関西空港近くの泉南市にある「善照寺」様の『報恩講法要』にお招き頂き、[紙芝居法話]に行って来た。
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コロナ禍で、法要開催が心配されたが、皆さまの熱いご要望で実現できたようだ。
 フェイスマスクを着け、お話する時間も短くして、二日間、紙芝居をさせて頂いた。
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 ・・やはり皆さん、コロナの中でもお寺にお参りをされたいようだ。
 二日目は本堂が満堂に近かった。
 僕は「親鸞聖人」の紙芝居はもちろん、コロナ禍なので『蓮如上人の疫癘(伝染病)の御文』や、コロナ禍太りの話を交えた『ダイエットの王様』などのお話をさせて頂いた。
 「楽しい、ありがたいお話をありがとうございました。」と何人かのご年配のご門徒さんからお声を掛けて頂き、手を振って笑顔を共にお寺を後にして帰宅したのだった。 
 善照寺の皆さま、二日間ありがとうございました。合掌

紙芝居:『私が僧侶になった理由(わけ)』(後編)

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 そして、私は午前中、法衣を羽織り[檀家参り]をして、
 午後からは(酒屋に戻り)、前掛けをして[お酒の配達]という[二足のわらじ]を履くという生活が始まりました。
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 やがて、檀那寺の御住職は腰痛の手術の為、病院に入院されました。
 するとやはり、私のお寺の仕事は増え、今度は酒屋の仕事が疎かになり始めました。
 父が怒り出しました。
 当然です。
 配達要員が居なくなったのですから・・。
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 父はそして堪忍袋の緒が切れました。
「商売をするのか、僧侶でいくのか?はっきりしろ!」と。
 私は最終通告を出されました。
 悩んだ末、私は恩師に相談に行くことにしました。
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 その恩師は私に言われました。
「人間というものは、いつか必ず死ぬ。・・それがいつかは分からぬが、その最後の臨終の時、『この仕事を選んで良かった』と思える道を選びなさい。君は酒屋か、僧侶か、どちらが後悔しないかな?」と言われたのです。
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 私はこの一言で、「後悔しない」と思う、僧侶の道を選びました。
 そして、父にも自分の意志をはっきりと言いました。
父はがっかりしていましたが、「お前が選んだなら、それで良い」と最後は言ってくれました。
 そして私は、正式にお寺の役僧(法務員)になったのでした。
 第一部、おしまい 第二部『私が住職になった理由(わけ)』につづく

紙芝居:『私が僧侶になった理由(わけ)』(前編)

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『お寺の出前 紙芝居屋亭』亭主の宮本直樹です。
 私は出前先で、「なぜ?在家(一般の家庭)の者が、お坊さんになったのですか?」とよく聞かれます。
 又、「なぜ?今のお寺の住職に?」とか、
「なぜ?紙芝居を作って演じるようになったの?」とかも聞かれます。
 ・・という事で、今回は[3部作]にして、その質問に「紙芝居」でお答えしようと思います。
 題して第一部、私の短い自叙伝もどき「私が僧侶になった理由(わけ)」から始めたいと思います。はじまり、はじまり〜。
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 私は昭和35年、大阪の小さな酒屋の長男に生まれました。
 店は私で3代目。当然、小さい頃は自分も大きくなれば、酒屋を継ぐものだと思っていました。しかし・・、
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いつの頃からか、宗教に興味を持ち、学校も仏教の大学を選んで進みました。
 大学卒業後は、結婚もして、酒屋の跡取りとして店を手伝い始めました。・・それが父親との約束でしたので。
 が、どうしても心は満たされず、神仏、そしてスピリチャルなものに常に向いておりました。
 ちょうど、そのような時・・.
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私の家にお参りにくださっていた檀那寺のご住職が腰痛を起こし、「お参りを空いている時間だけ手伝ってくれないか?」という話が起こりました。
 御住職には息子さんが居られましたが、まだお若かったのです。
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 「僕がお坊さんになる!?」というこのお話は、私自身の心の中のモヤモヤ感や闇を、照らす一筋の光に感じました。
 両親も「困っておられる檀那寺を助け、空いている時間だけなら良い。」と賛成してくれて、このお話をお受けすることになりました。
 後編へつづく。

豊中仏教会会員さま、来院

一昨日、豊中仏教会の役員さま二名がお越しになられた。
来年の二月に(コロナ禍の為、インターネット中継で行われる)「涅槃会の集い」の為の、私の作った[お釈迦様紙芝居]を写真撮影する為だ。
 写真を使われるのは、主に四門出遊の場面や涅槃の場面である。
「いつもなら、ホテルの会場を使って大々的に行うにですが、今はしょうがないですわ。・・インターネット配信の紙芝居法話が上手くいくか、緊張します。」と言って帰られたが、パソコンのプロの方々が多いようなのできっと上手くいくでしょう。
 来年の二月を楽しみにしています。合掌

今日の出来事

 何気ない今日の出来事を書かせていただく。
 主に・・檀家さん宅での出来事を短く。
 一件目、犬騒動の巻。
 仏壇前で読経中、何故か二匹の仔犬が僕にじゃれてくる。
 法衣は犬の毛だらけになるが、あんまり離れないので最後は膝の上にせて、片手に経本、片手に犬をなぜなぜしながら読経する。お家の奥さんは最初は注意してたが、そのうち笑ってしまい、そのまま・・。
 次回は何か対策をこうじなければと思いながら、玄関先で毛を払う。
 二件目、ご近所への不満話。
 いつもは、よくお話しをされるのだが、今日は静か。
 読経中も話しかけられない。・・読経中に話し掛けてくる方がおかしいと思うのだが、それはもう慣れた。これはいつもと違う。
 案の定、帰りに外に出るとついて来られ、ご近所さんへの不満話。身振り手張りを交えてなので迫力がある。・・溜まってたんや。自分の家族に聞こえないように、その近所の家には聞こえるように?外でお話されるのだが、僕は寒い。
 まあ、いつまで聞いてもキリがない内容なので、又来月とお別れした。
 まだまだ、三件、四件と話せば色々あるが、今日はこのへんで・・。

紙芝居:『白骨の御文章~蓮如上人からのお手紙2』(その4 最終回)

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『・・遺体はそのままにしておけないので、野辺に共に行き火葬する。
 すると、夕方から夜にかけて煙となって、後には白い骨だけが残る・・。
 あぁっ、なんと哀れな事じゃろう。
 ・・さてさて、死ぬことを考えると、人間のはかなきことは年寄りが先か、若者が後かは決まっておらぬ。
 だから皆さま方、いつかやって来る[死]というものを、常に忘れないようにして下され。
 そして、今を大切にして下されや。
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 もっとも大切なことは、極楽浄土へと導いて下さる[阿弥陀様]を頼りにして、お頼み申し上げることじゃ。
 それは、お念仏することなのじゃ。
 お念仏して下されよ。・・南無阿弥陀仏、なむあみだぶつ。
 ・・もったいない事、もったいない事。合掌』
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 こうして青木民部の縁者たちは、涙してこの『御文(おてがみ)』を味わいました。
「・・なんとっ、わが身に迫る無常な思いが心にしみる。
 蓮如さま、ありがとうございました。ナムアミダブツ、南無阿弥陀仏・・」と。
 その後、このお手紙は『白骨の御文章(御文)』という名で、ご門徒たちに広く伝わり、時代を越えて多くの人に拝読されることになったという事です。 おしまい

(ほんの少しあとがきを・・)
 以前、私の友達の僧侶から「蓮如上人の『白骨の御文章』は、蓮如さまのオリジナルではないよ。あれは、縁者にあたる[存覚(ぞんかく)]様と後鳥羽上皇の文章を基に、蓮如さまが作られたものだよ。」と聞いたことがある。
 僕は「へっ~、そうなの⁉」と聞いていろいろと調べてみたら、その通りであった。・・知らんけど、(笑)・・本当の史実はどうなのかは?
 ・・しかし、この文章の持つ響きや深さ悲しさは、蓮如上人が持つ人間的魅力(発せられるインパクト)にぴったりではないかと、この紙芝居ではあえて『蓮如上人からのお手紙』という題名にさせて頂いた。余計なことだけど少し足させていただく。

紙芝居:『白骨の御文章〜蓮如上人からのお手紙2』(その3)

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こうして蓮如上人は筆を取られました。(以下、現代語訳)
『さてさて・・、人の人生の移り変りをじっくり考えてみると、生まれてから死ぬまでの間は、幻のようにあっという間なのだ。
 なぜなら、この世に1万歳も生きた人などいないからじゃ。
 一生なんて、あっという間に過ぎてゆくのじゃよ。
 100歳になって、元気で過ごして居られる人なんて、本当にまれじゃ・・。
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死ぬのは自分が先なのか?
 他人が先なのか?
・・それも今日なのか?明日なのか?
 それもわからない。
 人の命は、草の葉先の露や根元にかかっている滴のように、遅い速いの違いはあれ、いずれは落ちて無くなってしまう。
 朝には元気な顔であっても、夕方には白い骨となってしまうような、そんな身なのじゃ。
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無常の風が吹けば、二つの目はたちまちに閉じる。
 そして息は絶える。
 その元気だった顔も美しさも失い、親戚や家族が集まって嘆き悲しんでも、どうすることもできぬのじゃ・・。』
つづく

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