
(福島県JR郡山駅)
前からの夢であった(東北)福島県被災地への「お寺の出前」が、友人の尼僧[笹邊さん]のお導きによって、昨日、ようやく実現した。
僕はまだ一度しか、東北の被災地に行っていない。(笹邊さんは毎月、(音楽ボランティアで)訪問されているのだから、凄い!)
それも僕の場合、その訪問時は、虚弱な(笑)肉体労働でしか復興の為のお手伝いが出来なかったので、いつか自分の紙芝居を被災地の皆さんに観て頂ける機会が来ないだろうかと、ずっと思っていたのだ。
それが、ようやく実現した。
実は、笹邊さん自身も、男の僧侶来望の声を避難所の皆さんから聞いておられ、解りやすく宗派にこだわらない話をする(変わった)僧侶を探しておられたらしいのだ。それが、今年の春の笹邊さんとの不思議な出会いから、トントン拍子に話は進み実現した。・・ほんま、待ち望んだご縁でした。合掌。
(川内村避難所(仮設住宅))
さて、不安な気持ちも持ちながら、早朝から新幹線を乗り継ぎ、JR郡山駅に着いたのは、お昼頃。
そこから、タクシーで、一路、川内村避難所(仮設住宅)へ。
(集会所)
こちらの避難所は、全国からのボランティアさんの来場が非常に少なく、「自分たちは忘れられているのでは?」という焦燥感を多くの方が持っておられ、「イベントを開いても、人の集まりは悪いのです。」と、お聞きしていた。
だから僕は、聴聞者は一人でも二人でも良いと思っていた。
しかし、ふたを開けたら、「ほんまもんの坊さんが、紙芝居を演じに来るらしい」と(変な)うわさがうわさを呼んだらしく、たくさんの方がお集まり下さった。(嬉しかった!)
(笹邊さんのピアノ演奏)
そして、まず笹邊さんのピアノ演奏で、会の幕は開き、皆で秋の歌などを唄う。
(小型紙芝居を実演)
その後が、僕の出番。
しかしまだ、どこか緊張感が抜けないような雰囲気だったので、僕は「吉本興行で有名な大阪の河内から来ましてん。だから、ガラの悪いのは許してくださいや。また、話に落ちをつけずはおられないのが、大阪の人間ですから、そこもご勘弁。」とまず、自己紹介したら、笑いが大きく起こって一ペンに場が和んだ。皆さんも緊張してはってんなぁ。
そして、一通り、僕は予定していた紙芝居を披露して、そしてオチをつけて法話を終える。
その後、帰りの新幹線の時間が心配であったのだが、茶話会ということで、色んな仏事に関する質問が出た。
でも、半分ぐらい、東北弁の方言が理解できず、笑いでごまかしてしまったが・・。あかんなぁ。
印象に残ったのは、今現在、放射線量の影響が薄くなってきた為に、(そのままの形で残っている自宅に)何度も帰れるようになったというお話だった。それで「自宅の仏壇のご先祖さまが、しっかり家を護ってくれてるような気がしているんですよ。」と言われたことだった。(うまく書けないが、これを方言で表わすと「ずぃたくのぉ、ぶっっあんさぁの、ごぉ先祖さぁまがぁ、すっかりと、うちを護ってくださってる気いがしてぇぇ、ありがていことだなっす」。・・こんな感じやったかなっす。)
そして、最後は「ありがてい話だった。今度はいつ、来てくれるかなっし。今度は泊まっていってけろ」と言われたのだが、僕は確実なお約束ができない為、「綺麗どころの皆さんが、僕の横に添い寝してくれるのでしたら、すぐに来るのですが。はははぁ。・・冗談はさておき、又、寄せて頂きますね。」と言って、お別れした。(いずれ、又!)
最後、集会所から、皆さん顔を出され、手を振ってお別れしてくださったので、照れくさい僕は、ここで最後のオチをと思って、「投げキッスの方が、うれしいのですけど!」とタクシーの窓を開けて言ったら、おばあちゃん方が、ほんまに皆で投げキッスをして下さった。 ・・冗談やがなぁなっす。
[管理用]
記事一覧
※画像をクリックすると拡大されます。
福島県:川内村避難所(仮設住宅)への出前
滋賀教区:蒲生下組門徒推進員の皆さまの団参

『関大校友会』への出前から、急いで帰って来た僕は、午後から来られる、同朋観光(株)の団体参拝バス旅行の皆さまをお迎えする準備にすぐ入らねばならなかった。
今回のお客様は、『滋賀教区』の「蒲生下組:門徒推進委員」の皆さまである。
おそらく、皆さま方は、お腹が一杯で眠たかったのではなかろうか?
しかし、せっかく南河内くんだりまで来て下さったのだから、しっかり紙芝居を観て頂いて、サービスせねばと思いながらも、いつものように僕は、ダラダラと前置き話をしゃべり続けた。(後で、坊守に「皆さんは前もって、(僕のことをパンフレットでちゃんと)予習して来られておられるのやから、くどくど自己紹介など喋べり過ぎ!」と叱られた。とほほ・・。すんません。
まぁ、でも、無事に終わり、最後は皆さんと共に記念撮影。
そして、バスの前でも記念の一枚をパチリ。
皆さん、お気をつけてお帰りになって下さいね。合掌
関西大学校友会への出前

本日、富田林市民会館で、『関西大学校友会(総会&同窓会)』が行われ、そこに「お寺の出前」に行って来た。
関大卒でもない僕が、卒業生の皆さまの前でお話するのは、たいへんおこがましい事ではあったのだが、「知り合いのお寺の総代さんが呼んで下さったんやから、まぁ、ええか~」と、軽い気持ちで、思いっきり言いたいことをお話してきた。
内容は、『稲むらの火』と『三尺三寸の箸』の紙芝居を入れて話して欲しいという事だったので、この二つはとにかく入れて、後は好きなことしゃべろっとって、感じで時間一杯使わせて頂いた。
その後、「一緒にお食事を、」と言われたのだが、今日この後、同朋観光(株)のバスツアーの団体参拝の皆さんが、来られる為、早々に引き揚げた。
今日のブログは、この後まだ、『団体参拝編』に続きます。
携帯電話を向けられて・・
檀家さんのお家で(毎月、)お参りさせて頂いていると、時々、思いもよらない噴き出してしまいそうになる事がおこる。
昨日も、それが起こった。
いつものように、僕はそこのお家のお仏壇の前でお勤めし始めると、横で座っておられる奥さんの携帯電話が、けたたましく鳴り響いた。
急いで電話に出られる奥さん。
どうやら、遠方に住んでいる息子さんのようだ。
「うんうん、今、住職さんにお参りしてもらってるトコや。聞くか?」と、奥さんは言われて、僕の真横にその携帯を思いっきり近づけられた。
・・びっくりしたやんけ。
そして、「なっなっ、聞こえたやろ。安心したか?」と言って奥さんは携帯を切られた。
読経終了後、奥さんは開口一番、「今の電話、息子でしてんよ。ええタイミングで電話してきましたわ。おじゅっさんのお経が聞きたいと言いよりましたんで、聞かせてやりました。『なんか、安心するわ』と言うとりました。はははぁ」と、言われた。
僕は、「突然、携帯向けはるから、びっくりしましたで。・・で、笑いそうになりましたよ。・・何やったら、携帯そのまま貸して下さったら、携帯に向けて読経しましたのに。はははぁ」と、僕も笑い返した。
そして「その方が有り難かったかも。」と奥さんは言われて、その会話は終了した。
しかし、ここのお家でのお参りは、時々びっくりさせられるような事が起こるなぁ。
そういえば、前も・・、いや、今回はもう書くのやめとこ。切りないわ。
羽曳野市:くすのきデイサービスへの(秋彼岸の)出前

(くすのきディサービス)
今日は、秋のお彼岸最後の日。
僕は、羽曳野市の[くすのきデイサービス]へ、(今回で六回目となる)「紙芝居法話」に行って来た。
なぜか解らんが、いつもここはリラックスして話すことが出来る。(・・その逆の施設もあるのですよ)
六回目でも、毎回、デイサービスの為、観客が変わるので、初めてと同じような感じでお話するのだが、とにかく、ここは観客のノリが良くて、よく喋られる。(・・今日も挨拶した次の瞬間に、「お宅はお坊さんなのに、なぜ髪の毛があるのですか?」と聞かれた。・・それって前も同じこと聞きはったよなぁ・・僕、覚えてまっせ。)
まぁ、とにかく、ここはお部屋の日当たりが良いせいか、午後のおやつの時間帯のせいか、ゆったりダラダラのんびりと喋ってしまうのだ。
(なんか、ダラーッとして喋っている写真)
それで、だいたいいつもは、30分ほど「紙芝居法話」をしたら、さっさと帰ってしまうのだが、ここはダラダラと余計なことまで喋り続け、質問コーナーと言って、お墓の相談や納骨のことなど、べちゃくちゃ喋り続ける。それで1時間以上居てたかな。
それで、帰りは、皆さんと仲良くなって、「気をつけて帰ってや」とか、「又、来てや。・・今度いつ来てくれる。来週か?さ来週か?、ぜったい待ってるから、同じ曜日に来てな」とか聞かれるのだが、・・おそらく、今度もお会いしたら、開口一番「おたくは、どこのお方ですか?」と聞かれるのだろうな。
でも、それで良いのかもしれん。・・同じ話題の使い回しできるし・・(笑)
泉佐野市:正覚寺様の「彼岸法会」への出前

しばらく、このブログを書いていない。
それは、お彼岸週間に入って時間が取れなかった為だ。・・いや、(『半沢直樹』の最終回は、ちゃんと観たので)時間が取れなかったというのは嘘だ。
疲れてパソコンを開くのが、おっくうになった為だ。
今年のお彼岸は、20日から始まり、お参りやら大掃除やら来客やらで、忙しさが倍返し、いや倍増した。
又、21日は、うちの寺の[彼岸法要]もあり、終わったのが午後の10時半頃。そして次の日の22日は、早朝から三件のご法事があって、疲れはピークに達していた。
が、昨日は、泉佐野市の[正覚寺]様(写真)で、紙芝居法話を頼まれていたので、朦朧として遅刻しないように、早めに出発。(・・でも早めに着きすぎて、コンビニでアンパンを食べて時間を潰したのだが、はははっ。) 
そして、時間通り、お話することができた。(正覚寺の皆さま、お世話になり有難うございました。)
まぁ、これで彼岸の前半は終了し、めでたしめでたしなのだが、今日から後半戦に入る。
・・実はこのように、今ブログを書いている場合ではないのだが、(次のお参りに行かねばあかんので・・へへへっ)、貧脳の僕の記憶がどんどん抜けてゆくために、何とか忘れぬ内に、いやこれも嘘やな。・・書くことがめんどくさくなって、その日の記録をカットしてしまわない内に、書いておくことにした。
さあ、もうひと踏ん張り、お彼岸を乗り切りましょう!
白寿苑での取材(新聞編)
昨日は、特養老人ホーム「白寿苑」での月例法話会の日。
今週は、[敬老週間]ということで、僕は『老人と王様』という(現代の高齢化問題を彷彿させるような)紙芝居を披露した。
さて、この物語は、日本の[姨捨伝説]の元になった話なのだが、元本(インドのお経)は、結構ユーモラスでハッピーエンドな形なので、僕はとても気に入っている。
又、お年寄りが聞かれても嫌な気持ちにならないと思いこれにした。(結果的に正解であったと思う)
さてさて、話は変わるが、昨日はこの『法話会』の模様を記事にしたいと、朝日新聞の記者さんが現場取材に来られた。
会の始まる一時間前から、その記事の為のインタビューがはじまったのだが、ここでの法話会の歴史は18年前にさかのぼらねば成らない為、記憶の倉庫にカビが生えかけている僕の脳味噌のカビ取り除去作業から始めねばならなくて、それに時間を費やすことになり往生した。(・・I記者さん、すんませんでした)
でも、履歴書を見ながら語るより、いろんなエピソードが飛び出し、こっちの方が面白かったかもしれませんよね・・という事にしとこか。
この記事の内容は、その内、発行されましたら、いずれこのブログにて記載させて頂こうと思っておりますので、お楽しみに。(どんな記事になってるのかな?!はははっ)
紙芝居「くもの糸」を演じる上での矛盾・・
・・台風一過。
近畿地方は大きな被害を受けた。
今、京都や滋賀の友人宅(お寺)などに、心配で(迷惑にならない程度に)連絡を入れて聞いている。
さて、話は変わるが、
うちの地域にも大雨が降り、その雨の後、お寺の庭に蚊が大量発生した。
昨日も、洗濯物を入れながら刺された刺された。
そして、その蚊を狙ってか、蜘蛛の巣も、今、あちこちに大量に張り巡らされている。
それが、うっとうしくて、今日もお参りに行く前に、捕りまくった。
でも、矛盾を感じるのだ。
よく僕は、芥川龍之介の[くもの糸]という紙芝居をした後に、皆さんに「蜘蛛一匹といえども、命はいのち。大事にしたいですね。」てなことを言っているのだが、矛盾だ矛盾。
「ほんま、うっとうしいなぁ」とつぶやいて、言ってることの真逆なことを、やっている。
・・でも、法衣にまとわりつく蜘蛛の巣を捕りながら、懺悔の気持ちが沸いてくるんだよなぁ。「僕はこの紙芝居をする資格がないのではないか?」と。
でも、頼まれたら、又、平然とした顔で、この紙芝居をやるのだろなぁ。
「くもの糸」の主人公カンダタは、この僕なのかも・・。
合掌
「紙芝居」を演じ続ける日々
九月に入ってから、紙芝居を演じ続ける日々が続いている。
昨日は、大阪市港区にある『唯称寺』さまの『彼岸法要』へ行かせてもらい、[敬老の日]という事で『二つの墓穴』という、老人と介護をテーマにした紙芝居をさせてもらった。
その後、東大阪の「清澄寺」さまへ行き、『金子みすず』紙芝居の完成報告を兼ねて、ご住職夫婦に、この紙芝居を観て頂いた。(こちらのご夫婦のおかげでこの紙芝居が完成したと言っても良い。それで、一番に先に観て頂きたかったのです。)
その前の日は、このブログにも書いたが、埼玉県から来られたお客様に、ご希望の『アングリマーラ』の紙芝居を披露した。
日が遡っていくが、14日には河内長野市の観光ガイドボランティアの三輪さんの来院により、滝畑ダムの『(仮題)ダム湖に消えた村』紙芝居制作の打ち合わせををする。
11日には、石川南組連続研修会の講師が当たったため、『唯円坊の嘆き「歎異抄」かく語りき』という浄土真宗の研修のための紙芝居を、お寺で披露。
・・・そして、9日が泉南郡のお寺の壮年会という事で、『アミダブツ物語』を中心に、仏典紙芝居を披露。その他エトセトラ。
と、いうような感じなのだが、今月はまだまだ、いろんな場所で紙芝居を披露してゆかねばならない、
が、このように、拙い僕の紙芝居が、あちこちで(それぞれの会合のテーマごとに)求めてくださってるこの現実を、たいへん喜ばしく思い感謝している。(たとえ喉が嗄れようと・・)
又、すぐにやってくる新聞社とテレビの取材にも応じなければならないのだが、なるべく疲れを溜めずに、その日の日程を消化していきたいと思う。・・体が資本なので。
埼玉県からのお客様
今日、埼玉県川口から、台風の中、お客様が来られた。
その方は埼玉の青年商工会議所職員の方で、目的は、僕の『殺人鬼になった修行僧 ~アングリマーラのはなし』という紙芝居を写真で撮ってコピーする為であった。
・・ほんま、遠い所をご苦労様でした。(新幹線も、台風の為、遅れたそうだ)
そのコピー目的は、地元の青少年会で、このお話を使って、[許すこと]・[怨みの気持ちをどうするか]などをテーマにした研修(討論)会を開く為らしい。
確かに、この紙芝居のテーマは(観方によれば)深い。
こんな話だ。
『一人のまじめな若い修行僧がいた。
彼は住み込みで、師匠の家で修行をしていた。
師匠には淫乱な妻がいた。その妻が彼を誘惑。しかし、彼は拒絶した。怒った妻は、自分の夫に彼に乱暴されたと嘘をつく。
師匠である夫は、弟子を怨み、恐ろしい報復を考える。
それは、人を百人殺して、その指で首飾りを作る事、それが彼の修行になるという教えだった。
弟子は拒絶するが、催眠術を掛けられ、ついに実行する。
それからというもの、インドの町に夜な夜な辻斬りが現われ、町人は恐怖に陥る。
その殺人鬼は、いつしか『アングリマーラ(指の首飾りの悪魔)』と呼ばれるようになる。
そして、99人が殺され、アングリマーラは最後の犠牲者を見つけて襲うが、それは自分を心配して探していた、実の母親だった。
母の叫びを聞き、正気に戻ったアングリマーラは、お釈迦様のお寺に助けを求め、出家し入門することになる。
お釈迦様は、彼に毎日、「町に出て托鉢をせよ」と命じる。
・・連日、町の住民たちから報復を受けながらも、ただひたすら耐えて、托鉢を続けるアングリマーラ。
そんなある日、軍隊がやってきて、彼の引き渡しをお釈迦様に求める。
が、お釈迦様は「彼は心から懺悔してしている」と、引き渡しを拒否。
しぶしぶ、あきらめる軍隊。
そして、アングリマーラはやがて、悟りを開くことになる・・。』
そんなお話だ。
ざっと振り返ってみたが、でもこれって、研修の材料になるのかな?
研修結果がどうなったかは、又いずれ、詳しく教えてもらうとしよう。
