住職のつぼやき[管理用]

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お盆への道!

 いよいよ、8月の『お盆参り月』に入った。
 1年間で一番忙しい月だ!
 僕の地域では、檀家さん宅への(11日~15日までの)『お盆参り』とは別に、9日に、檀家さんのすべての〔お墓〕へのお参りがある。
ファイル 146-1.jpg (写真参照)
 うちの地域では、小さな山ひとつが、村の全部のお墓になっているので、この日、半日(朝5時前からお昼頃まで)、山を登ったり降りたりしながら、炎天下の中、すべてのお墓参りをする事になっている。(もちろん、雨天決行である・・いや雨の方が涼しくて案外有難いような・・)
 この日の為に、(ボクサーではないけれど)体調を整える。 マジで・・。〔笑い〕
 今年は7月に入ってから、任天堂の〔wiiフィット〕を買ってきて、外で運動できない分、室内で《ランニング》などして身体を鍛えた・・!?。〔笑い〕
 又、アルコールもやめた。
 その甲斐あってか、3キロほど痩せた。
 これで、山を走り回る(時間がないので、走って移動しないと、昼までに終れないのだ!)ハード墓参りにも耐えられるだろう。
 又、体重を落とした分、長時間の〔正座〕も耐えられるに違いないと、・・とちょっとだけ思う。
 後は、〔キューピーコーワゴールドA〕と、〔リポビタンD〕に命を任せることにする。
(頼むぞ!栄養・ドリンク剤!)

さまざまな、それぞれの悩み・・

 〔お寺〕の仕事をしていると、さまざまな人と『ご縁』ができ、そして、さまざまな方が来院される。
 先日も、自死された若い男性のお葬式をさせて頂いたのが、ご縁で、その方の奥様とお子様達が、自坊にお参りに来られた。
 この亡くなられた男性は、仕事や人間関係、そして借金などの悩みを抱え、最後は、自ら命を絶つという選択を取られたのだが、・・後に残された家族はたまったもんじゃない!
 長い長い月日と時間、〔その事〕を引きずりながら、これから生きてゆかねばならないのだ。
 生活の心配もあるが、この残された家族の〔心のケア〕は、いったい誰がしてあげれば良いのだ!
 少なくとも僕にはできない・・。
 この亡くなられた男性のご両親は、今、この奥さんの事を怨んでおられる。
 もちろん、どうしようもない事だと解っていながら、「どうして息子に一番近いあなたが、察知して止められなかったのか!」と思っておられるのだ。
 親としては当然の気持ちであろう。
 でも、お嫁さんにも言い分はある。「死にたい、死にたいとあれだけ言っていた人なので、今は本当に楽になったろうなと思っているのです。あの人の気持ちが一番解っていたのは私です。・・でもやっぱり寂しく、つらいのです」という・・想いがある。
 僕は、その〔義理〕の親と子の間にたって、お互いの今の気持ちをそれぞれに聴き、お互いへ、その言葉のキャッチボールをしてあげるぐらいしかできない。
 今はただお話を聴き、一緒にお参りをするだけなのだ。
 この自死された方の奥さんは、今、毎日、亡くなったご主人への手紙を書いておられる。
 それを持ってお寺にお参りに来られるのだが、「この手紙、後はどのように始末すれば良いですか?」と聞かれる。
 それで、「今はそのまま大事に保管しておいて下さい。その内にお寺で〔お炊き上げ〕させてもらいますので・・」と僕は言っている。
 その手紙は、いつか、ご両親にお見せしてお話してあげたいと思っている。
 
 

淀川キリスト教病院・ホスピス病棟への出前

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 何年か前に、大阪の『淀川キリスト教病院』〔ホスピス病棟〕へ、《お寺の出前》に行ったことがある。 (写真参照)
 まず、この病院から、『出前』依頼の電話があった時に、僕が言った言葉は、「僕は仏教徒ですが、そちらにお話に行かせて頂いても良いのですか?」と云う言葉だった。
 答えはもちろん「OK」だった。
 ・・それは、この病院の名には《キリスト教》が入っているが、それは〔治療の精神〕を表すものであって、入院患者さんは、〔仏教徒〕や〔無宗教〕の方が多く、又、《信仰の自由》も大事にしているから・・らしい。
 でも、《僧侶》のかっこうでお話するにしても、やはり《キリスト教病院》ということで気を使い、『紙芝居』は、外国のお話で『幸福の王子』という、天使や神が登場するものにして、益々、違和感が倍増したかもしれない。〔笑い〕

 この〔写真〕は、エレベーター前の〔休憩談話フロアー〕で、ここを会場にして、各お部屋から《ベット》ごと移動してもらい、『紙芝居』を皆さんに見てもらった。

 ホスピス病棟は、自分の限りある《命》の時間を大切にされておられる方ばかりなので、言葉も一語一語噛み締めるように、こちらもお話したのを覚えている。
静寂の中で、不思議な温もりを感じさせる《淀川キリスト教病院・ホスピス病棟》・・。又、ご縁があれば、是非行かせて頂きたいと思っている。
 
 

『死ぬに死ねん』悩み?

 先日、或る『老人ホーム』であった実話!
 『出前法話』も終わり、後片付けをしていたら、一人の車椅子の女性が、職員さんと一緒に「話を聞いて欲しい」と来られた。
 その内容は「人が死ぬと火葬される。その火葬される時、熱くはないかと心配で、この悩みが解決しないと、『死ぬに死ねん』」という事であった・・・。
 笑い事ではなく、真剣な顔で来られたので、ちょっとまいった。
 ・・が、ここは、力強く言っとかんとダメだと思い、「大丈夫!お経の中に、人が死んだ時には《仏様》が、ちゃんと〔極楽浄土〕から、迎えに来て下さると書いてあります。だから安心して下さい。火葬されるのは、セミの抜け殻みたいなもんで、熱くも何ともないのです!」と、ちょっと大げさに言わせてもらった。
 「これで安心しました・・」と言われ、又、職員さんと一緒にお部屋に帰って行かれた。
 考えてみれば、我々が思うより、ずっと真剣に『老人ホーム』のお年寄りの方は、《死》を考えておられるのだろう。
 これからも、そんなお年寄りの悩みに寄り添って行きたいと思う。

もう少し、『血染めのお聖教』の話を・・・〔雑話〕

 昨日は『血染めのお聖教』の紙芝居を紹介させてもらったが、・・もう少し、このお話の雑話を書かせてもらいたい。
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 上の写真は、浄土真宗(本願寺派)の現在の『聖典』である。
 見ての通り《赤い》。
 これは『血染めのお聖教』の話から、聖典の色を《赤》くしたという説がある。(余談の余談だが、もちろん違う色の聖典もある!)
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 この《血染めの赤色・聖典》説を確かめたいと思って、以前、西本願寺に問い合わせてみたことがある。答えは『はっきりとは、わからない』との事だった。(・・ついでに、これは宝物なので見せられないとも言われた・・)
 そこで、そういう事に詳しい布教使の先生、何人かに聞いてみた。答えは『その言い伝えは聞いているが、はっきりとはわからない』と、皆から言われた。
 そこで、今度は《有名仏壇店》に、問い合わせたら、《仏壇店》の若社長も、「なぜ、浄土真宗さんの聖典は《赤色》が多いのか、私も以前から疑問だったんです」と言われ、それで、何社かの《聖典出版社》に連絡をして聞いて下さった。・・が、やはり答えは『その話は聞いてはいるが、よくわからない』とのことだった。
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この話の舞台、福井県の『吉崎御坊』跡にも行ってみて、資料館の方にも聞いたが、「『聖典』の色の事まではわからない」との事だった。
 (残るは『探偵!ナイトスクープ』に依頼するしかないか!?〔笑〕)

 ・・考えてみたら、『聖典』の色など、どうでも良いのかもしれない。
 しかし、この『命を懸けて護った血染めの聖典』の〔色〕の話は、『もったいない』を忘れ、〔粗末〕にモノを扱う現代人には、とても良い話だと思うのだがなぁ・・。
 
 ・・もうひとつ最後に余談。この紙芝居をうちの檀家さんに見てもらったら、賛否両論分かれた。
 賛成派「命をかけて、継承されてきた大切な教えのある事に感動した!」
 反対派「理解できない。一つしかない大事な命まで捨てて、一冊の本を護るなんてナンセンスだ」・・・。
 あなたは、どっち??・・

 

「どうして、お迎えが来ないのでしょうか?・・・」

 毎月、お寺の出前で行かせてもらっている《特養老人ホーム》で、毎回、玄関でお会いする(軽度?の認知症)の〔おばあちゃん〕がいる。
 この方〔仮にAさん〕は、いつも自分のいる○階から、車椅子で移動してエレベーターを使い、玄関前の職員室に来られているのだ。(一人でいるのが寂しいのだろう・・と思う)
 僕が僧侶の服装で、玄関から入って来るのを見つけられると必ず、こう言われる。
「まぁ、お久しぶりです。ごっ住~職さん。私、まだこのように生きております。・・どうして、早く(あの世から)お迎えが来ないのでしょうか?・・私は《業》が深いのでしょうか?・・早くお迎えが来る方法をどうか教えてください」と。
 毎回、毎回、毎回、毎回、僕はこの言葉を聞いているので、おそらく、職員さんは、その何十倍も聞いておられるのだろうと思う。
 ・・施設長さんは慣れておられ、この前もAさんが、このセリフを言われた時、「まぁAさん、その話、いっぺん一緒にお風呂でも入りながら、ゆっくり聞かせてもらえませんか?」と言われた。(この施設は屋上に露天風呂があるのだ)
 すると、Aさんは「まぁ、なんてはしたない!もう結構です」と言われ、去って行き、十分後には又同じセリフを抱えて帰って来られた。
 このAさんは、旦那さんを亡くし子供さんもおられない。
 ・・先月のこと、僕はこのAさんの話にちょっと食い下がってみた。
 「いつも言われる『《業》が深い』ってどういう意味なのですか?」と聞いてみたのだ。
 すると、「ごっ住~職さん、《業》というのは、自分のやってきた行いの事です。善い事をすれば善い結果が出る。悪い事をすれば悪い結果が出る。そういう事の表われをいうのです」とロボットみたいに淡々と言われ、その的確な答えに『まいった』と思った。・・しかし、自分のやってきた《業》の具体的内容まではまだ言われていない。
 そして、「私の《業》が深いのか、まだお迎えが来ないので、いっその事、自分の部屋から飛び降りて死のうと思ってるんです」と言われた。
 それで、「○階の自分の部屋から落ちて死ぬのは不可能やと思いますよ。下は芝生やし。痛い思いするだけ損やと思いますけど・・」と言うと、Aさんはしばらく考えられ、「やっぱり止めときます。今のは、年寄りの愚痴なのです」と言われた。
 「この人、どこまでわかって、モノを言ってるのか?」と不思議な感じがした・・。
 おそらく今月も又、顔を合わせたら『ごっ住~職さん!どうして・・・』の言葉が待っているのだろうなぁ・・。

『怨みを捨てて・・・』後日談

 昨日は、『怨みを捨てて・・・』という紙芝居をダイジェストで、紹介させてもらった。
 実は、この紙芝居について、もう少し述べたいところが(三つほど)ある。
 まず最初、経典では〔チョウジュ王子〕は〔長寿王子〕、〔チョウサイ王〕は〔長災王〕と漢字で書かれてあるのだが、設定がインドなのに中国人のような名なので、わざとカタカナの名前にした。
 ちなみに〔チョウジュ〕と書きながら、〔チェ・ジュウ〕ばっかり、思い出してしまった僕は、〔煩悩王〕だ・・。

 二つ目。このお話(経典)には、実はまだ続きがある。
 紙芝居の終わりでは、主人公の〔チョウジュ王子〕は、父の仇であった〔ブラフマダッタ王〕と和解し、自分の国を返してもらい、それから共に親睦を深めた・・という所で終わったのだが、実は〔ブラフマダッタ王〕はお詫びの証として、自分の娘を〔チョウジュ王子〕に妃にと嫁がせるのである。そして、やがて二つの国は大いに繁栄するという所で本当に終わる。
 これはこれで良いのだろうが、僕の心はひっかかる。
 和解までは良いとしても、お詫びの証として娘を差し出したというのは、いかがなものか?
 又それを〔チョウジュ王子〕は、どう思ったのだろうか?仇を許したとしても、その娘を妻とし、王子はどのような気持ちで妻を愛したのだろうか?
 僕なら心中穏やかではない。・・そんなことを描いた後に思った。

 三つ目。なぜ、仇が討てる瞬間に、父の言葉を思い出してしまったのだろうか?
 「それで良かったのか!〔チョウジュ王子〕!」と今でも《忠臣蔵》大好き人間の僕は思ってしまう。
 これについて、以前この紙芝居をした後、お客さんとディスカッションしたことがある。
 その方は言われた。「王子は無意識ではあるが、ずっと自分の心に、父の遺言が根を張り、《怨みに対して、怨みで返したとしても誰も幸せにはなれない。父も決してそれを望んでいない》と思っていたのではないだろうか?だから決行できなかったのではないか?」と・・・。今もこの言葉が僕の心に残っていて、僕を揺さぶる。
 無駄になるかもしれないが、大事なことはやはり言っておくこと・・それが大切な事なのかもしれない。

 ・・怨みの連鎖、それを止めるのは、やはり《怨みを捨てる》という方法しか、ないのだろうか?
・・そうなのですか?おシャカ様! どうか教えてください! オウ、マイ、ブッダ!!
 

《白寿苑》法話会、13年目突入!

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 平成8年から始めた、特養老人ホーム『白寿苑』での〔紙芝居〕法話ボランティア活動が、昨日でめでたく(自分で勝手に言ってますが・・、)13年目に突入しました!
 ここまで毎月一回休むことなく、やってこれたのは施設側の協力と、マンネリで進歩のない拙い私の話を、我慢強く聴いて下さっている〔入居者〕の皆さんのお蔭であるとしみじみ思っております。本当に未熟な私を育てて頂き、感謝、感謝です。
・・・そこで今日は、この12年間を改めて振り返ってみたいと思います。
 題して『忘れられない思い出ベスト5!』はじまり、はじまり~。
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○第5位、『緊張の中での第1回、食堂での法話会』(平成8年6月)。・・・今は多目的ホールでやらせてもらっていますが、第1回は〔食堂〕でやったんです!
○第4位、『テレビ局が来た!』(平成13年1月)。・・・NTV『宗教の時間』が取材に来ました。もうガチガチでした。
○第3位、『来苑途中でのパンク騒動』(平成14年9月)。・・・白寿苑に行く途中、車のタイヤがパンク!あせったが間に合いました。
○第2位、『台風の中での法話会』(平成10年10月)。・・・暴風雨の中、無謀にも頑張って行きました。着いた時、皆から拍手されました。
○第1位、『左肩骨折での法話会』(平成9年7月)。・・・昼間に自転車で転倒、骨折。しかし夜の法話会には、車の片手運転で行き、片手紙芝居という、これも無謀な曲芸師みたいな事をやってしまいました。(今考えたら、ここまでしなくても良かったのに・・と思います。あほみたい・・)  ・・・以上。
 振り返れば、ハプニングの時ばかり覚えているものですね。
 毎月一回の『紙芝居法話会』。これからも頑張ります!!

 

ポッキリ、コッキリ、ハッキリと・・・

 先日、近くに引っ越して来られた方から、《年忌法要》の依頼の電話があった。
 日時を決めて、それから『お布施』の話になった。
 そこで「お布施の値段をハッキリ言って頂けませんでしょうか?」と問われたので、僕は「皆さん、○○円ぐらいですかねぇ・・・」と答えた。
 すると、「えっ、そんな○○円ポッキリでいいんですか!」と言われた。
 その『ポッキリ』という言い方が面白かったので、僕は「はい、○○円コッキリです」と答えた。
 ・・すると「はっきり言って頂いて有難うございます」と言われ電話は終わった。
 お布施の値段を聞かれると、たいていの場合「お心持ちで結構です」と言ってしまうが、この言い方はひょっとすると不親切な言い方なのかもしれない・・・。
 これからは、「年忌法要は○○円ポッキリ、コッキリです。」と言う事にしようかなぁ・・・。
 言えるわけないかぁ・・・。
 

《父の死》を思い出して・・・

 僕の父は、おととしの夏に75歳で亡くなった。
 死因は肝臓ガンであった。
 父の病名を知らされてから、亡くなるまでわずか二週間たらずで、今思い出しても( 余り思い出したくないが・・)、あっという間の出来事だった。
 先日、本棚を整理していたら、告知を受けてから亡くなるまでの簡単なメモが出てきた・・。
 いつかは整理せねばと思いながら、ほったらかしてあった〔メモ用紙〕・・。良い機会なので、勇気を出してまとめてみたい。
 ○8月3日 足のむくみと腰の痛みが取れないとの事で、父の入院を家族で話し合い、今日、O病院に〔検査入院〕をする。
 ○8月4日 お見舞い。(元気そうな父の顔。退屈なので本を買ってきてくれとの希望。好物の柿の葉ずしをペロリと食べる。)
 夕方、病院からお寺への帰宅途中、母から携帯電話に緊急連絡が入る。〔肝臓ガンとの事。ガンはすでに心臓と肺の手前まで侵蝕していて、直る見込みはないとの事。〕 急遽、車をユーターンさせて病院へ返る。 
 午後8時、主治医の先生が待っておられ、母と娘と共に説明を聞く。レントゲンを見ながら、もう手術は不可能との事。来年まではとてももたないとの話を聞く。病院では処置できないので、自宅につれて帰っても良いとの話。又、最後は吐血し、器官がつまり窒息死をする可能性もあるとの事で、母は動揺。「このまま入院させて欲しい。又、余命も病名も告知しないで欲しい」と母は希望を述べ、今日は帰宅。 
 三重県の弟に電話で報告、途中涙が止まらない。
 ○8月5日 家族会議。僕は父の〔在宅死〕を希望。母も弟も最後は賛成する。ガン告知は父にはしない事に決定。
 ○8月6日 この日から弟は〔奇跡〕を信じ、あらゆる治療薬を買い始める。僕は、いかに人間らしく最後を迎える事が出来るかを、知り合いのホスピス医に相談しまくる。
 ○8月7日 僕たち兄弟夫婦で、〔在宅看護〕の為の日程の打ち合わせをする。又この日から、交代で病院に付き添う。
 ○8月8日 病院側の配慮で、父と二人でお風呂に入れた。頭を洗ってあげたら「極楽や~」と言ってくれた。
 ○8月11日 吐血の恐れがある為、胃を検査し入院が長引いたが本日、父退院。(・・ガンの進行は思ったより早く9月まで命が持つかと先生に云われる)
 ○8月12日 僕は〔お盆参り〕の仕事がある為休めない。14日まで、弟に付き添ってもらう事にする。
 ○8月14日 弟と交代。兄弟ふたりで父をお風呂に入れる。最後の親孝行か?
 ○8月16日 父の眼孔、閉じず。もう会話もできない。 
 ○8月17日 知り合いのホスピス医、南先生がスイカを持ってお見舞いに来てくださる。近所の主治医にもアドバイスをして下さった。本当にありがたい。明日がヤマとの事。 
 帰り際、「吐血の恐れはもうないだろう。眠るように亡くなるよ」と言ってくださった。
 ○8月18日 午前8時33分、往生。眠るように静かに亡くなった。

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