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紙芝居:「唯円房の恋」の『恋』について、もうちょっと考えてみる

 倉田百三氏の戯曲「出家とその弟子」を紙芝居にして、今、『全三部作』で掲載している。
 その第二部「唯円房の恋」を先日、発表し終えたが、もうちょっと(考えてみたい事があって)余談として補足したい。
 
 この「紙芝居」の中で、親鸞聖人が弟子の唯円房に言う。
(親鸞)「この世で、罪を作らぬ〔恋〕はない。」・・と。
 ここで、作者の倉田氏は、恋とは〔罪〕なものだと言っている。
 又、最後に、親鸞聖人の口を借りて「恋の中には、我儘(わがまま)がある。恋の邪魔をするものを敵にしてしまう。恋ほど〔排他的〕なものはない。」と、言っている。
 (納得できるような気がする。)
 
 ・・しかし、又、その逆のような事も言っている。
(親鸞)「恋は〔信心に入る通路〕だとわしは思う。 
 恋する時、人は不思議に〔純粋〕になる。
 つきつめれば、皆〔宗教的意識〕になるのじゃ。」・・と。

 これを統合すると、恋=罪なもの=我儘なもの=排他的なもの=悪いものになる。
 が、しかし、恋=信心に入る通路=純粋なもの=宗教的意識への門=善いもの。 ・・でもある、という。
 つまり、生涯に渡って幾多の激しい恋を経験してきた〔倉田百三〕氏は、恋とは、善でもあり悪でもある、長所もあれば短所もある、と考えておられたのか。
 覚せい剤の麻薬のような、使い方によっては痛み止めの役割をするモルヒネのような・・、それが恋だと言っておられる・・のか。
 
 しかし、これは、宗教小説(戯曲)である。
 であるから、宗教(信仰)とは(恋のようなもので)、ある意味、排他的な我儘なものであるが、これ以上、純粋なものもない・・と言っているのか。
 自分でも、何を言っているのか解らんような気持ちになってきたが、宗教の持つ《恐さ》と《素晴らしさ》は、宗教を仕事としている自分には少し理解できる・・ような気がする。

 ・・倉田氏は親鸞聖人に、こうも言わせている。
(親鸞)「わしは(恋を)良いとも、悪いとも言わん。
 ・・が、ただし、恋する時は〔一筋〕にやれ。わしが言えるのはこれだけじゃ。」と。
 自分勝手な結論であるが、恋も信仰も〔一筋〕にやる!・・そうすれば、その奥に潜む〔悟り〕のようなものが見えてくるというのか。  
 (恋と信仰の)すべてにおいて、「ちゅ~と半端」な僕には、何もわからない。
 一筋の難しさを思う・・。

 

紙芝居:「出家とその弟子(第二部 唯円房の恋)」 その5 (最終回)

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(親鸞)「唯円、泣いているのか?
 さぁ、きつく叱らないから、入りなさい。」

(唯円)「・・私は隠しておりました。
 嘘を申しておりました。
 どのような罰も受けます。すみません、すみません・・。」

(親鸞)「仏さまが許してくれよう。」

(唯円)「私の為に、皆の平和が乱れました。
 お師匠さまの申された通り、《恋》は罪を作りました。」

(親鸞)「恋の中には、我儘がある。
 恋の邪魔をしようとする者を敵にしてしまう。
 これが最もいけない。
 今度の騒ぎも、この我儘が原因だ。
 《恋》ほど、排他的なものはない。・・宗教と似たところがあるのぉ。」

(唯円)「あぁっ、私はどうすれば良いのでしょうか???」
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(親鸞)「・・それが、清い恋になるように、仏に念じよ。
 『甲を愛するから、乙を愛せない』というのではなく、万人みなが幸せになるような、仏様が衆生を見たもうような、そんな恋を成就してみよ。」

(唯円)「・・あぁ、私のしてきた事は、まったくギャグ・・いや逆でした。」

(親鸞)「そうじゃな。・・これはわしの経験から申すのじゃが、恋がお互いの運命を傷つけない事は、稀(マレ)なことじゃ。」
 だからわしは、恋は罪と申したのじゃ。
 唯円、お前はその女性を傷つけぬよう、又、他の人も損なわぬよう、自分の目も乱さぬよう、仏様に願いながら、その恋が成就するよう心がけてみよ。
 ・・それがお前の関所じゃ。
 後はすべて仏様のお慈悲にゆだねよ。
 わかったか、唯円。 南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・。」

(唯円)「はい、お師匠さま。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・。」

 さて、この『唯円房の恋』のお話はここまで・・。
 この先、〔唯円房〕と〔かえで〕との恋は、いったいどうなるかって?
 それは、〔第三部〕の『完結編』で解る事となります。

 それでは〔第三部〕をお楽しみに。 近々発表しま~す。 おしまい
 
 
 

紙芝居:「出家とその弟子(第二部 唯円房の恋)」 その4

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(老僧)「お聖人さま、かくかくしかじか・・でございます。
 私はお寺の為、仏法の為と思い、唯円を諭しました。
 が、言う事を聞きません。・・残念ではごさいますが、お暇(イトマ)を頂きとうございます。」

(親鸞)「・・私が悪いのだよ。許しておくれ。
 唯円がしきりに、『恋をしても良いか?』と聞いてきたのに、私は良いとも、悪いとも、言わなかった。
 そして『恋をするなら一筋にやれ』とも言ってしまった。
 ・・私の責任だ。」

(老僧)「お聖人さま、お考え過ぎでございます。
 お聖人は、恋する事を禁じなかっただけでございます。
 唯円は、自分勝手な解釈で、遊女と隠れ遊びをしていたのですよ。」

(親鸞)「いや、唯円には唯円の何か言い分があるのだろうて・・。あれはまじめな男だからな・・。
 お前達、どうか唯円を許し、お寺に残ってくれないか?」

(老僧)「しかしながら、私等はあの唯円とともに、この一つのお寺に棲む事を〔恥〕だと考えております。」
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(親鸞)「つまり、唯円は『悪人』だから許せんというのであろう。
(老僧)「・・・・。」

(親鸞)「・・さて、わしはお前達とともに長い歳月を過してきた。
 このお寺も、お前たちと一緒に『棟上』をした。
 あの時、わしはお前達とともに、五つの『綱領』を定めた。
 一番目は何であったかな?」 (注意: 実際にはこのような『綱領』はありません。)

(老僧)「はい。『私たちは悪しき人間である』・・でございました。」

(親鸞)「・・では二番目は?」

(老僧)「はい。『他人の悪を裁かぬ』でございます。」

(親鸞)「この『綱領』で、今回の事も決めておくれ。
 ちょうど私たちが、《自分たちの悪を仏様に許して頂いているように》、私たちも、唯円を裁かず、許さねばならない。
 お前達は唯円を憎んだ。
 その時、お前達はこの『綱領』に背いたのだよ。
 ・・・許しておやり。
 向こうの善悪を裁くな。
 そして、ただ『南無阿弥陀仏』と、仏様に許され生かされている事を感謝して、お念仏を申せよ。」

(老僧)「・・しかし、それは随分、難しゅうございます。」

(親鸞)「難しいが、一番尊いことだ。一番賢いことだ。」

(老僧)「・・・。 はい、やはり考えてみれば、我々が間違えておりました。 お聖人のおっしゃる通りでございます。
 唯円殿が、どのようにあろうと、私たちは許すのが本当でございました。」
(他の弟子)「はい、私たちも許します。(・・あぁっ、やっとセリフがありました。超うれしいっす。)」

(親鸞)「それを聞いて安心した。
 ・・そうとも、そうとも。人の心に浄土の面影があるなら、それはまさしく『許した時』の心の姿じゃ。・・○○合衆国大統領にも云わんといかんのぉ。
 さぁ、みんな、ここに唯円をつれて来ておくれ。
 わしは、二人で唯円と話したい。」

 つづく。 いよいよ次回、第二部の最終回。

紙芝居:「出家とその弟子(第二部 唯円房の恋)」 その3

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(唯円)「ただ今、帰りましたー。」

(老僧)「唯円殿、あなたを待っておりました。・・あなたはいったいどこに行って居られたのですか?
 先ほど、遊郭の女将(オカミ)が、エライ剣幕でお寺に来られましてな、『〔かえで〕はどこに居る?!・・唯円はどこじゃ!』と、大きな声で喚き散らし、散々悪態をついて帰ってゆきました。
・・あなたは、その〔かえで〕という遊女と本当に逢っていたのですか?」

(唯円)「はっはい。・・それは本当でございます。」

(老僧)「なななっ、なんとぉ、では、あなたは私たちに嘘をついて、外出していたのですね!・・ちょっと、奥の部屋にいらっしゃい!」
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(老僧)「唯円殿、気をつけてもらわねば困ります。
 そなたはまだ若い。遊びたい気持ちは解りますが・・、」
(唯円)「いいえっ、私は決して遊びではございません。
 私は真剣に、あの女子(オナゴ)を妻に迎えたいと思っているのです!」

(老僧)「唯円殿、その女子は遊び女ですよ。あなたは騙されているのです。」
(唯円)「いいえ、彼女は確かに遊び女ですが、心は純潔な女子です。・・仏様の話を好みます。 私は彼女を信じております!」

(老僧)「そこまで言うなら、なぜ、あなたは私たちに嘘をつかれた。 私はあなたの言うことが信じれません。 
 唯円殿、悪い事は申しません。その女子と別れなさい。
 もし、あなたがその女子と別れないのなら、・・私たちがこのお寺を出てゆきます!」

(唯円)「えっ!・・しかし、私は〔かえで〕と別れる事はできません。
 あなた方は、私と〔かえで〕さんの事を知らないんだ!!」

(老僧)「そうですか・・。仕方がありません。私は申すことだけは申しました。・・それでは、今から私たちは〔お聖人〕にお別れを言って出てゆきます。」
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(唯円)「あぁぁぁっ・・、なんと言うことだ! 私はいったいどうすれば良いのだ。 
 恋がこんなにつらいものだとは思わなかった!
 お師匠さまは、確か、恋とは《罪》を作るものだとおっしゃっておられた。・・・このような事だったのか!
 あぁっ、仏さま! 私は何も解りません! 
 今、私がやってる事は、悪い事なのでしょうか?!
 どうか、慈悲深き仏さま、私をお救い下さい!! オオッ、ママ、ママ~~(by昭和GSソング)。」

 唯円は、一人部屋の中で泣き続けました。・・さぁ、どうなる?親鸞(聖人)ファミリー? つづく

紙芝居:「出家とその弟子(第二部 唯円房の恋)」 その2

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 親鸞聖人に「恋とは何でしょうか?」と尋ねた〔唯円房(ユイエンボウ)〕は、次の日、お寺の僧たちに「ちょっと、お使いに行ってきま~す」と嘘をついて、一人〔かえで〕という名の女性に会う為、墓場までやって来ておりました。
 そう、唯円は、この〔かえで〕という名の、遊郭の〔遊女〕と恋に落ちておりました。
 
 ・・実は以前、ある『人助け』の為に〔唯円〕が遊郭に足を運んだ時、そこで偶然、〔かえで〕という遊女と知り合い、その後、不思議な縁でお互いが惹かれ合うようになり、愛し合うようになっていたのでした。
 しかし、唯円の《恋》は純粋なもので、この〔かえで〕という女性を心から愛し、いつか結婚したいとまで思っていたのでした。

(唯円)「あぁっ、遅いなぁ、かえでさん。・・ひょっとすると、あの遊郭の意地悪な女将に邪魔されて、外に出れないのかもしれないなぁ・・。」
 その時でした。
(かえで)「唯円さま、遅くなってすみません。お待ちになりましたか?」 
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(唯円)「ええ、えぇ、待ちましたとも。あなたを待つ時間の何と長いこと・・。又、心配もしました。あの女将に邪魔されているのではないかと・・。」

(かえで)「はい、それは本当です。女将さんは、唯円さまと私がこっそり逢っている事を薄々気づいています。 『あの金も払わず逢引する泥棒猫め!』と言っていました。・・きっと女将さんは、お寺に私と唯円様のことを言いつけに行くはずですわ。」

(唯円)「おのれぇ、あの女将め! 私とかえでさんとは、そんな汚れた関係ではない!・・もっと清いものだ!」
(かえで)「仕方ありませんわ。私は遊女ですもの。親の借金で売られて来たのですから。・・でも私、あなたから仏様の教えをお聞きした時、本当に救われました。地獄に仏とはこの事でした。」

(唯円)「あぁ、かえでさん。あなたをその地獄から救いたい。そしてあなたと夫婦になりたい!・・いったいどうすれば、それが出来るか?!」
(かえで)「私もそれを望んでおりますが・・。はぁっ、もうこんな時間!帰らなければなりません。」

(唯円)「私は必ず、あなたを妻にします。・・お師匠さまも『恋は一筋にやれ』とおっしゃいましたし。・・それではかえでさん、又、逢いましょう!」

 こうして二人は別れていきました。
 この後、大変なことが〔唯円〕を待ち受けているのでした。

 『唯円っ、明日はどっちだ!』・・ちょっと違うか? つづく。
 

紙芝居:「出家とその弟子(第二部 唯円房の恋)」 その1

 昔むかしの鎌倉時代。
 親鸞聖人が、関東から京都にお戻りになられた頃のお話。
 第一部のお話から、15年の歳月が流れました。
 さて前回、猟師(日野左衛門)の子であった〔松若〕は、仏縁遇って出家し、今は親鸞聖人にお仕えする若き僧侶となっておりました。そして、名も〔唯円房(ユイエンボウ)〕と名乗っていたのでした。
 これは、その〔唯円房〕の恋のお話です。
 はじまり、はじまりー。
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(親鸞)「おーい、唯円や。・・唯円は居らぬか?」
 と、お寺の中で親鸞聖人は(吉本新喜劇のはじまりのように)登場し、弟子の唯円を探すのでした。

(唯円)「あっ、はーい、お師匠さま。・・唯円はここにおります。」
(親鸞)「おおっ、唯円。そこにおったのか。何をボーっとしておるんじゃ。そろそろ、夕方のお勤めが始まる時間じゃぞ。」
(唯円)「あっ、そうでした。申し訳ございません。」
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(唯円)「あの、お師匠さま。一つものをお尋ねしても、よろしゅうございますか?」
(親鸞)「なんじゃ、改まって。・・何か、言いにくい事か?」
(唯円)「はっはい。・・恋とは、どのようなものでございましょうか?」

(親鸞)「えぇっ。・・う~ん、そうじゃなぁ・・甘くてすっぱい初恋の味『カルピス』のようなもんじゃ。」・・とは言わず、こう言われました。
(又又、親鸞)「恋とはな、『苦しいもの』じゃ。『罪にからまった』ものじゃ。・・この世で罪を作らぬ恋はない。」
 (唯円)「・・では、恋はしてはいけないものですか?」

(親鸞)「いけなくても、誰でも一度は恋をする。《関所》のようなもんじゃな。・・まじめにこの関所にぶつかれば、人は《運命》を知る。
 浮いた心で向かえば、ぐうたらになる。」
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(唯円)「では、《恋》と《信心》とは、一致するものですか?」
(親鸞)「恋は、信心に入る《通路》だと、わしは思っておる。
 恋する時、人は不思議に純粋になる。
 つきつめれば、皆、《宗教的意識》になるのじゃ。」

(唯円)「では、私も恋をしても良いのですね。」
(親鸞)「・・どうやら、お前は恋をしておるようじゃな。
 わしは、良いとも悪いとも言わん。
 ・・が、ただし、恋をする時は『一筋』でやれ。
 ・・わしが言えるのはそれだけじゃ。」
(唯円)「はいっ、お師匠さま。」
(親鸞)「よしよし、では夕方のお勤めに参ろうぞ。皆、待っておるぞ。」
(唯円)「はいっ。」
 
 さぁて、何やら、大事件勃発の雰囲気が・・。つづく

紙芝居:「出家とその弟子(第一部 悪をせねば生きれぬ人)」(その6 最終回)

(左衛門)「・・このままお別れするのは辛うございます。」
(親鸞)「会うは別れの初めです・・。もし、私を恋しく思えば、『南無阿弥陀仏』と称えて下さい。・・その念仏と共に私は居ります。・・それでは、一言も家の中でセリフの無かった弟子たちよ、そろそろお暇いたしましょう。」
(弟子A&B)「はい、お聖人さま。」
(左衛門)「そうでございますか。それではお身体お大事に。
・・あの~、このうちのせがれの〔松若〕でございますが、大変、仏さまのお話が好きでございまして、一度、お寺に伺わせて頂いてもよろしゅうございますか?」
(親鸞)「おぉっ、そうですか。どうぞどうぞ、いらっしゃい。・・それでは失礼致します。さようなら。」
(左衛門・お兼・松若)「お聖人さま、さようなら~。」
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 ・・さて、この息子の〔松若〕が、のちに出家し〔唯円(ユイエン)房〕と名乗り、親鸞聖人の大事なお弟子の一人となるのですが・・、それは又、別の(第二部の)お話。
 これにて第一部は、おしまい。めでたし、めでたし。

 《余話として》
ファイル 779-2.jpg(物語の舞台「沈石寺」)
 茨城県常陸太田市上河合町に、この《倉田百三》氏の『出家とその弟子』の(物語の)舞台となったお寺がある。
 お寺は『沈石(ちんせき)寺』といい、次のような言い伝えが残っている。
 「1212年、雪の夜。〔日野頼秋〕という武士の家に、親鸞聖人が訪れた。 
 そして聖人は、一夜の宿を請い願われたが、頼秋は「仏道を修する者が、雪や寒さを苦にして、安楽に宿をとるとは何事か」と追い出した。
 その夜、頼秋は、石を枕に念仏を称える親鸞聖人の姿を見て改心。そして帰依しのちに出家し、名を〔入西〕と名乗る。そして自宅をお寺に改築し『沈石寺』とした。」
ファイル 779-3.jpg(境内の親鸞聖人の碑)
 親鸞聖人の歌が一遍残っている。
『寒くとも たもとに入れよ 西の風 阿弥陀の国より 吹くと思えば』

紙芝居:「出家とその弟子(第一部 悪をせねば生きれぬ人)」(その5)

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(親鸞)「はい、それは〔阿弥陀(アミダ)如来〕という、仏様のお慈悲にすがる方法です。
 この仏様のお慈悲は、この世の善悪を超えて、働いて下さる〔お力〕があるそうです。・・つまり、私たちを〔悪いまま〕で助けて下さるのです。〔極楽〕へ導いて下さいます。
 それがこの仏様のお慈悲です。・・私はそれを信じております。いや、信じなければ生きてゆけません。
 これを〔他力〕の信心と呼ぶそうです。」

(左衛門)「なんと、悪人を悪人のままに救って下さる仏様とは・・。その仏様にすがれば良いのですね・・。はい、私は信じます。・・信じますとも。私にとっては有り難い!」

(親鸞)「しかしご主人、悪人を救って下さるとはいえ、喜んで悪事ばかりを成してはなりません。・・そこの所は、あなた様のような御方にはちゃんとお解かりでございましょう。」

(左衛門)「はい。よく解っております。・・それはニッポンの常識ですっ!いやいや、この時代にはまだ早い昭和の(お笑い芸人の)ギャグでございました。・・失礼しました。」

(親鸞)「今のは聞かなかった事にしまして、・・本題に入りましょう。
 実は、私もこの〔阿弥陀如来〕のお救いのお話を聞いた時、『これで私も救われる!地獄に往かなくても良い!』と思い、思わず泣きました。
 それから、私はずっとこの仏様を信じて、この仏様のお名前、『南無阿弥陀仏』と念仏を称えさせて頂いております。」

(左衛門)「お聖人、私もその仏様を信じとうございます。・・お聖人、もっと、その仏様のお話を聞かせて頂けませんか?・・いや、いっその事、私も出家させて頂けませんか?弟子にして下さい!」

(親鸞)「それはいけません。あなたには、御内儀とご子息がおられます。養う家族がございましょう。・・思いとどまって下さい。
 私の信じている『浄土門』という教えは、在家のままの信心でもあるのです。商人は商人のまま、猟師の方は猟師のままで信じれる信仰なのです。形にとらわれてはいけません。心が大切なのです。
・・おおっ、もう夜が明けようとしている。・・そろそろ、お暇せねばなりません。・・このブログも長くなり過ぎましたし・・、いや一人ごとです。」 つづく(次回、最終回)

紙芝居:「出家とその弟子(第一部 悪をせねば生きれぬ人)」(その4)

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(親鸞)「はい、私は地獄はあると思います。
 私は人を傷つけたり、怨んだりした時、必ずこの報いは来ると思うのです。
 ・・しかし、同時に必ず、その地獄から逃れる方法があるとも思うのです。
 ・・でなければ、何の為に《仏さま》はいらっしゃるのでしょう。
 私たちは『自分が悪かった』と悔い改める時、そこに《不思議な力》(そんな気持ち)を感じませんか?・・私はそれが『仏様の力』だと思うのです。『仏さまの力』が働いて下っているからだ、と思うのです。」

(左衛門)「おっしゃることは解ります。・・しかし、私の心はすぐに『たちの悪い』怒りや怨みに占領されるのです。」
(親鸞)「私も同じですよ。それが人の心です。・・心はすぐに、他からの刺激によって変化してしまいます。」

(左衛門)「お聖人さま、聞いて下さい。私は善い人間になろうと努力しました。・・しかし、それは無駄なことでした。
 私は、獣や人を傷つけねば生きていけないのです。
 ・・それで、いつも自分を責めています。」
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(親鸞)「あなたの苦しみは、すべての人間が持たねばならない苦しみです。
 善くなろうとする人間は、皆あなたのように苦しむのが本当です。
 実は私は、理由(ワケ)あって九歳で〔出家〕しました。
 そして、二十九歳まで命掛けで、京都は比叡山で厳しい修行をしました。・・それは、善い人間になろうと思ったからです。
 しかし、ダメでした。その願いは叶いませんでした。・・私は絶望しました。
 それで私は〔人間は善く成りきることはできない〕と悟りました。
 絶対に他の命を傷つけずに、人は(人の中では)生きてゆけないのです。・・だから、私も悪人です。」

(左衛門)「あなたが〔悪人〕だとおっしゃる理由は解りました。
 ・・では先ほど、あなたは〔地獄〕はあるとおっしゃいましたね?
 あなたが悪人なら、あなたも〔地獄〕に落ちねばなりませんよね。
 あなたは〔地獄〕が恐くないのですか?」
(親鸞)「恐いですよ!・・地獄にしかゆけぬ自分である事が解っているのですから。
・・しかし私は、悪いままでも〔別の方法〕で『極楽』へ往ける方法があると、わが師『法然(ホウネン)』聖人から教えてもらいました。」

(左衛門)「えぇっ?それはいったいどのような方法なのですか?」 つづく

紙芝居:「出家とその弟子(第一部 悪をせねば生きれぬ人)」(その3)

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(お兼)「お前さん、大変よ! あのお坊さんたち、まだうちの屋根の下に居られますわっ!」
(左衛門)「何っ、すぐに入ってもらいなさい!」 
 そしてお兼はお聖人たちに、
(お兼)「・・なんと、まだうちに居られたのですか?!・・さぁさぁ、中に入ってくださいな。火にあたって身体を温めてくださいな」と言いました。
(親鸞)「おぉっ、それでは上がらせて頂きましょう。」
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(左衛門)「・・私はなんと酷い事をしたか。お許しください。」
(お兼)「この人、本当は気の弱い優しい人なんですよ・・。お許しくださいませ。」

(左衛門)「・・私は皆さんに、随分酷い事を致しました。・・酔っているとはいえ、自分のしている事、しゃべっている事が本当は解っていたんです。・・解っていながら、口から出てくる〔呪い〕の言葉を止める事ができませんでした。
 そして皆さんを追い出してから、すぐに後悔いたしました。すぐに謝りたいと思いました。・・しかし酔いの力で誤魔化してしまいました。
・・悪いと思っていながら、どうする事も出来ませんでした。」

(親鸞)「仏様の教えでは、それを『業の力』というのです。『皆、その力に強いられると抵抗する事ができないのだ』と仏様はおっしゃっておられます。・・誰もが皆、持つものなのです。
 だから私は、あなたを卑しいとは思いませんでした。」

(左衛門)「どうか、お許しください。」

(親鸞)「仏様が許して下さいましょう。・・だがご主人、私も突き詰めれば同じなのですよ。
 私もあなたに杖で叩かれ、雪の寒さで震えた時、あなたを怨もうとしました。
 私はあなたを〔呪う力〕と、闘わねばなりませんでした。
 私は決して、仏さまのような優しい心で、〔念仏〕している訳ではないのです。・・私の心も苦しみに囚われているのですよ。」

(左衛門)「・・あなたは変わっておられる。今まで私が出会った事のない性格のお坊さまです。・・あなたはご自分が〔悪人〕のようにおっしゃる。」

(親鸞)「はい、私は自分が〔悪人〕だと思っております。」

(左衛門)「えぇっ、そうなのですか?・・実は私も自分が〔悪人〕だと思って苦しんでいるのですが・・。いつかその報いで、死後に地獄に落ちるのではないかと、不安でたまらないのです。
 お聖人、教えて下さい。悪人は皆、地獄に落ちるのでしょうか? ・・いや、〔地獄・極楽〕世界というのは、本当にあるのでしょうか?」 つづく

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