住職のつぼやき[管理用]

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紙芝居:「懺悔の聖者 覚鑁(かくばん)上人」(その5)

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 その結果、覚鑁上人は、わずか二か月間で、両方の座主の座を辞任してしまわれます。
 そして、お不動様のお堂に籠ってしまいます。
 この時、反対勢力と戦う方法もあったと思われますが・・、あえて御山(高野山)での戦さを避けられるのです。
 そして、もう一度(なぜ、こうなったのか?と)しっかり、自分自身を見つめ直す道を選ばれたのでした。
・・がしかし、覚鑁暗殺団の僧兵たちは、武装してお堂の中に乗り込んで来ました。
「覚鑁はどこじゃ!見つけ次第、殺してしまえっ!」と。
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 僧兵たちは、槍や刀を持って、お不動様のお堂に入って来ました。
 「おかしいなぁ・・。先ほど、覚鑁らしき坊主の姿が見えたのに、どこにもおらんぞ⁉ 
 あっあれを見ろ!不動明王が二つある!・・覚鑁め、不思議な術を使いおって、お不動さまの仏像に姿を変えたに違いない! おい、槍で突いてみろ!・・血が出た方がきっと覚鑁じゃ!」と、僧兵たちはお不動さまを、槍で突き刺しました。
 すると、不思議なことに、両方のお不動様から血が飛び散りました。
 「やっやっ、これはいかんっ!不動明王の罰をくらうぞ!皆の者、引けい引けいっ!」と(吉本新喜劇みたいに)逃げ出しました。
 こうして、覚鑁上人は命拾いしました。
 これは有名な、覚鑁上人身代わり不動尊(きりもみ不動)の伝説です。つづく
 

紙芝居:「懺悔の聖者 覚鑁(かくばん)上人」(その4)

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 覚鑁は、高野山で厳しい修行に打ち込み、様々な行を成就してゆきます。
 そして、わずか40歳で《金剛峯寺座主》、新たに建立した《大伝法院座主》に就任し、『弘法大師の再来』と呼ばれ、最高権力の座に登り詰めました。
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 そしてさらに、当時もっとも流行していた[浄土信仰]も、真言宗密教に取り入れるのです。
 覚鑁上人は言います。
「浄土に居られる阿弥陀如来様は、真言宗の大日如来様を中心としたマンダラの中に居られる。だから南無阿弥陀仏の教えも、突き詰めれば、真言密教の教えの一つなのだ。つまり同じものなのである。我々も念仏者と一緒に庶民の中に入り、人助けの為の活動をしようではないか。」と。
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 が、しかし、彼のあまりにも急いだ大きな高野山改革に、御山の僧侶たちは大反発、「覚鑁はとんでもないことを言いよる坊主じゃ!」と、覚鑁上人の命を狙い、排除しようとするのでした。つづく
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(高野山)

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