
「おーよしよし、わしが育ててあげようのう。」と、白隠さまは赤ん坊を背負い托鉢に出て、お乳などを貰い歩きました。
この事件で、白隠さまはすっかり信用を無くしてしまいました。
しかし、白隠さまは何の弁明もせず、赤ん坊と暮らしたのです。
「お父様、ごめんなさい。どうかお許しください。私は嘘をついておりました。
あの赤ん坊は、白隠さまのお子では無いのです。
白隠さまのお子と言えば、許してもらえると思っていました。
・・なんと私は愚かであったでしょう。
どうか白隠さまにお詫びして、赤ん坊をお返し頂けるよう頼んではいただけませんでしょうか?!お願い致します。」
と、娘は良心の呵責に耐えきれず、ついに父親に本当のことを話しました。
びっくりしたのは父親です。
「なっなんだって!私はとんでもないことをしてしまった。」
「和尚さま、申し訳ございません。私の間違えでした。
失礼の数々、どうかどうか、お許しください!」と、父親は托鉢途中の白隠さまを見つけて、娘と共に深く謝りました。
そして赤ん坊を返して貰いました。
「ああ、そうですか。それは良かった良かった。ではその子を大事に育てて下さいよ。」と言って、白隠さまはそれ以上何も言わず、去って行きました。
その姿に父親と娘は、頭をいつまでも下げて見送ったと言うことです。
おしまい
次回は『武士と白隠さま』です。つづく
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紙芝居:『続・白隠さま』(その2)
紙芝居:『続・白隠さま』(その1)

第一部の紙芝居では、一人の僧侶が偉大な宗教者『白隠さま』になってゆくまでを中心に、お話させて頂きました。
さて、この第二部の続編では、有名な白隠さまの二つのエピソードを紹介させて頂きたいと思います。
それでは「白隠さまの赤ん坊」というお話からスタートです。
はじまり、はじまりー
[白隠さまの赤ん坊]
このお話は、白隠さまが駿河の国(今の静岡県)の松蔭寺の住職をされていた頃のお話です。
お寺の近くに、一件のお金持ちの檀家の家がありました。
この家で、ある事件が起こりました。
家の年頃の娘に、父親知らずの赤ちゃんが出来てしまったのです。
「馬鹿者め!いったいその子の父親は誰なんだ!言え、言えんのかー!」と娘の父親はカンカンです。
娘は焦って、口を開きました。
「はい、白隠さまです。」
「何っ?!それは本当か?」
そしてその数ヶ月後・・、無事に赤ん坊は生まれました。
がしかし、我慢がならない娘の父親は、娘から力づくで赤ん坊を奪って、その足で白隠さまのお寺へと向かいました。
そして、「あんた、偉い坊さんだと思っていたが、とんでもない坊主だ!さあ、責任を取れ!この赤ん坊を引き取れ!」と言って、赤ん坊を白隠さまに手渡し、さっと帰ってゆきました。つづく
紙芝居:『白隠さま』(その4 最終回)
紙芝居:『白隠さま』(その3)

悟りを開いた白隠さま。
・・がしかし、悟り開けども病気はします。(そうなんやなぁ・・,)
長い間の厳しい修行が、白隠さまの身体を病いで冒しておりました。
それは有名な医師でも治す事が不可能でした。
そこで白隠さまは、今度は自分の病いを癒す事のできる医者探しの旅に出ます。
そしてある日、京都の山奥の洞窟に住むという、医学に詳しい仙人の噂を聞くのです。
白隠さまはそこに向かいました。
白隠さまは山中を彷徨いながら、ようやく仙人の洞窟に辿り着きました。
「お頼み申します!どうかお救い下さい。私の病いを癒して下さい。」
仙人の名前は[白幽(はくゆう)]と言いました。
白幽仙人は「お前さん、坐禅のやり過ぎからなる[禅病]じゃな・・」と言って、白隠さまに[軟酥(なんそ)の秘法]という治療法を授けて下さいました。
それは、頭の上にバターのような栄養に塊りを置くという一種の[イメージ治療法]でした。
大雑把に説明すると、頭の上にバターを置くとイメージして、それが少しずつ溶けてゆきながら、身体の中の悪いものが全て溶かして、大地へと流して消して行くと想像する瞑想法でした。(余談ながら、僕も以前、これを実践した事があります。時間は掛かりますが、結構スカッとします。)
このイメージ治療法は、白隠さまを徐々に元気にしていったのでした。つづく
紙芝居:『白隠さま』(その2)

そして、白隠さまは若くして修行先の越後(新潟県)のお寺で、悟りを開いたのでした。
「私は悟りを開いた!天下でこのような境地に達したのは、釈迦以来、私だけだ。
もう何も怖くない!ワッハッハッハッ!」と思いました。
が、しかし・・
師匠は白隠さまの悟りを認めません。
「あんな師匠はダメだ!」と白隠さまは別のお寺を探して、自分の境地を解ってくれる師匠を探しました。
そして、自分と同じような境地に達したと噂の師匠を探し出し、自分の悟りに境地を話しました。するとその師匠から、白隠さまは鼻をつままれ、こう言われました。
「このおごっている天狗の鼻はこれか!
一度や二度の不思議を体験をしたからと言って、良い気になるな!この慢心ものめ!」と。
そこで初めて、白隠さまは自分の奢りに気がついたのでした。
「あれは小さな悟りであった!もっと大きな悟りを目指さねばならない!」と。
そしてさらに修行を続けました。
そんなある日のこと。
托鉢を断られてたたずむ白隠さまに、そこの家のお婆さんが「さっさと帰れ!」と怒りのホウキが白隠さまの頭に直撃!
白隠さまは気を失ってしまいました。
が、その一撃が迷っていた白隠さまに、大きな悟りへのスパーク(導火線)となったのです。
このきっかけによって、白隠さまは本当に大きな悟りの境地に達したそうです。(悟った事の無い僕はようわからんねんけど・・)
この日、白隠さまは「悟りを開いた証明書」である印可(いんか)を、師匠から受けたのでした。つづく
紙芝居:『白隠(はくいん)さま』(その1)

昔、静岡県は[駿河(するが)の国]と呼ばれていました。
こんな歌があります。
「駿河には、過ぎたるものが二つある。富士のお山に、原の白隠(はくいん)」。
白隠さまは、臨済宗の『中興の祖』と呼ばれる立派なお坊さまです。
江戸時代の半ば、駿河の原(はら)宿(今の沼津市)に生まれました。
それでは、白隠さまのお話をさせて頂きましょう。
はじまり、はじまり〜。
白隠さまは、宿場町の大きな運送業の息子として生まれました。
幼き頃の名は[岩次郎]と言い、よく母親と共に近くのお寺にお説教を聴きに行っておりました。
そんなある日のお寺での事。
いつものように、住職がお説教を始めました。
「良いか、悪い事をすれば、あの世で閻魔大王に裁かれて地獄に落ちるんじゃぞ!・・たとえそれが子供であってもな・・、わかったかな。」と話されました。
それを聞いて、岩次郎は心の底から「地獄には行きたくない!」と思いました。
で、悩んだ末・・。
15歳で両親を説得して、出家することにしました。
「よし、私はお坊さんになって、これから一生懸命修行して、必ず極楽へ行かせてもらうぞ!」と誓うのでした。
お坊さんになった岩次郎は[慧鶴(えかく)]と名を改めました。
(が、この紙芝居では悟りを開いたのちの名である[白隠]で通します。)
それから白隠さまの修行の日々は続きます。
朝のお勤め、座禅、掃除、そして托鉢。
それは地獄に行かずに済む、悟りを求めた骨身を削るような修行でした。
そして、良い師匠を求め、全国各地の国を旅して巡り歩きました。
つづく
コロナ・セブン(日本編)

(188作『蓮如上人からのお手紙〜伝染病について』)
応仁の乱の頃の日本のお話。今も昔も変わりません。『疫癘のご文章』を紙芝居にしたものです。お上人も心を痛めておられました。
(197作『鬼となった元三大師』)
今も玄関先で見かける鬼のような疫病退散の元三(がんざん)大師のお札。これってお坊さんがモデルだったんですね。
(200作『決め手はワクチン!めっちゃ医師・笠原良策』
記念すべき200作目の作品。まさか、コロナ禍に、ちなんだ作品になろうとは思いませんでした。
いよいよ、コロナ禍にワクチン接種の予約が始まった事を記念して作りました。
コロナ禍が早く終わりますように!
コロナ禍の早い収束を願います。
終わり
コロナ・セブン(外国編)
コロナ禍が起こった為、制作予定に入っていなかった紙芝居を、二回に分けて(外国編・日本編の)七本、改めて発表する。
題して「コロナ・セブン」。
(183作『1665年ロンドン伝染病の記録』)
これは、デフォーの「ペスト」を元に作った作品。まだ、コロナ禍が始まったばかりの頃の作品であった。
(185作『チフスのメアリー』)
これも「無症状感染者」という言葉を初めて聞いて、作ろうと思った作品。
(186作『ハスラー博士の叫び「マスクを付けて命を守れ!」)
今も続くマスク装着生活。これを作った時、こんなにまで続くと思わなかった。
(187作「悲劇のゼンメルワイス医師「それでも手を洗え!』)
今では当たり前となった手指消毒液。この人のおかげなんですよねー。
つづく
内勤めの永代経法要
コロナ禍の中で・・
大阪府はコロナ禍の中、緊急事態宣言がまだ続いている。
こんな中、僕は毎日、細々と檀家さんへの月参りを続けている。
読経後の最近の話題は、皆さんのワクチン接種予約がどうにか取れたというお話が多い。
これは唯一明るい話題である。
早く、みんなにワクチン接種が広がりますように・・。
そんな思いで今、ワクチン接種の紙芝居を急ピッチで作っている。
早く、コロナ禍が終わりますように。みんなの笑顔が戻りますように!




