住職のつぼやき[管理用]

記事一覧

※画像をクリックすると拡大されます。

『やぃ われ!』・・・

 大阪市内から、《南河内》のお寺に引っ越して来て、約10年が経った・・。
 同じ《大阪府》ではあるが、〔大阪市内〕の方言と〔南河内〕の方言は少し違う。
 ・・それで、やはり僕は《他所(タショ)〔河内弁でよそ者の事〕》の人間なのだなと思うことがある。それは檀家さんの家の《ブッタン〔河内なまりで仏壇の事〕》に、法事などでお参りに行かせてもらった時、そこのご主人の僕に対しての〔はなし言葉〕と家族や親戚に対しての言葉使いが微妙に違うからだ・・。
 やはりそこに、僕に対しては分かりやすい言葉を使ってくださっているように感じる・・やんけ。しかし、親戚同士の会話からこっちに話を振られた時、わからぬ方言があり・・理解出来なかったり、たまにであるが寂しい想いもする。
 それでなんとか〔河内弁〕を初級コースぐらいはマスターしたいと思っていたら、ついに地元の本屋で『南河内ことば辞典 やぃ われ!』という本を見つけた。これは《富田林 河内弁研究会》という所が『構想8年 製作3年 塩漬け2年(本の帯に書いてある!)』をかけて生まれた『辞典』らしい。・・すぐ買った。
 これは実際にたいへん役に立つ本だ!(僕にとっては・・)。少なくとも英語の辞書より役に立つ。〔笑い〕
 長くなったが、おもしろいので、この本から少しその〔方言〕をピックアップしてみたい。
 まずこちらでは《本家・分家》の事を〔母屋(オモヤ)・隠居〕と呼ぶ。・・そしてこの〔隠居〕とは、『水戸黄門によく出てくる〔ご隠居〕様という〔引退した人〕の意味ではなく、独立・分家した家の事を意味するのだ』。・・だいぶ前になるが、実はこの意味が解った時は嬉しかった・・。(まるですべてのなぞが解けた推理小説のようで・・)
 又こちらでは〔世話をかける事〕を〔あやかす〕という。・・たとえば『ほんまに、えろうアヤカシまんなぁ』とは『本当にずいぶん世話をかけますねぇ』という意味になる。・・この〔あやかす〕の意味が解った時も嬉しかった・・(これ、ばっかり)。その他〔あらくたい(あらっぽい)〕・〔おとましい(めんどくさい)〕・〔せたらう(背中に担ぐ)〕・・などがあって切りがないのでこの辺でやめるが、この本は当分手離せないなと思う。まぁ〔せぇだい(精一杯)〕ワカラン言葉があったら活用させてもらいます!
 

寅さんの名(迷)言に感動!

 ビデオ・カセットの時代は終わり、今はDVD全盛の時代なのか・・、先日《レンタルビデオ屋》に行ったら、『男はつらいよ』のビデオがなんと一巻〔百円〕で売られていた。
 ・・それで思わず、何巻か買った。
 僕は〔渥美清さん〕のファンなので、ほとんどこの映画のシリーズは見てると思うのだが、改めてビデオを見たら、感心する言葉が多く、思わず何回か巻き直してメモした。
 今日はそれを一つを紹介したい・・。
 場面は〔寅さん〕と甥の〔満夫〕の会話である。
 悩める満夫が寅さんに聞く・・。「大学に行くのは何のためかな?」と。すると寅さんは「決まってるでしょう。それは勉強をするためです」と答える。
 それで満夫は「じゃあ、何の為に勉強するの?」とさらに質問を続ける。
 すると、寅さんはこう答える。「そういう難しいことは聞くなって言ったろう。・・つまり、あれだよ、ほらっ。人間長い間生きてりゃ色んなことにぶつかるだろう。そんな時に俺みたいに勉強してない奴は、振ったサイコロの出た目で決めるとか、その日の気分で決めるよりしようがない。・・ところが、勉強した奴は自分の頭できちんと筋道を立てて、『こういう時はどうしたらいいかな』と考えることが出来るんだなぁ。だからみんな大学に行くんじゃないか」・・と。
 この言葉はドキッとする!・・僕は大学は出たものの、ちゃんと筋道を立てて考えず、その日の気分で流されながら今も行動して生きている・・。反省しかりだ。ちきしょうめ!このやろう!あかん、だんだん僕も〔寅さん化〕して来た。
 それでは、ここらで僕も〔寅さん流〕に反省するとするか。「・・想い起こせば、ワタクシ恥ずかしき事の数々、僧侶になった今もただただ反省と後悔の日々でございます・・。どうか愚かしき私ではございますが、御いっとう様、何卒これからもご指導ご鞭撻の程、よろしくお願い申し上げます。
 車 (直)次郎」 

法事の席で紙芝居、お通夜の席で紙芝居・・

 最近、あちこちで『紙芝居』ばかりやってるから、口コミで広がるのか、檀家さんからも『紙芝居』のリクエストがある。
 ・・たとえば先日も、「住職さん、今度の〔法事の〕席で、読経が済んだら『紙芝居』やったってくれませんか?子供等もぎょうさん来よるので・・」と頼まれたので、・・演った。
 その後、「やぁ~、楽しい法事でしたわー。盛り上がりました!故人もきっと喜んでくれてると思います」と言われて、喜んでいいのか、又《盛り上がっていいものなのか?》と思い・・複雑な気持ちだった。
 又、別の話・・。
 葬式屋さんから電話があって、先日お葬式をひとつ頼まれた。
 その時「いや~、住職さん、亡くなられた方の奥さんが〔うつ〕の状態でして、落ち込み方がひどいので、お通夜の読経が済んだら、ひとつ例の『紙芝居』を演ったってもらえませんか?」と頼まれた。・・証拠にもなく又その席でも・・演った。
 祭壇を背にして・・。
 それで、奥さんが和んでくださった。
 その後、オードブルやおすしを摘んで一緒に食事をし、故人のカラオケビデオを見たりして、べちゃべちゃおしゃべりをして盛り上がって帰ってきた。
 故人の奥さんと葬儀屋さんは喜んでくれたが、・・こんな風に『紙芝居』を使ってもいいのだろうか?と少し僕は悩んでしまう。
 でも僕には、結局こんな風にしかお慰めできないのだから、『まぁええか・・』と自分に言い聞かし、今日も無事に一日を終えるのであった。・・なんのこっちゃ。
 

紙芝居の展覧会

ファイル 76-1.jpg ファイル 76-2.jpg
 大阪は天王寺区に『應典院』というちょっと変わったお寺がある。このお寺、一見《美術館》のような形をしている。
 ・・というのも、ここのお寺の御住職は元映画プロデューサーで、感覚が《現代的アーティスト》であり、たとえば・・「お寺の存在価値って何だろう?」とか、「皆が気軽に寄れるお寺はどうあるべきか?」又、「お寺は芸術・文化の発信基地であるべきなのだ!」などと云う事を常に考えておられる。だからこのお寺では《仏事》を勤めるよりも、演劇会やコンサート、又は美術展などを開催している時の方が多い。(いつも若者がウジャウジャしてるホンマ変わった寺です)
 僕はラッキーな事に、この御住職と親しくして頂いていて、そのご縁で、三年前にここで《紙芝居展覧会》を開かせて頂いたことがある。
ファイル 76-3.jpg ファイル 76-4.jpg
 延べ九日間に渡る《展覧会》であったが、いつも『出前』に行かせて頂いている『老人ホーム』のお年寄りの皆さんや、僕の活動に賛同して下さっている『医療・福祉』関係の友人達も来て下さり、大変貴重なひと時を過ごさせていただいた。今思い出しても大変感慨深く、感謝感謝である。
 又、いつか機会があればこのようなイベントをさせて頂きたいなと思っている。(ご要望があればの話ですが・・?)合掌

『テレビに出た!』・・のか。

先日、T市内を車で走っていたら、『テレビに出た!』という宣伝文句が大きく屋根に書かれてある《たこ焼き屋》さんを発見した。(・・ちょっと寄って買いたかったが時間がなかったので断念した)
 これを見て、「僕も昔〔テレビ〕に出た事あるねんで!」と、《ブログ》に書いて自慢したくなった。(・・まったく僕は、このような嫌らしい根性を持ったセコイ僧侶でごじゃりまするが、まぁ話の種に読んで下さい)
 実はテレビには過去、二回出た事がある。ついでにいうとラジオにも出た。(別にこれはどうでも良いことだが・・これも自慢という事で許してね)
 一度目は『宗教の時間』という早朝番組で、二度目は夕方の報道番組である。・・それで、今回は『宗教の時間』について書く。
ファイル 70-1.jpg ファイル 70-2.jpg
 それは突然、テレビ局から「新聞であんたの記事を見つけたので撮影取材をさせて欲しい」という電話が掛かってきて、その後《番組ディレクター》が前もってちゃんと来られ、「老人ホームで自家製紙芝居を毎月やっている変なお坊さんの特集番組を作りたい』とその番組の趣旨を丁寧に説明してくださった。それで了解させてもらった。
 ・・撮影は二日間続いた。一日目はお寺で〔勤行風景〕・〔紙芝居を描いている処〕そして〔インタビュー〕などを撮った。そして二日目は、現場である《老人ホーム》の了解を得て、撮影は行われた。
ファイル 70-3.jpg ファイル 70-4.jpg
まず、僕が〔施設に入苑し職員に挨拶する所〕から撮影したいというので、ピンマイクを付けて入ったのだが、着物にマイクが擦れて音が悪かったというので、三回程ドアを出たり入ったりとやり直した。この時、役者さんてさぞかし大変なのだろうなと思った。
 そして〔紙芝居を演じている処〕とその後〔お部屋を訪問してお年寄りと会話をしている処〕を撮り、撮影は無事終わった。
 そしてオンエア当日、早起きして家族みんなで見た。
 もちろん、お寺の檀家さんにも宣伝しておいたのだが、後で聞いたら〔寝過ごして見れませんでした~〕と言われた方が結構多かった(笑い)。
 放送されてからの後日談だが、知らない方から電話が掛かって来たり、町で知らない人から「テレビ見たよ」と声を掛けてもらったりして結構うれしかったを覚えている。
 ・・こんな体験させてらったので、最初の《たこ焼き屋》さんみたいに『ここはテレビに出た《お寺》!』と掲示板に出して宣伝してみようかなぁ。・・でもやっぱりお寺というのは商売やないからヤメトコ・・。

聖徳太子の話の続き~『十七条憲法』を読む!

ファイル 68-1.jpg

 聖徳太子の生涯は『紙芝居』を通して前回簡単に述べた。
・・が、まだ書き足りない気がするので、今回は太子が作ったという『十七条憲法』を読むことによって太子の人間像に迫ってみたいと思う。
 そこには一千四百年前に作られたとは思えない程、《今でも通じそう》な内容が書かれてあり、太子は《何》を大切に《生活の指針》を築こうと考えておられたかが伺えるのだ。・・おもろいねん、これが・・。
 《書くに当たり勝手に『現代語』に直した事と、多少『省略』した事はお許し願いたい》
 
 一にいう。《和》を大切にし、人といさかいをせぬように。人にはそれぞれ付き合いがあるが、この世には理想の人間は少ない。・・だからお互いニコやかに、睦まじく話しあえば、自然と道理にかなってどんな事でもうまくいく。
 
 二にいう。篤く三宝〔仏・法・僧〕を敬え。いつの世も人も、この三宝を貴ばぬ者はない。(そうかなぁ~《笑》〔僕のつぶやきでした〕)思うに、救いようのない悪人など滅多にいないから、この三宝に帰依して教え導けば必ず従うだろう。

 三にいう。天皇の命を受けたら必ず従うこと。・・秩序が大切なのだ。

 五にいう。食におごらず、財宝への欲望を捨て訴訟を公明に裁け。

 六にいう。悪しきを懲らしめ、善きことを勧めよ。人の善行は隠すことなく知らせ、悪事は必ず改めさせよ。(あんたは〔桃太郎侍〕かい!)

 十にいう。怒りの気持ちを捨てよ。人は自分の心にとらわれ自分が正しいと思い、他人が間違っていると考えてしまう。自分も他人も共に賢い面と愚かな面を持っているのだ。・・自分の考えに道理があると思っても、人の意見をよく聞いて皆と一緒に行動せよ。

 十七にいう。物事は独断で行なってはならない。皆と論じあって行え。些細なことは良いが、大事を議論する場合はもしや見落としがあるかもしれない。皆で検討しあえば結論は道理にかなったものにする事ができよう。

・・どうでしたか?面白かったでしょう。「これって本当に『憲法』なの?」と思ってしまいますよね。・・まるで、、今でも書店に並んでいる『人間関係をうまくする為の方法』の本。・・の様ですよね。太子ってこんな事考えて奨励していたんですね。太子って本当に《理想主義者》だったのかもしれません。でも僕はこんな人こそ、今の政治家になってほしいなと思います。・・それはそうと、今も昔も人間って変わってないのかもしれまへんなぁ~。

「《ボランティア》なんて大嫌い!」

 先日、「・・住職さん、私、《ボランティア》なんて大嫌いなんです!」という言葉を、或る年配のご婦人からお聴きした。
 この方は一昨年、ご主人を〔老人ホーム〕で亡くされた。
 ・・そこで、今度は《お世話になった恩返し》と思い、この〔老人ホーム〕に自分が《ボランティア》として関ろうと決心されたそうだ。
 その《ボランティア》の内容は主に〔食事介助〕であったらしい。(これなら〔できる〕と思われたそうだ。)
 ・・が、すでに〔関わり〕を決意された時には、他の〔ご婦人グループ〕がボランティアとして入っておられた。だからこの方はその〔グループ〕に合流するという形で関わりを持たれたらしい。
 この〔ご婦人グループ〕というのが、いわゆる〔『ざ~ます』調の優雅なご婦人方〕の集まりであったそうで、その日のボランティア活動が終わったら、皆で高級レストランに行き、食事を取りながら、ワイワイとおしゃべりをされていたそうだ。このご婦人も〔雰囲気的〕に断れず、何度か食事を一緒にされたらしい。・・それは良いのだが、この食事中の会話が嫌だったそうだ。
・・というのが、「私たちが《ボランティア》をしてやってるざ~ます。困ってる人を『助けてる』ざ~ます。私たちのお蔭ざ~ます。(なんかドラえもんの〔スネオ〕のママみたい)」的な会話ばっかりだったらしいのだ。
 結果的にこれが嫌になってボランティアを辞められ、一番先の言葉へと繋がっていく。
 《気持ちはわかる!》・・が、僕としてはここで、もうちょっと我慢して続けて欲しかった。実際そう言った。
 もうちょっとココで踏ん張れば〔金魚すくい〕の薄い紙が破けるように自分の気持ちも変化していったのではないかと思うのだ・・。 〔してあげる事〕によって、自分も沢山のモノを、そのお世話をした方から〔頂いている事〕に気づくかもしれない・・と思ったからだ。上もなければ下もない。すべて〔フィフティ・フィフティ〕の関係なのだ、と思う時が来たかもしれないと思ったのだ。

 ・・最初は誰でも仕方がないと思う。誰だって善い事をしたいという気持ちはあるし、それをすれば、その気持ちを誰かに話したい、誇りたい。また認めてもらいたいという気持ちが沸く!それが当たり前だ・・と思う。

 又、極端なことを言うが・・、《ボランティア》というのは〔究極的〕に考えたら僕は《エゴ》だと思っている・・。自分が楽しいからやっているのだと。・・僕はそう思って続けている。
 だから、特別この〔ざ~ます婦人〕のような人達を非難はしない。だからと言って好きでもないが。(毎回食事をおごってくれたら好きになるかも・・。〔冗談ざ~ます〕)

 さて、この今回の《ブログ》、段々とどこでまとめたら良いかわからんようになってきた。
 まだまだ書き足りん気もするし、さっさと終わってしまいたい気もする。
 いったい《ボランティア》って何なんだろう?・・ようわからんので、最後は『辞書』に助けてもらうことにする。
 そこには《公共福祉のために自主的に(多くは無報酬で)活動をする人》とあった。僕はこの《公共福祉のために》の次に《自分のために》という語句もくっ付けてくれた方が正直で良いと思う・・。
 ・・又、この語句の『《原義》は〔志願兵〕』と書いてあった。・・そやったのか、最初は《ボランティア》って、自分で志願した〔兵隊〕という(意味)やったのか。だからボランティアって簡単にいうけど、本来は〔討ち死に〕の覚悟を持ってやらなあかん事なのかもしれん。〔戦死〕しても〔危険な目にあっても〕自分で志願したんやから誰もせいでもないし・・。《ボランティア》ってやっぱり大変ざ~ますねー!オッホッホッホッ。

『《冷や汗》は突然に・・・』

 老人ホームでお話をするというのは、難しい事だと思う。
 『お寺の出前』をやり出して10年以上経っている今でもそうだ・・。
 今日はそんな〔出前の現場〕で《冷や汗》を流した三つの思い出をお話をしたいと思う。
 一つ目の《冷や汗》~それは『特養ホーム白寿苑』での事。
 それはまだ《法話会》を始めて2~3回目ぐらいの駆け出しの頃だった。
 僕がお話を始めたら、前列左の車椅子の老婦人が突然、「こんなん、つまらんわ!」と言って床につばを吐いて、僕の前をゆうゆうと通り過ぎて帰ってしまわれた。この時は体が凍りつき脇から汗が流れた。この後、何をどうしゃべったか覚えていない。・・が、帰ってから夜眠れなかったのは覚えている。(この時、僕は数年後にこの女性のお葬式をする事になろうとは夢にも思わなかった。・・が、それは又別のお話。)

 二つ目の《冷や汗》~それは和歌山の或る『特養ホーム』での事。
 この時は『紙芝居』の最中だった。最後列の老男性が、突然「何言うてるかワカラン!」と叫ばれた。しかし止めるわけにいかんので『紙芝居』をさらに続けたら、又「何言うてるかワカラン!意味がワカラン!」と叫ばれた。この時は額から汗が流れた。(この時から、僕は話はできるだけ〔シンプル〕に〔短く〕〔わかりやすさを心掛ける〕と決めた。)

 三つ目の《冷や汗》~それは『特養 甍』での事。
 確か《お盆》の意味を説明していた時だったと思う。前列の老男性が、突然何を思ったか、「・・長崎は~、今日も~、雨だった~・・」と大きな声で唄われ出した。僕は《お盆の話》どころではなくなり、「・・長崎のご出身ですか?・・あそこはチャンポンやカステラが有名ですね~」と受けて歌をストップさせ、この先どうやって又、《お盆の話》に戻そうかと汗をかきながらお話したのを覚えている。

 こうやって改めて思い出すと、まだまだこんな話はありそうだ。・・が、今回はこの辺にしておく。
 ・・さて、突然起こるこのような〔ハプニング〕を色々経験し、果たして僕は精神的に強くなったのか?はたまた、ただの図太いあつかましいおっさんへと変っていってしまったのか?・・それはワカラン。
 ・・が、それにしても本当に〔ハプニング〕は突然起こってくるもの。・・確か歌手の《小田和正》の歌に『ラブ・ストーリーは突然に』というヒット曲があったと思うだが、まさに『出前流』に置き換えると、『《冷や汗》は突然に・・』という感じがせんでもない。「・・あの日~、あの時~、あの場所で~、君が叫ばなければ~、この僕はいつまでも~、ただの気弱なおっさんのまま~・・(笑)」。

 

『お寺の出前』という名前の由来・・

 「『お寺の出前』って、素敵なネーミングですね!」と、(たまにであるが・・)言われる事がある。
 まだこの〔名前の由来〕をHPに書いていなかったので、ここに簡単に述べることにする。
 実はこの『お寺の出前』という名は、僕が考えたものではなく、和歌山の或るお寺の住職をされている〔Y本正廣〕さんという方が一番最初に考え出されたものなのである。
 この方は《えんの会》という〔宗派を超えて病院などにボランティア活動する団体〕の事務局をされていて、僕とは9年前の《日本ホスピス・在宅ケア研究会〔岡山大会〕》で偶然に知り合い、その時からのお付き合いなのである・・。
 Y本さんは大学時代、東京におられた。そこで《落語研究会》が主催する〔落語の出前〕という『出張・落語サービス』の名に感銘を受けられ、この〔お寺版〕を作ろうとパクられ、いや考え出されたのが『お寺の出前』という名の始まりなのである。
 僕はこの『お寺の出前』という名を聞いて感動した。
「なんと親しみやすい名前なのだろう!まるで《お寺》という権威(敷居の高さ)を感じさせない。僕が求めていたのはこれだ!」と早速、Y本さんに交渉して、このネーミングの使用の許可を得た。それで始めたのが『お寺の出前の会』なのだ。
 ・・そして会を解散した今でも、まだこの名前に愛着があり、『お寺の出前!(紙芝居屋亭)』と取り入れて使わせていただいている。
 ・・おエライ《大・寺院》の先生方からは「何が『お寺の出前』じゃ!お寺の権威を何やと思っておるんじゃ!」と今でもイジメられたりするが、僕はこの『お寺の出前』という名に大変誇りを持っているのである。

ここは地獄か、極楽か?

 3年前の話になるが・・。
大阪は西成区に釜ヶ崎、通称『あいりん地区』と呼ばれる地域があり、この場所に研修に行った事がある。
 この研修、名づけて《おっちゃんガイド釜ヶ崎研修ツアー》といい、主催は《釜ヶ崎の町再生フォーラム》という会が運営している。
その会の趣旨を簡単に述べる。
〔ホームレス問題やこの地域での町づくりについて、現地訪問をして学びを深め、それを通じて市民社会とこの地域との《架け橋》になる事〕とある・・。
そして、その方法は〔主に生活保護で暮らしてる《単身高齢者》と《再生フォーラムのスタッフ》が地域ガイドをし、そこに住んでいる人々の暮らしぶりや、人々が取り組むさまざまな活動について説明をする。〕・・とある。
このツアーに参加した。真冬でもあったのだが、参加者は3名だった。
 我々を《ガイド》してくれたスタッフは、この地域を舞台に描く漫画家でもあり、西成区労働福祉センター職員の〔ありむら潜〕さんであった。
ありむらさんの作品には『かまやん』という自由人が笑いを通して、〔あいりん地区〕で活躍する大作漫画がある。(写真参照)
ファイル 52-1.jpg
そして、もう一人の《ガイド》は、この漫画のモデルの一人であるNさんだった。
この御二人に案内してもらい、人やハトがごっちゃがえす〔労働福祉センター〕内や、野犬の多い〔四角公園〕、そして炊き出しで有名な〔三角公園〕、人のあふれる〔聖フランシスコ会〕、簡易宿泊所を改造した〔サポーティブハウス〕などを回らせていただいた。
正直、テレビでしか知らない世界を案内していただき、感動とともにその現実の凄さにショックを受けた。
 僕達を案内してくれたNさんが、最後に僕に尋ねられた。
「今日一日、この町を見てきはって、ここを〔地獄〕やと思いましたか?〔極楽〕やと思いましたか?」と・・。
仕事をせずにお酒を飲んで一日ウダウダしている人は一見〔極楽〕の中にいるように見えるが、凍死や餓死、そして喧嘩などで亡くなる可能性もあるので〔地獄〕のようにも思える。
僕は、何も答えることができなかった・・。
すると、ありむらさんがボソッと口を挟んだ。
「ここが地獄か極楽かはわからんけど、間違いなくココは《現実》です」と・・。
この言葉が今も頭の中にしっかりと刻み込まれている。
この体験から、夏の三角公園での《盆踊り大会》参加へとつながっていくのだが、長くなったので今回はここでひとまず終わり!又機会があれば、《あいりん地区》のことについて書きます。

上に戻る