住職のつぼやき[管理用]

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紙芝居『葛飾北斎と脳卒中の話』(その1)

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平和が続いた江戸時代後期。
浮世絵師・葛飾北斎(かつしかほくさい)は、江戸の下町に生まれました。
彼は持って生まれた絵の才能と努力で、当時一流の絵師になっていました。
 そんな北斎、お酒は飲めませんが、甘い物が大好きで不規則な生活、食事もたたり、今でいう高血圧でしょうか?‥それがやがて脳卒中(のうそっちゅう)という病気を引き起こす原因を作り出してゆきました。
さて、このお話は67才で脳卒中で倒れた北斎が、やがてその病いを、リハビリと独自の薬で乗り越えて、やがて後世に名を残すような絵師になってゆくまでを描いた物語です。
それでは、はじまり、はじまりー
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北斎の大好物は大福餅でした。
この日も散らかった部屋の中で、娘のお栄(えい)と共に、餅を食べながらお客からの注文の絵を描いておりました。
「あっ、痛たたた‥、」
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(東京・すみだ北斎美術館)
 つづく

紙芝居『一休さんvs蓮如上人』(その4 最終回)

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一休さんは、蓮如上人からの手紙を開けました。
そこには、
『極楽は十万億土と説くなれど、近道すれば[南無(ナム)]の一声(ひとこえ)』と書かれていました。
これを見て一休さんは声を出して笑いました。
「はっはっはっ、さすが蓮如上人。
極楽は遠すぎるというが、『南無(阿弥陀仏)』という念仏一つで、すぐに行ける。
そうじゃ、いかに極楽は遠くても、念仏一つでハイ、一っ飛び!じゃ‥とお経に書いてある。知らんけど。
蓮如上人はお経の意味がよーくわかっておられる。
この一休、蓮如上人に完敗じゃ。今からすぐにお酒を持って詫びに行くぞ!」
と、その足で蓮如上人のお寺に向かいました。
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こうして二人は、生涯渡って大親友となりました。
宗派の違いこそあれ、このお二人、そんな事はまるで関係無し。
 お釈迦さまの教えが結んだご立派な名僧たちでした。めでたし、めでたし。おしまい

紙芝居『一休さんvs蓮如上人』(その3)

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「よしっ、蓮如!
それではもう一つ、わしの問いに答えてみよ!」
と、一休さんはもう一通手紙を出しました。

「何っ!又一休さんから手紙が来たと。今度は何と書いて来たか?」と、蓮如上人が封を切ってみるとそこには‥.
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『阿弥陀経』の[極楽浄土(ごくらくじょうど)]について、述べられていました。
『極楽は、十万億土(じゅうまんおくど)と説くなれば、足腰立たぬ婆(ババ)は行けまじ』と。

『ふむふむ、極楽浄土は(十万億土と)ものすごく遠すぎて、足腰の弱いご老人には、とても行けないぞ。さぁ、どうする?』と聞いてきたか。
 あのトンチ老人め!よし、これがわしの答えじゃ!』と、蓮如上人はすぐに返事を書きました。
つづく

紙芝居『一休さんvs蓮如上人』(その2)

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‥再び一休さん。
「おっ、蓮如さんから返事が来たぞ!
どれどれ、何と書いて来た。」と一休さんは封を切りました。
‥そこには一首の詩のみが書かれてありました。
『阿弥陀には、隔(へだ)てる心なけれども、蓋(フタ)ある水に月はやどらじ。』と。
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一休さんは思いました。
「つまり、輝く月の光は、この世のどのような容器の水にも、その影を写(うつ)す。
だが、蓋(フタ)をしてしまった容器には‥、
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水は映(うつ)らない。
それは月が悪いのではない。
我々の方が、月の光を受け入れないのだ。
つまり、阿弥陀さまの慈悲を疑って受け入れないのだ。
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その蓋(フタ)を開ける、すると月影は映る。
‥つまり、『自力(じりき)』を思いを捨てると、『他力(たりき)』の阿弥陀さまは、たちまち救いとってくださるという事か。
はっはっはっ、蓮如上人見事な返答!そう来たか!」と一休さんは言いました。つづく

紙芝居『一休さんvs蓮如上人』(その1)

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昔むかしのお話。
とんちで有名な一休さん。
わかりやすくお念仏の教えを説かれた蓮如上人。
この二人、歳は20才程[一休さんの方が年上]離れていましたが、大変仲が良く熱い友情で結ばれていました。
‥でも最初はそうでもなく、激しい手紙のやり取り‥つまりバトルが繰り広げられていたようなのです。‥知らんけど。(いやいやそうらしいのです⁉︎)
それでは、その対決の模様を見てみる事にいたしましょう。はじまり、はじまりー。
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ある日、一休さんは思いました。
「‥最近、都でメキメキと人気が出てきた蓮如という坊主。
この京の都で一番人気はこの一休じゃ!‥このままではわしは二番になってしまうわい。二番はダメなんですっ!嫉妬するわい!
いつも阿弥陀さま、南無阿弥陀仏と称えておる蓮如とやらめ!一度、阿弥陀如来の教えを皮肉ってやろう。」と、一休さんは手紙を書きました。
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さてこちらは蓮如さま。
「何っ!あの一休さんから手紙が届いた。何であろうか?」
と、早速その手紙の封を切ってみると、そこには短い詩が一首書かれておりました。
『阿弥陀(アミダ)には、誠(まこと)の慈悲(じひ)は無かりけり。頼む衆生(しゅじょう)のみぞ助ける。』と。
「うーん、これは手厳しい詩じゃ。『阿弥陀様は慈悲深い仏様と言われるが、『南無阿弥陀仏』とお念仏を称える人だけ助けて、称えない人には知らんぷり、‥本当は無慈悲な仏様ではないのか⁈知らんけど。これはいったいどういう事かのう。』と皮肉っている。フーン、さてどう答えるか。どう返事を出すか。どうする、どうする‥」と蓮如さまは筆を持ち考えられました。つづく

紙芝居『悲劇の英雄ヤマトタケル』(その4 最終回)

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そして伊勢神宮の叔母の元に寄り、草薙の剣を無事に返しました。
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(草薙の剣を祀る熱田神宮)
しかし、この神の剣を早々に返してしまった事が、ヤマトタケルの油断になりました。
タケルの命を狙う者がまだ居たのです。
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それはヤマトタケル達が、滋賀県の伊吹山まで帰って来た時、タケルを怨む山賊達が突然襲って来たのです。
もう戦さは無いと油断していたタケルは、この戦さで大怪我をしてしまいます。
一説には、この敵をうまく誘導しタケル達を襲わせたの、タケルが無事帰って来る事を知った父や弟の仕業ではなかったか?と言われています。
結局、ヤマトタケルは家族からあまり好かれていなかったのでしょうね。‥と思います。知らんけど。
この大怪我が元でヤマトタケルは(三重県亀山市の)[のぼの]という所で死んでしまいます。
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伝説によると、ヤマトタケルが亡くなった時、白鳥に生まれ変わり、奈良の都へ飛び立ち、そして河内の古市(大阪府羽曳野市)で一度舞い降り休まれたと言われています。今も羽曳野市にはヤマトタケルの墓があります。現代の大阪の『羽曳野(はびきの)市』とは、「白鳥になったタケルが羽を曳(ひ)くようだった」と(まるで見て来たかのように?)言われる伝説が残り、今も『羽曳野市』という町の名前になっています。
又、白鳥が休んだ場所は実はもう一つあり、奈良にもタケルの墓があるのです。‥ヤマトタケルは奈良の都までどうにか生き延びて帰って来たのかも知れない‥と思いました。
それでは、悲劇の英雄ヤマトタケルが亡くなる時に、故郷奈良の大和を慕って歌ったと言われている詩を紹介して紙芝居を終わるとしましょう。
『ヤマトは国のまほろば、たたなづく青垣、山ごもれるヤマトしうるわし』(意味)「奈良のヤマトの国は素晴らしく良い国だ。重なりあう青い垣(かきね)山々に囲まれたヤマトの国よ、なんと美しい国なのか!」 おしまい

紙芝居『悲劇の英雄ヤマトタケル』(その3)

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その草薙(くさなぎ)の剣が、ヤマトタケルを助ける時が来ます。
それは相模の国(今の神奈川、静岡県辺り)に入った時、山賊達が罠を仕掛けてタケル達を草原に追い込み、火を掛けたのです。
「もうダメか!」と思った時、草薙の剣がビカリと光って炎を敵に向かって追いやったのです。
山賊達は驚き逃げて行きました。
それからこの場所は、『焼けた所』という意味の『焼津(やいず)』と呼ぶようになったそうです。
余談ながら、日本各地にヤマトタケルが足を運んだ場所がその土地の名前となっていることが多くあります。
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ヤマトタケルには多くの妻がおりました。
その一人『弟橘姫(おとたちばなひめ)』は、タケルの旅について来ておりました。
関東から東北へと、一行が船を使って上総の国(今の千葉県)に向かっていた時、大嵐にあってしまいます。
その時、弟橘姫が「私が海の神様の怒りを鎮めて参ります。」と言って、突然一人海へと飛び込んだのです。
タケルは驚き涙流しますが、不思議とそれから海は収まり、皆は無事に陸地に着く事が出来ます。
妻を亡くし、その悲しみのあまり、上総の国に着いたタケルは、しばらくその地を離れませんでした。それで、この地は『この地は君の為に去らずにいた』という意味の『木更津(きさらず)]と名付けられたそうです。
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やがて一行は、東北地方に到着しこの遠征は、無事に終わります。
長い旅はようやく終わったのです。
「さあみんな、都へ帰るぞ!今度こそ父上は私を誉めてくれるだろう。」とタケル達は帰還することになりました。つづく

紙芝居『悲劇の英雄ヤマトタケル』(その2)

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「そこの女、初めての顔じゃのう‥。もうちょっとこっちへ来い。」と酔っ払ったクマソは油断しました。
「今だ!」と、オウスは短剣を取りクマソの腹に突き刺しました。
「グググワァー!』と倒れるクマソ。オウスはとどめを刺そうとした時、クマソは虫の息で言いました。
「お前はヤマトの国の顔じゃのう‥。このわしを狙うとは、なかなかの奴。‥わしの名はクマソの国の勇者という意味の[タケル]じゃ。
わしを倒したお前は、ヤマトの国の勇者[タケル]じゃ。これからお前は[ヤマトのタケル]と名乗れ!クマソの国は、これからヤマトに従おう‥。」と言って倒れました。(虫の息ながら、よーく喋るやっちゃなぁー。余談)
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クマソを倒し、ヤマトタケルの名前をもらったオウスは、九州全土を従わせて、意気揚々と奈良の都に帰って来ました。
そして父の天皇に誉めてもらおうと報告すると、返って来た返事はそっけないものでした。
「お前、この父の許しも得ず、ヤマトの勇者『タケル』という名前をもらったそうじゃのう。勝手な事をしおって‥。それではヤマトタケル、次の命令を与える。明日から、関東、東北へ行って、我らに逆らう者達を征伐してまいれ!すぐに行くのじゃ!」と言われました。
「はっはい、父上‥」とヤマトタケルは頷きました。
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「父上はわたしを嫌っている。』と、涙を溜めて関東に向かったタケルは、休む間もなく再び出発したのでした。
その途中、叔母が巫女をしている伊勢神宮に立ち寄りました。
「叔母上、どうして父は私を嫌うのでしょうか?」
「お前の父は、そなたを嫌っているのではない。そなたが怖いのじゃ。‥いつかそなたに倒されるのではないか‥。」
「そんなバカな!?」
「きっと、いつの日か分かり合える日が来るでしょう。それまで、お前は元気でおらねばなりませんよ。
‥そうそう、お前に神の力が備わった『草薙の剣』を授けましょう。きっと、そなたを守ってくれるでしょう。」
「ありがとうございます。叔母上!」つづく

紙芝居『悲しき英雄ヤマトタケル』(その1)

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『英雄』って、どんな人でしょう!?
華々しく活躍し、カッコいい人!
今で言えば、二刀流の大谷翔平選手!?
ところで、日本初の英雄といえば、この人、ヤマトタケルの命。‥この人しか居ません。
それはまだ、日本が一つにまとまっていなかった西暦72年頃‥。
ヤマトタケルはその実力(武力)で、九州から東北まで行って日本の国を統一させました。
 しかし、それは大変辛いものでした。
それでは、その悲しき英雄の生涯を紙芝居で見てみましょう。はじまり、はじまりー
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ヤマトタケルは若い頃、オウスの命(みこと)と呼ばれていました。
オウスは、第12代景行(けいこう)天皇の息子として生まれました。
しかし、父の天皇はオウスの性格が荒々しい為嫌い、いつも遠ざけておりました。
そんなある日、天皇はオウスを呼んで言いました。
「オウスよ、今から家来を連れて、九州征伐に行け!肥後の国にクマソタケルという暴れん坊が居る。そやつは、わしの言うことを聞かんのじゃ!お前は、クマソタケルをやっつけて来い。」
「はっはい、父上。わかりました。」と返事して、出発しました。
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オウスは、九州の肥後の国(今の熊本県辺りか?)に着きました。
そしてクマソタケルの屋敷にこっそり忍び込みました。
‥が、警戒厳重でなかなかクマソタケルに近づけません。そこで、
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オウスは女装して、踊り子に変装してクマソに近づくことに成功しました。つづく

紙芝居『一休さんの遺言』(その3 最終回)

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そこにはたった一言だけ、
『心配するな、何とかなる。 一休』
と書かれてありました。
『シーーン』と静まる部屋。
皆、目をパチクリ、パチクリ。
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その内、皆は大笑い。
『さすがは和尚さま!‥これぞ、素晴らしいお智慧!』
「そうじゃのう、心配し過ぎてもどうにもならん。又それで喧嘩は持ってのほかじゃ!」
「何とかなるか!?‥その境地が大事じゃ!」
『正にその通り。和尚さまらしいお言葉、遺言じゃ!あっはっはっはっ‥』
「これこそ、一休和尚の最高の最後の教え!」
『皆の衆、喧嘩などしておってはいかん。難しい顔をせず、笑顔で話し合って次の住職を決めおうではないか。はっはっはっ』
『そうじゃ、そうじゃ』
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こうして次の住職は、笑顔のうちに無事に決まったそうです。
めでたし、めでたし。
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それでは皆さまも、困った時には、この一休さんの『遺言?』の言葉を称えてみましょう。
『心配するな、何とかなる』
ほらほら、いろんな心配事が消えてゆく‥ような気がしますね。知らんけど。 おしまい

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