
昨日、大阪府大東市から、真宗大谷派の『大長寺』さま御一行が、観念寺までバスでご参拝下さった。
この日は、とても良いお天気。正にハイキング日和じゃなくて、清々しい参拝日和?。
さて、この日の紙芝居は『阿弥陀仏物語』と『仏様の思召し』をする。
結構、ご年配のお方も、少年少女のような瞳で、飴ちゃん舐めなめ、経本片手に観てくださっていた。
郷愁をもかもし出し、老いも若きも解りやすいのが、紙芝居の良い所なのかもしれない・・。
最後に、夏休みだったので、子供ちゃん達もご参加。熱心に合掌してくださるその姿が、とても感動的だった。合掌
[管理用]
記事一覧
※画像をクリックすると拡大されます。
真宗大谷派『大長寺』さまの御来院
南九州旅行~『隠れ念仏』の取材(後編)

(今、パネル展を開催している鹿児島別院)
薩摩藩は、江戸時代初期(一説では室町末期)から、約300年もの長きに渡って、親鸞聖人を開祖とする浄土真宗を禁止した。(代わりに、真言宗・曹洞宗や時宗の教えが流行ったそうである。・・だが、現代は、浄土真宗の信者が一番多い。)
(『隠れ念仏』パネル展)
それは、「仏の前では支配者も民衆も同じ」、という浄土真宗の考えが、藩主の権力を否定することにつながると危惧したからだと考えられている。
しかし、禁止されても《信仰》は下級武士や農民の間に、ひそかに受け継がれていた。
信者は、小さな仏像を作り、又、宗祖の御影像を描き、柱に埋め込んだりして隠して信仰した。
又、自然の洞窟を改装して、信者たちの集会所(お寺)にしたのだ。
(別院内にある[涙石])
しかし、浄土真宗の信者であると発覚すれば、筆舌に尽くし難い『拷問』が待ち受けていた。
別院内に、今も残る『涙石(なみだいし)』は、その拷問に使われたという巨大な石である。
僕は、現実に『涙石』を目の当たりにすると、身体が震えた。
我々の先輩たちは、文字通り「隠れて念仏」をして、命がけで、信仰を守ってきたのだ。
「果たして、お前にもそれができるか?」と涙石に問われているような気がした。
「・・とうてい、気の弱い僕にはできません。・・僕がやれることは、それを伝える拙い『紙芝居』を作るだけです。・・でも頑張ってつくります!」と、合掌した。 
そして、旅行三日目。
鹿児島市内から、タクシーで約三十分。どうしても、今回行きたかった『花尾念仏洞』へ向かう。
ここは、花尾山の下部に位置し、200メートルほど上がった山の傾斜にある、天然の洞窟である。
僕と坊守は、汗を掻きかき登った。
ここは現在も、ご本尊が安置されていて、念仏信者たちの心の拠り所となっているらしい。
でも、はっきり云って狭い。行くのもしんどい。
「ここが、念仏の拠り所になっていたのか!」と思いながら、「よくぞ、こんな所に集まったな・・」と思い、「ここでは、足の悪い年寄りのお参りは無理だったろうに。」と思った。
ここでは、何と[明治元年]に、その『信者集会』が発覚されて、(誰かが、ちくったのか?)信者たちの多くが処罰されたということだ。(結果的に、念仏禁止令は、明治9年まで続く。・・何が文明開化やねん!)
長々と、全三回に渡って、書いて来たこの『南九州旅行記』。途中、(中編)で脱線したが、最後は『隠れ念仏取材記』で、ちゃんと、まとめれたと思う。
正味、「現地取材をしたら、『紙芝居』は簡単に作れると思っていた」のだが、
今回の、濃い歴史の重さを感じ、これは、どうまとめて作ったら良いのかと、改めて悩みが深くなってしまった。
でも、何とか、作ってみましょう!・・悩んでいてもしょうがない。
そう、薩摩ではこんな言葉(格言)が残っているのである。
「泣こかい、翔ぼかい。・・泣くよっか、飛っ翔べ!」(=泣いているより、思い切って、その崖から、飛び立ってみろ!)と。
おしまい
南九州旅行~『隠れ念仏』の取材(中編)

指宿(いぶすき)の旅館に泊まった時、「夕食のお飲物[焼酎]は、どうなさいますか?」と、尋ねられた。
僕は、冗談で「有名な焼酎『森伊蔵』は有りませんよね⁈」と尋ね返すと、「有ります。・・ただし、三種の飲み比べセットの一つですが。」と言われた。
それで、大阪では飲むことのできない薩摩切子に注がれた『森伊蔵』セット(2500円)を、思い切って注文して飲んだ。
それは、あっさりとした飲み口の良い、味わいある焼酎であった・・と、思う。(酔うと、何が何やら解らないのが本音。)
二日目。・・この日は、JRで指宿から鹿児島市へ向かう。
ここでもう一つ、食べ物の話題から。
鹿児島の夏といえば、『白熊(シロクマ)』のカキ氷らしい。
お店のメニューを見れば、全部大きくて、とても食べれそうにないので、二人でひとつだけ頼んだ。
「なぜ、シロクマというのですか?」と聞くと、白い氷に赤や黄色のフルーツをのせて、まるでシロクマのような顔に見えるから。」なのだそうだ。
かき氷は、氷が薄くてミルクとフルーツのバランスが良くて、とてもおいしかった。
その後、定期観光バスに乗って、西郷隆盛終焉の地である[城山]を見学。ここから、よく桜島が見えた。
そして、鹿児島市内の名所を巡り、フェリーに乗って(何かと話題の)桜島へ。
東京や大阪の人間が(いつ噴火するのか?)と騒ぐより、地元の人たちは(案外)のんびりしたものだった。(観光客も結構、居た。でも、僕は内心ドキドキもので、フェリーが桜島を離れた時、ホッとした)
その後、島津氏のお殿さんの借景庭園[仙厳園]へ行って、もう一度、じっくり[桜島]を見たら、煙がもくもくと出ていた。
あとで地元の方に聞くと、小さな『噴火』が起ったということだった。 つづく
南九州旅行~『隠れ念仏』の取材(前編)

お盆の仕事も、何とか無事終わった記念に、今年は二泊三日で、坊守と(桜島の噴火が心配される)鹿児島へ旅行に行って来た。
目的は、慰労と『薩摩の隠れ念仏』の紙芝居制作取材である。(・・「いつも、旅行といえば取材ばっかり!」と、この日も坊守にブツブツ云われながら出発。病後の体力も考慮して行き帰りは飛行機にした。何と大阪から約一時間!早~)
鹿児島空港に到着後、シャトルタクシーで、一日目は、『知覧(ちらん)』エリアを散策。
まずは腹ごしらえ。薩摩の郷土料理(酒ずし・さつまあげ)などを頂く。美味しかったです。(結果として、鹿児島の食べ物はみんな美味しかった!) 
そして、映画『ホタル』や『永遠のゼロ』のヒットで、この日もたくさんの人が押し寄せていた[知覧特攻平和館]。
特攻隊の方々の遺品(肉親への手紙)や、肉声テープ、お写真などを見ていると、身体が硬直し涙があふれます。
そして、僕等の肝心の目的地、『薩摩の隠れ念仏』資料展示がされている[ミュージアム知覧]へ。
島津氏が300年に渡って禁制していた念仏信者たちへの迫害。キリシタン迫害は有名だが、真宗信者迫害はあまり知られていない。
ここでは、その生の資料に、たくさん触れることが出来た。 
ゼロ戦の滑走路だった国道を、さらに、車で30分ほど下っていくと、人里離れた山の斜面に[立山のかくれがま(=洞窟)]がある。
まさに、人ひとりが入れば窮屈な洞窟。
五・六メートルほどの曲がりくねった洞窟の中には、天井にコオロギや虫がたくさんいて気味悪かった。そして、一番奥に小さな阿弥陀仏像が祀ってある。
この人里離れた洞窟で、役人の目を盗み、嵐の日の夜などを選んで、我々の先輩信者たちは、念仏を称え、経を読み、お説教を聴聞をされていたのだ。
こちらも、特攻隊とは違った意味で、信仰の持つ凄みを、雷で撃たれたように感じた。
この日、タクシーの中で心が震えながら、[指宿]の旅館へ向かった。 つづく
15回目を向えた太子町「光福寺」様[盂蘭盆法要]への紙芝居法話

(住職さんに写して頂いた講演写真・・久々に写真を撮って頂く)
昨日で、今年で15回目を向えた、太子町[光福寺]様での『盂蘭盆法要』への出前。
よく、(私なんか飽きずに)15年間も、毎年お呼び頂いている⁈と、何か不思議なご縁を感じる。
(総代さんと、飴ちゃんを配る用意)
もう、こちらの総代様とも顔見知りだ。
さて、昨日は『ねずみのお経』と『素晴らしき哉、人生』の二本の紙芝居をさせて頂いた。
紙芝居ばかりでは、紙芝居屋のおっちゃんと同じになるので、紙芝居の間に、ちょこっと法話をする。
・・お熱い中、毎年、本堂にて、たくさんの老若男女の方々に『紙芝居』を見て頂いて、本当に恐縮だ。
本当に、お寺で見る価値のある、『命の大切さ』を感じれる紙芝居を、これからも作っていかねばと、感じた昨日の『盂蘭盆法要』であった。
・・これで、今年のお盆のイベント後半は、すべて終わる。・・、ああ、まだ[地蔵盆]と老人施設での盂蘭盆法要があったわ。・・まだ僕の夏は終わらん。
無事に終わった『寛弘寺:墓まいり』

昨日、寛弘寺村挙げての壮大なる夏の一大イベント『墓参り!』が、無事終わった。
朝の五時前からスタートし、午前十時過ぎには終わる一大叙事詩(そんな大層なものでは無いが・・[笑い])なのだが、強烈な暑さの中、倒れる者も居なく(特に僕が・・)、無事に終わったのが何よりであった。
冷たいペットボトルのお茶を何本も飲みながら、今年は、妻と娘と役僧さんと僕の四人で、檀家さん全員のお墓詣りをさせて頂いた。
特に、僕の体を心配して下さっていた総代さんは、
たえず僕の横で「住職さん、お茶飲みや。水分を一杯取らなあかんで!」と、親のように言って下さり、
飲んだ後は「水分を飲んだら、後は出すことが大事やで。・・尿にして出すことも(腎臓の機能も考えて)大事やからな!」と言ってくださったいた。
・・それで、僕が四時間ほど経って「ちょっと、おしっこ行って来ますわ。」と言うと、大きな声で総代さんが、回りにいる人みんなに「今、住職さんが、おしっこに行かれました。もう、皆さん安心ですよー。」と叫ばれて、大変恥ずかしかった。(笑い)
(僕の体のことで)みなに心配を掛け、そしてお世話になった今年の墓参り。・・これでお盆(前半)のイベントが無事に終わった。
富田林市[専念寺]様の『盂蘭盆法要』への出前
昨日の夜、例年のように、今年も富田林の浄土真宗[専念寺]様の『盂蘭盆法要』に呼んで頂き、紙芝居法話に行って来た。
毎年、行かせて頂いているので、毎年、異なった『紙芝居』とお話(法話)をしなくてはいけない。
ちょっと、プレッシャーだ。
・・ということで、昨日は、紙芝居『ねずみのお経』とお経の話、東北被災地と絆の紙芝居『素晴らしき哉 人生』。そして、休憩を挟んで、妙好人の話と紙芝居『大和の清九郎』、の三本のお話をさせていただいた。
子供と大人が混じった、夏の夜の[お寺の法座]。
みんなが楽しめて、感動でき、そして宗教的な雰囲気を醸し出し終える。・・これは、結構難しいのですよ。
さて、昨日はどうだったか⁈
連日のお盆参りが忙しい為、急いで帰ってその感想を聞けなかった。・・今度、住職さんに皆、どんな感想を持たれたか、聞いてみよう。
これからの[出前]予定
今年の下半期から、来年の上半期まで、今、承っている『お寺の出前』を少し述べさせて頂く。
異色の『出前』では・・、
『介護者家族の会』、『薬剤師の会』、『キリスト教・神父さんとのコラボ・教会での会話とお話会』などがある。(今のところ、これらの会の進行・内容などはどうなるか?さっぱりわからないが、・・何やら面白そうである。)
又、やはり、お寺への出前が多い。
『親鸞聖人750回忌記念法要』への出前や、『彼岸法要』、『報恩講』、『仏教若婦人会』などへの出講、エトセトラ、エトセトラ。
これらも、何の紙芝居をするか、どんなお話をするかなどは、依頼者の方との打ち合わせなどもあり、直前にならないと決められず、解らない。
・・が、一生懸命、その時の『出前』にぶつかっていけば、おのずと答えは見えてくるだろう。
まずは、目の前にある『出前』に集中せねば。
真夏が来た、お盆が来た!
今年も、夏の[お盆参り]月間がやって来た。
おとといから、すでに[初盆]のお宅への『お盆参り』が始まっている。
暑くて、もうバテバテになる。(・・あの黒い法衣を着て、移動するのだからしかたがない。)
そして、例年の[村全体]の(早朝からお昼まで続く)お墓参りが、来週の日曜日にやってくる。
その為の『打合せ会』も、(昨日の夜に)檀家さんにお寺に集まってもらって、無事終わった。
昨年は、僕は(病気の為)欠席せざるを得なかったが、今年は出勤する。(暑さの為、途中で倒れないように気を付けて頑張るつもりだ。)
それが終わったら、全檀家宅へのお盆参りがある。
そして、まだまだ(夏の終わりまで)仕事や「紙芝居法話」の出張などは続く。
この夏は、僕にとって(復活への)一つの試練になるだろう・・。
教蓮寺仏教婦人会:結成30周年記念講演会への「出前」

(教蓮寺さま)
浄土真宗と一言で云っても、広うござんす・・。
ちなみに私の宗派である西は[本願寺派]、そして東は「大谷派」。その他に[真宗木辺派]・[真宗仏光寺派]・[真宗高田派]、エトセトラ、エトセトラ・・。
そして、昨日、紙芝居法話に行かせて頂いたお寺が[真宗興正派]の(富田林の)『教蓮寺』さまです。
・・映画『男はつらいよ』の「口笛を吹く寅次郎」の中で、主人公の[寅さん]が、二日酔い住職の代わりに、ニセ坊主に変装して、ご法事に出勤しようとします。
その時、お寺の娘役のマドンナ竹下景子さんが「・・でも寅さん、宗派は大丈夫なの?(解っているの?)」と聞きます。
すると、寅さんは一言。
「大丈夫、大丈夫。似たようなもんでしょう。同じ仏教なら。」と答え、法事にお勤めに行ってしまいます。
僕はこの会話が、ある意味、真理を語っているようで大変好きです。
・・話が横道に外れてしまいましたが、僕もこの[寅さん]のような気持ちで、宗派にこだわらず「大丈夫大丈夫、似たようなもんでしょう。同じ宗教なら。」と[紙芝居法話]に行かせてもらっています。・・余談おわり。
さて、昨日は「教蓮寺仏教婦人会 結成30周年記念講演会」という、大きなイベントへお招き頂いて、『紙芝居法話』に行って参りました。
この日は台風も心配されましたが、とんでも八分、歩いて十分(・・古い)。良いお天気過ぎて、大変暑い、そして会場の熱気も篤い、講演会でした。
次第は、お勤めの後、婦人会代表さまのご挨拶、ご住職のご挨拶と続き『アンサンブル めい』様のチューバとピアノのディオの演奏会があり、拙僧の私の漫談もどきの紙芝居法話で、盛りだくさん。
大変、充実した一日を過ごさせて頂きました。
ご住職、坊守さま、そして教蓮寺仏教婦人会の皆さま、たいへんお世話になり有難うございました。
これからも40周年、50周年と、末長い婦人会さまの御繁栄をお念じ申し上げて、筆、いや、パソコンを閉じます。合掌
