住職のつぼやき

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根来寺の覚鑁(かくばん)上人について

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(和歌山県岩出市[根来寺(ねごろじ)])
 昨日、和歌山県の岩出市にある『根来寺』に行って来た。
 そう、ここは、新義真言宗の開祖[覚鑁(かくばん)]上人が建てたお寺である。
 覚鑁上人は、弘法大師空海の再来とまでいわれた(平安後期の)天才僧侶なのだが、ダークなイメージが強いお方でもある。
 それは、当時の高野山宗門の有り方に反発して、お山を下り、新たな宗門を開いたお方だからだと云われている。(今の政治の政党の中でもありそうな・・・。)

 お上人は、若くして高野山で厳しい修行をされ、宗門内の出世街道をひた走りに走り、やがて高野山のトップにまで登り詰め、宗門の大改革に成就される。
 ・・が、そのあまりに早い覚鑁上人の出世による他の僧侶の妬みと、大改革の反発が起こり、やがて高野山を下りざるを得なくなり、ここ岩出の地で[根来寺]を建て、新たなる宗門を開かれるのだ。
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 が、お上人は49歳の若さで、急な病で突然お亡くなりになる。
 覚鑁上人は、別名、[懺悔(さんげ)のお聖人]と呼ばれ、決して誰も責めず、たえず自分の心の中に目を向け、そして反省し、内観的な生き方をされた。(それはまるで、敬虔なクリスチャンのようでもある)
 そして、当時、一部の貴族のだけのものになっていた仏教を、庶民を救う為の宗教へと変化させようとされたのだ。
 ・・が、志半ばで倒れられてしまい、そのイメージはいつの間にか、歪曲されて現代に至った。
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(覚鑁上人ご廟所)
 又、覚鑁上人は、その当時、相対していた『密教』と『念仏信仰』との融合もお考えになっておられた。
 が、そんな極論は、とても当時、受け入れられなかった。(今でもやなぁ・・)
 が、が、その覚鑁上人の(宗教は万民を救う為のものである!という)思想が、やがて法然上人・親鸞上人の思想を生み出してゆくきっかけになったとも言われているのだ。(これはあまり知られていないのだが・・)
 僕は、今、そんな覚鑁上人に胸キュンなのだ。(ちょっと古いか、)
 で、昨日、覚鑁上人のご廟所(お墓)の前で、お念仏を称え、心の中で誓った。
 「微力、いや無力ではありますが、覚鑁様のお生涯の紙芝居を、いつかきっと作り上げます。そして、ご縁のある場所で、ご披露させて頂きたいと思います。よろしくお願いいたします!」と。合掌

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