住職のつぼやき[管理用]

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紙芝居:「懺悔の聖者 覚鑁(かくばん)上人」(その3)

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 弥千歳麿は、お兄さんにその事(=父ちゃんカッコ悪いー!って事)を話してみました。
 お兄さんは言いました。
「そりゃ、父上は肥前の国では強くて権力を持っておられる。・・しかし、都のお役人の方が、父より偉いんだよ」と。
 それを聞いて「じゃあ、都の役人が世の中で一番強いんだね?」と言うと、
 兄さんは「違うよ。お役人よりもっと偉いのが天皇さまだよ」と言いました。
 弥千歳麿は「じゃあ、天皇様が一番偉いんだね」と言うと、兄さんは「それも違う。・・天皇様より偉いのが、うーん⁉お寺の仏様っ、うちの宗派だと[大日如来]様が一番偉いのさ。」と言いました。
 すると弥千歳麿は、「兄さんっ、僕は大日如来さまのようになりたい!」と叫んだのでした。 
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 やがて父が亡くなり、弥千歳麿は、出家することになりました。
 『僕は大日如来さまのように、きっとなってみせる!』と、彼は猛勉強し、京都の仁和寺で出家得度したのでした。
 彼のお坊さまとしての名前は《覚鑁(かくばん)》でした。
 やがて、覚鑁は修行する中で、悟りを開かれた(ある意味、大日如来のようになられた)《弘法大師空海》にあこがれ、20歳で高野山に上がり、さらに熱心に修行に励むのでした。 つづく

紙芝居:「懺悔の聖者 覚鑁(かくばん)上人」(その2)

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 ・・覚鑁上人。
 幼い頃は、弥千歳麿(やちとせまろ)と呼ばれていました。
 彼は、九州の[肥前の国]=(今の佐賀県)に生まれました。
 父は地方豪族の追捕使(ついぶし)。[今の警察庁長官]で、海賊などをビシバシ捕まえる凄腕であったそうです。
 「父上は凄い!かっこいい!」と、弥千歳麿は大変、父を尊敬しておりました。
 ・・が、しかし、
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 弥千歳麿は見てしまったのです。
 ペコペコ頭を下げて、カッコ悪い父の姿を。
 それは、父の上役の貴族役員が、都からやって来て、父をしかりつけている所でした。
 その時、父はただただ、ひたすら汗をかいて、あやまっておりました。
 この姿を見た弥千歳麿は、ただもう、たいへんショックでした。
 そこで・・。 つづく

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