住職のつぼやき[管理用]

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紙芝居:『1665年ロンドン伝染病の記録』(その1)

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(はじめに)
 もはや私たちは[新型コロナウイルス]と、いかに付き合っていくか⁈という段階に入ってしまった。
 現代の伝染病:コロナウイルス。
 そして、昔の伝染病:ペスト。
昔の話なのにどこか似ている・・いや今にそっくりなところもある。
 これは今から350年前、実際イギリスのロンドンで起こった伝染病の(小説風)記録『ペスト』を紙芝居にしたものである。
 原作は『ダニエル・デフォー』。
 おそらく、デフォーは自分のおじさんから聞いた体験談に感銘を受け、その後綿密な調査を基にして書いたものと言われている。
 それでは、はじまりはじまり・・。

 私の名前は、ヘンリー・フォー。
 17世紀のイギリス人だ。
 今から、1665年のイギリス、ロンドンで起こった「伝染病ペスト」の、私が見た惨事の記録を皆さんにお伝えしたい。
 この年1665年に大流行したペスト菌による死亡者は、約75000人。
 およそ、ロンドンの4分の1の人々が亡くなるという凄まじさであったのだ。 つづく

紙芝居:『山伏・弁円(べんねん)と親鸞聖人』(その6:最終回)

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ワシは思わず叫んだ!
「親鸞殿、只今よりこの弁円、山伏を捨てます!」と言い、短剣を抜いて髪の毛をバッサリ切った。
 そして「私を弟子にしてください!」と頭を下げた。
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 こうして、ワシは山伏・弁円という名前を捨てた。
 そして、親鸞聖人から『明法房(みょうほうぼう)』という新しい名前を頂戴し、念仏者として新たな仏教者の道を歩むことになったのである。
 おしまい

(これで終わる訳にはいかんコーナー)
 13世紀末、親鸞聖人讃仰の為に本願寺第三代覚如上人によって、著された伝記『御伝鈔(ごでんしょう)』。
この中に、弁円は登場する。
 親鸞聖人を暗殺しようとして、一人草庵に乗り込むが、一目聖人を見たとたん、そのあまりの尊さに感激し、玄関先で涙を流して弟子入りをお願いする場面でこの段は終わるが、(そんな奴おらんやろーとひねくれた僕は)どうしても納得できなかった。・・で、この紙芝居は、弁円に草庵の中に入ってもらい、親鸞聖人に自分の半生を少しお話をしてもらい、それで弁円が自分自身を恥じ、弟子入りすることにした。(覚如上人ごめんなさい。)
 それでも、まだこの物語はおかしいような気がする。
 決定的な、人が納得する何かが足りない。
 だいたいこの話は、弁円が一人で暗殺しに行く所からおかしい。
 昔も今も、暗殺するにたった一人で堂々と行くのがおかしいのではないかと思われる。
 これは暗殺ではなく、喧嘩をしに行ったのでないかと僕は感じた。
 そして相当、弁円は念仏の教えの知識を仕入れてから、乗り込んだのではないだろうか?いや、喧嘩をする以前に最初から、弟子入りもありと考えていたように考えてしまうのは考え過ぎだろうか?
 とにかく、その後、熱心な念仏者として一生を過ごしたという、この弁円は悪人にはどうしても思えなかったのだ・・。

 

紙芝居:『山伏・弁円(べんねん)と親鸞聖人』(その5)

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「山伏さん、お前さんの言いたいことはわかってるで・・。
 なぜ、加持祈祷は必要ないというのか⁈ってことやろ。
‥確かに、加持祈祷という方法もある。・・が、この親鸞においては必要なかったんや。
 わしも若い頃、お前さんのように修行をした。・・それは命がけのもんやった。・・が、わしは自力の修行では自分の苦しみを解決できんかった。・・わしは絶望した。
 そんな時、わしは[念仏]の教えに出会った。
 仏様の方から、こんなわしを『見捨んと救うてくれてる』という教え、『南無阿弥陀仏』の念仏の教えに出会うたんや。
 これでわしは救われたんや。・・わしに加持や祈祷はいらんかったんや。
 こういう考え方をわしは縁のある人に話しているんや。・・こんなけのこっちゃ。」
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「話はこれだけや・・。
 さぁ、わしをいかさま師やと思うんやったら、斬ったらええ!」と親鸞は言った。
 ・・ワシは思った。
『この正直な男はただものや無い。『誠の宗教者や!』と直感で悟った。
 そして、神や仏をワシの手下のように扱おうとしていた自分自身が恥ずかしくなった。
 その瞬間、ワシの両目から涙が出てきた。』つづく

紙芝居:『山伏・弁円(べんねん)と親鸞聖人』(その4)

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「ここか⁉親鸞の居る[稲田(いなだ)]の草庵は・・。」とワシはあやつの寺に到着した。
 「もし、親鸞という男がおどおどした態度を取ったり、へらへらしたような感じがしたら叩き斬ってやる!・・又、裏からこっそり逃げようとしたら、この弓で射殺してやる。」とワシは中に入った。
 「たのもう!親鸞と申す御方はおられるか!」とワシは大声で叫んだ。
 すると中から・・、
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 「何や⁉用事ですか?・・わしが親鸞や。」と声がした。
 そう、この男が親鸞だった。
 親鸞は堂々と出て来て、ワシをじっと見つめて言った。
「お前さん、山伏さんやな。わしを殺しに来たんか⁈顔見たらわかるで・・。まぁええ、中に入りなさい。
 仏に仕える者同士。まぁ、話しあってからでもエエやろ⁈わしを斬るのは⁈・・」と言った。
 ワシはこの言葉を聞いて度肝をぬかれた。つづく

紙芝居:『山伏・弁円(べんねん)と親鸞聖人』(その3)

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「弁円さま、信者たちが来なくなった訳がわかりました。
 信者たちは[親鸞(しんらん)]という、坊主の草庵に行っておるのでございます。」
「なにっ、親鸞っ⁉」
「はい、その坊主は京の都から流されて来たようで・・、そやつが言うには『加持祈祷はいらん。念仏一つで救われる』と、ほざいておるようでして・・。みんな、そやつのもとに参っておるのです!」
「なんだと、許さん!」
・・そう、その男の名は[親鸞]といったのだ。
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 ワシの怒りは頂点に達した。
「加持祈祷はいらんだと⁉・・念仏ひとつで救われる⁉そんな馬鹿なことがあるものか!・・そんなまやかしを言う坊主、親鸞!ワシが叩き斬ってやる!!」
 そして、次の日から[板敷山(いたじきやま)]という、親鸞らしき者が通るという噂の所で待ち伏せをした。
 しかし、親鸞は現れなかった。
 そこでワシは、あやつの草庵に向かうことにした。つづく

紙芝居:『山伏・弁円(べんねん)と親鸞聖人』(その2)

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‥あの男の事を語る前に、少しワシの話をしよう。
「えぇーい!むにゃむにゃ・・神仏よ、助けたまえ!」と、
ワシ等行者は、毎日護摩をたいて加持祈祷をしておった。
「弁円さま、ありがとうございます!」と、
お寺では、連日信者たちで大賑わいじゃった。
 ・・がしかし、ある日から、
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 その信者たちが一人減り、二人減り・・、
あっという間に、本堂はガラガラになってしまった。
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 ワシは悩んだ。
「なぜじゃ⁉・・なぜ、信者たちは来んようになったんじゃ⁉」
 その時、ひとりの弟子が入って来て、驚くようなことをワシに話し始めた。 つづく

紙芝居:『山伏・弁円(べんねん)と親鸞聖人』(その1)

(はじめに)
 山伏(やまぶし)[弁円(べんねん)]の話は、浄土真宗では超有名である。・・僕はいつか紙芝居にしようと思っていたが、その弁円のイメージが湧かなくて時間が掛かりやっと、ここにようやくできあがった。完成までに一度、[弁円]の故郷、茨城県に行って取材しようと思い計画を立てていたら、コロナウイルス騒動があってダメになってしまった。残念である。
 僕はどうしても[悪僧・弁円]のイメージが湧かなかった。だから、弁円の顔の絵はどこか優しい。目もうつろに描いた。
 このお話をご存じの方は、イメージが違うと言われるかもしれないが、僕の中の弁円は、心がまじめでどこか弱弱しく優しい。だから、弁円一人語り調の『つぶやき』紙芝居にさせてもらった。
 長くなった。それでは『弁円と親鸞聖人のお話』のはじまり、はじまりー。
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 わしの名前は、山伏の弁円じゃ。
 修験道の行者だ!
・・厳しい修行を乗り越えて、今は大先達になった。
 わしの仕事は加持祈祷(かじきとう)。
 つまり、神仏に祈って病気を治す事じゃ。
 住まいは、常陸(ひたち)の国(今の茨城県)の寺で、そこで、何人かの弟子たちと共に暮らして居る。
 又、信者からは尊敬を集め、慕われておった。
 ・・が、あの男が来てから、すべてが変わってしまった。
 そう、あの男が・・。つづくじゃ

紙芝居:『ダイエットの王様』(その4:最終回)

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それから半年が過ぎました。
 王様はこっそりと、寝室や着替え部屋などで間食をしようとしましたが、そのつど(手ごわい)侍従に見つかって失敗しました。
 今日も今日とて、お城のどこかで侍従の『人は自分の食事の適量を・・』という声が聞こえてきます。

 ・・そしていつしか一年が過ぎようとしていました。
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 今ではすっかりスリムになった王様がおりました。
 身体もすっかり元気になり、もう侍従がお釈迦さまのお言葉を言わなくても、食事の量を自分でコントロールできるようになっていました。
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 そしてハシノク王は長生きされ、その後も、お釈迦様のお説教をたくさん聞かれたということです。
 めでたし、めでたし。・・おしまい

[良い子は読まない方がよい、あとがき]
 この物語は、『雑阿含経』というお経を基にした(オリジナル)紙芝居である。
 この主人公[ハシノク王]は、古代インドの歴史上の人物で[コーサラ国]の王で(プラセーナジット王)とも呼ばれている。又、物語で語られていた通り、お釈迦様の大ファンであったことは確かである。
 この紙芝居ではハッピーエンドにしたが、実はこの王様の最後はハッピーではなかったらしい。
 実はハシノク王は、彼の息子とその晩年、仲が悪くなり、国を追い出されることになったようである。・・そして最後は、その追われた旅の途中に倒れ、哀れな死に至ったといわれている。
・・お釈迦様の教えは、ハシノク王の息子には届かなかったのか⁈ 又、その息子も悲劇的な最後を迎えたと云われている。実際はこのようなリアルな終わり方をした・・と一言付け足しておく。(人間の運命は、仏のお説教では変わらないものなのか⁈・・いや、変わった人達も多くいるに違いない。『お前はどうなんだ?』と仏様に問われているような気がする。)
 又、この紙芝居で出てくる『適量』とはどれぐらいの量なのか⁈紙芝居を作りながらずっと考え続けた。腹八分なのか⁈それとも腹七分か?・・そんなことを考えながら絵を描いていたら、腹が減ったのでおやつを食べ始めたら・・、家内に紙芝居と同じことを言われて責められた。
『住職は自分の食事の適量を知るべし。すれば、苦しみ少なく安らかに日々を送り、長生き出来る』と・・。うちの寺にも侍従がいる。本当におしまい
 

紙芝居:『ダイエットの王様』(その3)

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さて次の日。
 食事の時間がやって来ました。
 今日もたくさんのご馳走です。
「おっおっ、これは楽しみ楽しみ!」と王様は食べようとすると・・、
 侍従が「王様、ちょっとお待ちを!・・え~おっほん、お釈迦さまはおっしゃいました。
『人は自分の食事の適量を知るべし。すれば苦しみ少なく、安らかに日々を送り、長生き出来る』と。」
「おおっそうじゃった⁉・・ご馳走はこの半分で良いわ。トホホ・・。」と王様はしょんぼりして答えました。
 すると侍従は、「王様、何かお忘れではございませんか⁈」と言いました。
 「あぁそうじゃった。・・侍従、金貨一枚を受け取れ。」
「ありがとうございます!」と侍従はニッコリ。
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 そして次の日も、その又次の日も、侍従は金貨が貰えるものですから、決して忘れる事無く、王様にお釈迦様の言葉を伝え続けました。
 それから三か月後。
 王様はさすがに適量の食事が辛くなってきました。
「のう、侍従よ。たまには満腹になるまで食事を取ってみたいのう。」とつぶやきました。
すると侍従は、「それはなりません!王様。お釈迦様は言われました、『適量の食事は苦しみ少なく、安らかに日々を送る事ができる。』と。
確かに最近の王様は散歩に出られても、ゼェゼェと言われ無くなって来ました。良い事だと思われます。‥それに私も貯金がたまって来ました。・・こりゃ失礼!」。
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しかし、さすがの王様も我慢ができず、ある日、こっそり袋にお肉を詰めて散歩に出ました。
「しめしめ、今日は侍従もついて来ないし、森の中でたっぷりお肉を頂くぞ。」と一人言を言っていると、突然!
『人は自分の食事の適量を知るべし!・・』と森の中の木の上から声がしました。
「その声は侍従!」
「そうです、私です!王様っ」と、木の上から侍従が降りてきました。
「王様、間食はいけませんぞ!こうゆう事もあろうかと、休みを返上して、森の中を見張っておったのです。はい、王様、金貨一枚頂戴いたします。」
「ぬっぬっぬっ、おそるべし、侍従!」つづく

紙芝居:『ダイエットの王様』(その2)

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ハシノク王は、お釈迦さまの問いに顔を赤らめて答えました。
「はっはい、お釈迦様。お恥ずかしい話ですが、実は今日も無我夢中で食事を取っておりまして・・、大事なお説教の事を忘れてしまったのです。それで急いで参ったら、このように息が荒くなってしまいました。お許しください。とほほほっ。」
と。
 お釈迦さまはそれに答えて、「はっはっはっ、そうであったか。・・がしかし、食事に夢中になって、大事な事を忘れるというのはいけませんな。それにまた、少し肥えられましたか⁈話をするのも苦しそうじゃし・・。」
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 そして、お釈迦さまはおっしゃいました。
「良いですか、ハシノク王よ、よく聞きなさい。
『人は自分の食事の適量を知ることが大切です。そうすれば、苦しみ少なく、安らかに日々を送り長生き出来るのです。』」と。
 これを聞いてハシノク王は深く反省しました。
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そして、この話を一緒に聞いていたお付きの侍従に、王は言いました。
「これ侍従よ。今お釈迦さまは私に大事な事を教えてくだされた。
 侍従よ、今の言葉を暗記せよ。そして、これから私が食事をする前に、お前はお釈迦さまのように、この言葉を言っておくれ。そうすれば、その度ごとに金貨一枚をお前にやろう。」と。
 侍従は、「えっ、それは本当でございますか⁉・・喜んで!」と答え、この言葉を暗記したのでした。つづく

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