住職のつぼやき[管理用]

記事一覧

※画像をクリックすると拡大されます。

「《ボランティア》なんて大嫌い!」

 先日、「・・住職さん、私、《ボランティア》なんて大嫌いなんです!」という言葉を、或る年配のご婦人からお聴きした。
 この方は一昨年、ご主人を〔老人ホーム〕で亡くされた。
 ・・そこで、今度は《お世話になった恩返し》と思い、この〔老人ホーム〕に自分が《ボランティア》として関ろうと決心されたそうだ。
 その《ボランティア》の内容は主に〔食事介助〕であったらしい。(これなら〔できる〕と思われたそうだ。)
 ・・が、すでに〔関わり〕を決意された時には、他の〔ご婦人グループ〕がボランティアとして入っておられた。だからこの方はその〔グループ〕に合流するという形で関わりを持たれたらしい。
 この〔ご婦人グループ〕というのが、いわゆる〔『ざ~ます』調の優雅なご婦人方〕の集まりであったそうで、その日のボランティア活動が終わったら、皆で高級レストランに行き、食事を取りながら、ワイワイとおしゃべりをされていたそうだ。このご婦人も〔雰囲気的〕に断れず、何度か食事を一緒にされたらしい。・・それは良いのだが、この食事中の会話が嫌だったそうだ。
・・というのが、「私たちが《ボランティア》をしてやってるざ~ます。困ってる人を『助けてる』ざ~ます。私たちのお蔭ざ~ます。(なんかドラえもんの〔スネオ〕のママみたい)」的な会話ばっかりだったらしいのだ。
 結果的にこれが嫌になってボランティアを辞められ、一番先の言葉へと繋がっていく。
 《気持ちはわかる!》・・が、僕としてはここで、もうちょっと我慢して続けて欲しかった。実際そう言った。
 もうちょっとココで踏ん張れば〔金魚すくい〕の薄い紙が破けるように自分の気持ちも変化していったのではないかと思うのだ・・。 〔してあげる事〕によって、自分も沢山のモノを、そのお世話をした方から〔頂いている事〕に気づくかもしれない・・と思ったからだ。上もなければ下もない。すべて〔フィフティ・フィフティ〕の関係なのだ、と思う時が来たかもしれないと思ったのだ。

 ・・最初は誰でも仕方がないと思う。誰だって善い事をしたいという気持ちはあるし、それをすれば、その気持ちを誰かに話したい、誇りたい。また認めてもらいたいという気持ちが沸く!それが当たり前だ・・と思う。

 又、極端なことを言うが・・、《ボランティア》というのは〔究極的〕に考えたら僕は《エゴ》だと思っている・・。自分が楽しいからやっているのだと。・・僕はそう思って続けている。
 だから、特別この〔ざ~ます婦人〕のような人達を非難はしない。だからと言って好きでもないが。(毎回食事をおごってくれたら好きになるかも・・。〔冗談ざ~ます〕)

 さて、この今回の《ブログ》、段々とどこでまとめたら良いかわからんようになってきた。
 まだまだ書き足りん気もするし、さっさと終わってしまいたい気もする。
 いったい《ボランティア》って何なんだろう?・・ようわからんので、最後は『辞書』に助けてもらうことにする。
 そこには《公共福祉のために自主的に(多くは無報酬で)活動をする人》とあった。僕はこの《公共福祉のために》の次に《自分のために》という語句もくっ付けてくれた方が正直で良いと思う・・。
 ・・又、この語句の『《原義》は〔志願兵〕』と書いてあった。・・そやったのか、最初は《ボランティア》って、自分で志願した〔兵隊〕という(意味)やったのか。だからボランティアって簡単にいうけど、本来は〔討ち死に〕の覚悟を持ってやらなあかん事なのかもしれん。〔戦死〕しても〔危険な目にあっても〕自分で志願したんやから誰もせいでもないし・・。《ボランティア》ってやっぱり大変ざ~ますねー!オッホッホッホッ。

上に戻る