
本日、東大阪:「玄清寺」様の『夏休み:寺子屋教室』へ「出前紙芝居」に行って来た。
こちらには、毎年(今回で5回目)、夏休みに行かせてもらっているのだが、相変わらず『ちびっ子パワー』は凄い!
一瞬でも、こちらが気を抜くと、会場が騒音の《嵐》のようになって、収拾が就かなくなるのだ。
毎年、鳴門の渦潮の中に、巻き込まれているような感じである。(・・今年もそんな感じであった。)
また、一回やった紙芝居は、必ず(チビッ子は)覚えているので、やりづらい。(・・今回も、何年も前にやった「くもの糸」を持っていったのだが、先にラストをバラしてしまったチビッ子がいて、往生した。)
それで今回は、元気すぎるチビッ子には、「紙芝居めくり係」を命じて、手伝わせて、おとなしくさせた。(効果はあった・・)
そして最後は、こちらの御住職のリクエストに答えて、地獄めぐりの紙芝居もして、ビビらせて、ご本尊の仏さまにみんなで手を合わせて、早々と引き上げたのであった。
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夏休み「寺子屋教室」への出前
警告音の犯人~お参りの途中で
今日のお参り途中でのはなし・・。
或る農家のお家で〔月参り〕が終わり、車を発進させてしばらくすると、車の警告音が鳴った。
ぼくの車は、〔半ドア〕か〔シートベルト着用〕をしなかったら、この『ピーッ・ピーッ・ピーッ』警告音が鳴る。(余談だが、この『ピー』音は、だんだんと速くなり、ほっといたら『ピー・ピー』が『ピーッピーッ、ピピピピピッ・・』となって焦る。原因究明が遅れたり、解らなかったりしたら、返って精神的にストレスになって運転もあぶない。時々、誰か何とかしてくれー!と思う!)
さて、今日も道の端に、一端車をストップさせて、原因を調べたが、半ドアでもなく、自分のシートベルトもしていたので、ちょっとあせった。・・そして横をじっと見たら、犯人は先ほど貰った初物の「スイカ」だった。
ゴロンッとスイカを移動させたら、警告音は止んだ。・・スイカって、人間ほどの重量と車は認知するんやね~。勉強になりました。 今度からスイカもシートベルトをせねば・・。
今日の宿題
今日は『特養老人ホーム甍』の「講話クラブ」の日であった。
はっきり言って今日はうまくいかなかった・・と思う。
・・というのも、お一人、ただひたすらにひとり事を(中声で)喋り続けるお婆ちゃんが来られて、その方が僕が話している途中もずっと一人でしゃべり続けられ、・・なんというか、一つの部屋で、二つの大型テレビの音が鳴り続けているような状態であったのだ。
職員も(そのひとり事を)止めることができないし、クラブの途中から来られたので、僕も紙芝居を読んでいて、注意することが出来なかった。・・といってご自分のお部屋にも帰られない。ずっと喋りっぱなしだ。・・他の入所者の方も、僕の話が聞きずづらそうだし、そして(職員もお部屋に)つれて帰られもしない。
おそらく、ご自分のフロアーでも、皆から嫌がられているんやと思う。・・だから持て余され、このクラブにつれて来られたのやろう。そして、講話クラブやったら、このお婆ちゃんのお喋り癖が何とかなると、職員が思われたのかもしれない。(結果的にどうにもならんかったが。)このお婆ちゃん、誰かに自分の話をゆっくり聞いてもらいたいのやろう。・・同情はする。しかし、皆に迷惑を掛けるのはいかんこっちゃと思う。次回、この(認知症の)方が来られた時、どう対処するかが、今日の僕の宿題となった。
・・今度は、一番前の席に来てもらって、僕と面と面を合わせて、直接対話をし続けるか。・・はたまた、一番部屋の後ろの隅で、皆に迷惑をかけんように、一人しゃべり続けてもらうか。・・はたまた、僕の横に来てもらって、お客さんの方を一緒に向いてもらって一緒にクラブを進めるか。 なんか、これも学校のお喋り問題児が先生の机の横で、ずっと勉強をさせられてるみたいで良い考えとは言えんなぁ。・・が、いろいろとやってみねば、これは僕の(クラブの)小さな試練でもある。
極楽の音色
「・・(仏弟子)舎利弗(シャリホツ)よ、仏の国では、宝の並木や宝の網飾りがそよ風に揺れ、美しい音楽が流れている。
それは、百千種もの〔楽器〕が、同時に奏でられているようであり、その音色を聞くものは、誰でもおのずから仏を念じ、法を念じ、僧を念じる心を起こすのである。」 《仏説阿弥陀経より》
先日、大阪『いずみホール』にて、ショパン&シューマン生誕200年記念コンサート ~ワルシャワ・フィルコンサートマスターを迎えて~《室内楽の悦び》を拝聴させて頂いた。
この記念コンサートには、うちのお寺の檀家の〔植田延江〕先生が、ヴィオラ奏者として、ワルシャワ国立フィルハーモニーのコンサートマスター(ヴァイオリン)と協演されるという事で、(チケットを戴いて、)聞かせて頂いたという訳だ。
その演奏は、(ど素人の僕が聞いても)『凄い!』と思った。(手と指の動きが神ワザとしか(いや仏ワザ)とか思えないのだ。)
又、楽器も〔ヴァイオリンとヴィオラとピアノ〕の三種だけで、演奏する為、一つ一つの楽器の音色が「この楽器はこんな音色なのか~」と、はっきりと解って親しみやすかった。
又、演奏者同士、お互いの顔を見ながら、(楽しそうに)アイコンタクトを取って、音合わせをしている様子がはっきり解って、それも人間味があって良かった。
(・・さすが植田先生、コンサートマスターを相手に、堂々と演奏で、渡り合っておられるお姿がカッコ良かったですよ!・・又、演奏って、一人ひとりの個性(感情)が前面に出るもんなんですね。よーく解りました。個性ってある意味、恐くて大事なもんなんですね。)
・・さて、僕自身感じた事。
僕はコンサート最初の〔バッハ〕の曲を聴きながら、先の「仏説阿弥陀経」の極楽では、〔雅楽〕楽器が空中に浮いて、素晴らしい音色で自動演奏している箇所を思い出してしまった。
そして、もし、僕が極楽に往けたとしたら、願わくば(日本や中国の楽器よりも)空の上から、ヴァイオリンやヴィオラの素晴らしい音色を聞いてみたいものだと思った。
紙芝居「ある抗議書」と「恩讐の彼方に」の彼方に・・
昨夜、特養老人ホーム「白寿苑」の月例『法話会』で、新作紙芝居「ある抗議書」と「恩讐の彼方に」の《怨みと許し》をテーマにした〔菊池寛原作〕の二本立て紙芝居をしてきた。
テーマは『罪と罰』。
今回は、いつもの「昔、むか~し・・」から始まる郷愁を誘う『紙芝居』とは違って、重いテーマの話となったが、僕自身がやりたかったテーマでもあったのだ。
話が難しくなって、会場が白けないかと心配したが、昨日は『ケアハウス』のしっかりした方が多かったので、実施に踏み切った。
・・これは、死刑制度や教誨制度、〔加害者の懺悔と被害者家族の怒り〕、そして〔怨みと許し〕。そんな重いテーマが目白押しの話なので、僕自身が人生の大先輩である入所者の皆さんから、そこの所をどう感じられるかを聞いてみたかったのである。
でも、『ある抗議書』を読んでいる途中、会場にクリスチャンの方がお一人居られる事を思い出し、あせって『セリフ』を二回ほど噛んでしまった。(この話は、読みように依ったらクリスチャンを傷つけかねない話なので・・。)・・が、終ってから、恐る恐るその方に感想を聞いてみたら、「今日の話は良かったですわー。ものすごく考えさせられました。」と、言って下さったので、ほっと胸を撫で下ろしたが・・。
さてそれでは、皆さんの感想をまとめて、今日は終わりたい。
「人殺しをしたからといって、すぐに死刑はあかん。・・やっぱり反省して、長い時間掛けて(『恩讐の彼方に』の主人公のように、)罪を償って、被害者家族に謝ってから、そして死刑になるべきや。」
「お住っさん、やっぱり悪いことしたら、死刑になるという法律はあった方が良いと思いまっせ。・・歯止めになるもん。」
「人を裁くのも、裁かれるのも、どっちも嫌やわ。」・・エトセトラ、エトセトラ。
現代の「恩讐の彼方に」の彼方には、いったいどのような『罪と罰』が、待っているのであろうか?・・願わくば、罰など無い方が良い。
早からず、遅からず・・
〔月参り〕に行かせて頂いているお家で、必ず、ご一緒に『読経』して下さる一人のお婆ちゃんが居られる。
ただ、お耳が遠い。(・・50ccのバイクは自由に乗り回せるが、さすがに《90歳》のご高齢なので仕方がない。・・それって危険?!・・〔笑い〕)
まぁ、それで、今日もご一緒に『読経』させて頂いたのだが、なんせ、お聴力がお弱い為、僕の『読経』スピードに、ついて来られない。(僕もゆっくり、はっきり、お勤めしているつもりなのだが・・。)
それで、途中、ご自分が今、違う部分を読んでいる事に気づくと、スッと立ち上がって、経本を持ち僕の所まで来られ、「今、ドコの辺りでっか?」と聞かれる。
その度に中断して、「・・今、ここですよ」と答えて、『読経』は再開する。
そして僕は、お婆ちゃんの『読経スピード』に神経を集中させながら読むのだが、今度はお婆ちゃんの方が、僕を追い越したりするので、今度は僕が追いつく為に、スピードアップしたりする。
毎回このように、一回の『読経』はスリリングに進んでいく。(・・たまに、ヘトヘトになる)
『読経』をされる方は、どうか『早からず、遅からず』、ご注意ください。
気の弱い僧侶からのお願いでした。 合掌
「助けてもらいはったんですね。」と、言わんかいな
《ご仏壇》の前で、ご一緒に『読経』など、された事が無いご主人:Yさん。
今日は、どういう風の吹き回しか、(家にも居られ)一緒に手も合わされた。
そして『読経』終了後、「お住っさん、お茶でも入れてきまひょか?」と、きたので、僕は『何か、お話があるのやな?』と、思って〔探り〕を入れてみると、Yさんは「わし、この前まで〔大腸〕の手術で計三回、短い入院してましてん。・・まぁ、手術はうまい事いきましたから、今ここに居りまんのやけどな・・。」と言われた。
僕は「はぁ、そうですか。うまくいって良かったですねぇ。」と、言ったら、Yさんはブスッとして、「・・お住っさん、『はぁっ』ってなんでんのん。 そこは『はぁっ、良かったですねぇ』と違いまっしゃろ。『仏さん、先祖さんに助けてもらいはったんですね。』と言わんかいな。・・鈍いでお住っさん!」と、ボロカスに言われた。
僕はちょっと『ムカッ』と来たけど、心の中で「一理有る」と思って、「すんません」と謝った。
するとYさんは、「わし、手術中、全身麻酔してた時、夢うつつの中で、わしの葬式の夢みましてなぁ・・。夢なんで、話はあっちこっち支離滅裂でんねんけど、わしが葬式の準備の手伝いしてて、『此れ誰の葬式やねん?』と聞いたら、『何言うてんねん、お前の葬式やないけぇ。』と言われてびっくりしましたんや。・・又、色んな先祖さんが、ニコニコ笑って次から次に出て来るし、わしの墓地に一本の墓標が建っていて、『誰のやろ?』とわしが見たら、まだ名前が入ってまへんねん。・・おそらくあそこに、名前が入ってたら、わしは今ここに居りまへんなぁ。・・仏さん先祖さんに助けてもろたんや。・・これは理屈やおまへんで。わしの経験だっせ。・・これからは、健康に気をつけて感謝して生きていこと思てまんねん。」と、(タバコを一服しながら)言われた。
その〔一服のタバコ〕は気になったが、僕は今日のところは〔1敗〕してるので、注意はせずに「お身体、ご自愛を」とだけ言って帰宅した。
『仏説落語の会』in〔天満天神繁昌亭〕に行ってきました

昨日、大阪天満の〔繁昌亭〕に、『仏説落語(プロの落語家さんによるお説教落語)』なるものを見て来た。
入場料をちゃんと払って見て来たので、好きな感想を言わせてもらうが、(僕自身は)50パーセントの笑いであった。
なぜか?・・理由は二つある。
プロの落語家さんたち(監修はプロのお坊さん)が、〔悩める現代社会の為に、仏教に生きるヒントを見出したい!〕と、志を立て、仏教を『笑い』ながら、学んでもらおうと、この『会』を起こされたようなのだが、・・・やはり、落語の内容も、噺家さんのスタイルも、〔仏教もどき〕で終っているような気がするのだ。(もちろん、それはそれで良いのだろうが・・、お客もそこまで求めてないのだろうが・・。)
なぜか、落語家さんの活躍舞台を『お寺』に広げたいという『商業欲』のような匂いが鼻についてしまうのだ。(会場に、お坊さんたちも、観客として半分以上は来られていたと思うので、自分の『お寺』に、落語家さんを招いて、お参りの方の集客数を上げたいという、その『集客欲』の気持ちは解る。・・又、「需要と供給がぴったり合っているのでエエじゃないか」と言われれば、返す言葉もない。)
・・が、が、やはり噺家さんは話はうまいが、(噺家さん自身に)『信心』の浅さを(話の中身から)感じてしまうのだ。(そんなトコまで、味わう奴おらんやろ~と、言うかもしれないが、今後、このような『仏説落語』をお寺で広めていくのなら、噺家さんの『信心の有る無し』は、重要なことだと僕は思ってしまう。)
余談になるが、以前、うちのお寺に来て、『仏教落語』をして下さった《イベント坊主ご住職》さんの話の方が、(話は荒削りだが)信心の大切さは、(身体から出るオーラのようなもので)キチンと伝えてくださっていたように感じた。おそらく、それはうちの門徒さんも感じられたはずだ。(イベント坊主さん、偉そうなことを言ってすみません)
でもでも、仏教落語をするなら、絶対っ、『信心』の有る無しの問題は、避けれない事だと僕は思うのだ!!
・・長くなったが、もう一つ。
落語の中身の問題。
僕が昨日見た、『仏説落語』も、古典落語とよく似たパターンで、たとえば、『物知りのAさんの家に、アホなBさんが尋ねて、〔仏教〕の講釈を聞く。・・感激したBさんは、生半可な理解で、それをCさんに教えに行くが、むちゃくちゃな講釈をして、反対にCさんにやり込められる』とパターンである。・・どの話もみんな。・・これでは飽きる。
やはり、お寺をターゲットにして、志を立てて『仏説落語』を流行らせようとするなら、内容も色々と練り直した方が良いと思う。
でないと、それこそ、飽きられてしまうような気がするからである。
今日は、《『仏教』と『落語』は、親戚である!》と、常に思っている僕の苦言になってしまった。
「せっかく、銭払ぉて笑いに行ったのに、ホンマ、ドンならんなぁ」と、落語の中の住人なら言うかもしれない。
七月、七年目の「法座」
大阪市東住吉区にある〔勝光寺〕さまの「定例法座」に、『紙芝居法話』に行かせてもらって七年が経つ。
毎年一年に一回ずつ、必ず七月に「お寺の出前」が、こちらのお寺へ『出前』させて頂いている為、勝光寺様の檀家さんとも顔馴染みになっている。
今回も、僕が話をしている最中でも、「あぁ、そうやねぇ・・」と(小声で、いや中声で)頷かれたり、「絵が綺麗やねぇ・・、毎年上手になってはるよ、お住っさん」と、つっこみが入ったりして、その度に「ありがとうございます。・・実はこの絵の〔瓦の色〕を出すのが難しゅうて・・」と、言ったりし脱線して「紙芝居法話」をさせてもらった。
又、今回、特に嬉しかったのは、お寺の掲示板に〔僕の名前〕が講師として、(「法座」予告の為に)張り出してあるのを見られた一人の檀家さんが、「いゃあ~、今年も又、紙芝居の宮本っさんが来てくれはんのやー。きっと『紙芝居』は又、新作やと思うで。・・こら、友達も誘うて行かせてもらわなあかん!」と言って来てくださった方があったそうで、(その言葉をこちらのお寺の坊守さん(奥様)から後で聞き、)感激してしまった。 (内心、今回も『新作』を持ってきて、あぁ良かったと胸を撫で下ろした・・〔笑〕)
まぁ、そんな、こちらのステキな檀家さんに可愛がってもらったり、又、僕の紙芝居製作を温かく見守って下さり、毎年、私を厭きもせずに、発表の場を与えて下さっている「勝光寺」のご住職と坊守さんに、今年も深く感謝した次第である。
・・それでは、又、来年!八年目、よろしくお願いいたします! 合掌
三度目となる〔KGU・10〕研修への出前!

おととい、三度目となる『小泉産業グループユニオン』組合員10年目研修、略して〔KGU・10〕への「お寺の出前」に行ってきた。(・・明らかに〔AKB・48〕を意識してみました。・・別に意識しなくても良いのですが・・。面白いネタが思いつかなかったので・・。又、今日は〔総選挙〕の日だったので。・・ホンマ、実にしょうもない発想でスミマセン。)
まぁそれで、今回も、会社〔組織〕の中の酸いも甘いも、種も仕掛けも、ちょっとだけ味わって来られた、(中には、よぉさん味わって来られた方も?あったみたいだが・・、)まだまだクラッシュな、いやフレッシュな「組合員」さんの『新たな心の《気づき》』に、『仏教』という(宗教)哲学が、(ちょっとだけ)お役に立てればと「出前法話」に、今回も行かせてもらったのだ。
(座談会の風景)
そして、今回は、なんと研修(持ち)時間が『三時間』!と、なった為、(6人の研修員の方たちと一緒に)どのようにして時間を潰すか、いや使うか、という決断に迫られた。
まぁ、それで、前回時間が足りなかったというご意見が出た、『ディスカッション(なんでもありの座談会時間)』を長く持って、潰した、いや使った。
僕は、この時間がはっきり言って恐い!
それは、いろんな質問や、その方のお考えのラッシュが、嵐のように押し寄せてくるからである。
その度に、僕も本音で答え、裸にならざるを得ない。(でも僕自身、いつも裸みたいなもんなので、そのまんま言いたい事を言ってますが・・、今回もそうでした。)
でも、やっぱり、真剣なんです。(ある意味、お経をあげてる方が楽!・・おっと口がすべった)
でも、ただの一介の坊主が、このような凄い勉強をさせてもらえる機会を与えて頂けるなんて、やっぱり僕は幸せ者なんやろなぁ。 合掌
・・研修受講者の皆さん、なんかお役にたちましたか?


