(研修の様子)
え~~、毎度お馴染みの〔小泉産業組合員〕さんへの「出前研修」の一席。
(カンネン旦那)「お~~い、梅吉っどん!」
(梅吉)「へ~~~い。」
(カンネン旦那)「おぉ、おまはんは返事が素直でええ。 それによぅ小まめに動くなぁ。・・そこにある『紙芝居』を袋から出して横に並べておくれ・・、おお、もうすでに並べてくれてんのか?!よぅわかってる、よぅわかってる。」
(紙芝居が始まるよ~)
「あぁ、それから、私の〔デジカメ〕も、袋から出して、今日の研修風景を写してくれへんか?・・ああ、もう頼まんうちから、ちゃんと手に持ってくれてる。早いがなあ~、梅吉どん。 それでこそ、コイズミ組合の一番番頭や。 ・・こらこら、何すんねん。余計なもんまで出さんでええ。それは、わしの冬用の法衣やがなぁ。まだクリーニングに出してへんのや。・・誉めたらすぐこれや。モンベルの作務衣買うても、まだまだ一人前とちゃうんやで・・。
さぁ、そろそろ、紙芝居をはじめまひょか。」
(大阪商人に変身)
(ディスカッション)
(カンネン旦那)「さぁ、今回も無事に終った。よかった、よかった。・・あぁ梅吉どん、そろそろ、次の講師の先生が隣の〔控え室〕に着かれる頃や。ちょっと見てきておくれ。・・なんや、そこで『クンクン』臭いかいで。 おまはんが、いかに鼻が利くっちゅうても、ここからでは隣の部屋の臭いまで、わからんやろ??
・・何っ?コイズミ(株)だけに嗅ぐ(家具)は得意や・・。」
お後がよろしいようで・・。
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小泉産業グループユニオン10年組合員研修への出前
津波・高潮ステーション
(津波・高潮ステーション)
今日、大阪市西区にある施設『津波・高潮ステーション』へ見学に行って来た。
ここは、「大阪府西大阪治水事務所」が管轄する、「防災棟」と「展示棟」を併せ持つ見学施設である。
(展示棟)
その「展示棟」では、かつて大阪を襲った高潮や、近い将来必ず大阪を襲うと言われている〔東南海・南海地震〕と、津波についての正しい知識、そして地震・津波発生時の適切な対応方法など、易しく学べる見学ルームが設置されている。(大阪府がやってる施設なので、無料なのが良い。)
(慰霊碑そっくりのレプリカ)
さて、僕がここに来た目的は、先々月に作った紙芝居『大阪に津波が来た日!~大地震両川口津波記』の(そこぬけに)くわしい資料と、そのレプリカが展示されてあると小耳に挟んだからである。
あったあった、やっぱりあった!『大地震両川口津波記の慰霊碑』レプリカ!・・誰が作ったのか、精巧で文字もはっきりと読めた。
僕は、この石碑の事についてもっと、つっ込んで専門的に聞きたかったのだが、案外、職員さんは知らんようで、僕がつっこむと、「はぁ、私はそこは、詳しく無いので・・。」と逃げられてしまった。(まぁ良い、・・膨大な資料をまるまるコピーさせてもらって来たから。これで十分だ。)
これで、紙芝居講演しながらの、(ちょんまげ姿)うんちくが増えるぞ。
(津波災害体感シアター)
また、ここにも、前面・左右両面・床面の4面の、大画面映像シアターがあって、約七分間の『津波』恐怖映画が見れる。・・・(『稲むらの火』館の3D映画見学に続き、)ここでも、映画を見る人間は僕一人だったので、一人満喫しながら、その迫力と恐怖に酔いしれた。(職員さんに、「途中、見ていて気分悪くなったら遠慮なく退出して下さい。」と脅かされたので、ビビッたが・・、まあ、それほど、大したことはなかったで、しかし・・。)
まぁ、そんなこんなで、僕の「大地震両川口津波記」の紙芝居学習は、まだまだ続きそうです。
寛弘寺:寿(ことぶき)会への出前

(河南町:農業環境改善センター&やまなみホール)
先ほど、わが町〔河南町〕の地元『寛弘寺ことぶき会』へお寺の出前に行ってきた。
『ことぶき会』というのは、地元の80才以上のお年寄りの会を云う。
地元であるから、話易い様で、話にくい。
日頃から顔見知りの人に、改まって仏教の話をするのは、何か、脇がこそばい感じだった。(後ろのボランティアスタッフの方々も気になったわぁ・・。)
でも、今の80才以上の人は、元気で若い!
ここで『笑う』とこは、ちゃんと『笑い』、ここは『うんうん』と頷くとこは、まあまあ『頷く』。
でも、会長さんはじめスタッフの皆さんが終ってから、「良かったわ~、みやもっさん! 又、たのんます。」と言って、送り出して下さったので、こっちは少しホッとした。
実は話の途中、何度も噛んだんです・・。ごまかしたけど。
ほんま、汗かいたわー。
今日のお参りの遅刻 (縁談言い訳編)
毎日、檀家さん宅へお参りしていると、いろんな相談を受ける。
今日は、そんな(ある)相談を受けて、予定時間が大幅にくるってしまったお話。
その長引いた相談というのは、そこの家の娘さんの『縁談』話だった。
婚期が(そんなんが今の時代、あるかどうかは解らんが・・)少し遅れたという娘さんに、田舎の農家の大富豪から、縁談の話が来たそうだ。
が、相手さんの家からは、「嫁いでくれたら、何もせんでエエよ」という(今時珍しい、三食昼寝付き)の話であり、その言葉に(ある意味)引っ掛かって檀家のお母さんは悩んでおられた。
うまい話のようであるが、何か変だ。
一緒に分析してたのだが、『嫁に来てくれるんやったら、何も家の仕事はしないでエエ』ということは、逆に考えると、『何の為に嫁が必要なの?』という事であり、『必要なのは、家の面子、それとも子孫?』というのではないか?「それで幸せになれるのか?」などと、ごちゃごちゃ、ごちゃごちゃ話合った。
そないしてる内に、時間を大幅に使い込んでしまい、後の家のお参りの予定時間が、今度はごちゃごちゃになってしまった。
そんなとこで、「・・でも、どうしても良い縁談やと、思われるんやったら、一度会ってみられたらどうですか?・・でも、『何かおかしい?』と少しでも感じられたら、それってやっぱり『おかしな話』なんですよ。 第一印象と、お母さんと娘さんの直感を大切して決めてください」と僕はそれだけ言って、急いで、次の檀家さん宅へ走った。
次の檀家さん宅に着いた時、そこのおばあちゃんに、「遅いんで、院主さんが、事故にでも遭われたんかと心配してましてんで。」と言われた。
僕は、それで(匿名で)『縁談の相談』を受けたことを、簡単におばあちゃんに話したら、「そらぁ、たいへんでしたなぁ。・・そういうたら、私もこの家に嫁いで来た時は・・・、」と今度はおばあちゃん若かりしの『縁談』の話がはじまり、取り返しのつかん、ブラックホールに突入してしまったのだった。
メモされる恐怖
どこでどう、ものの見方を間違われた方なのか解らぬが、僕のことを(ご本人曰く)とても尊敬?されている檀家の(不思議な)ご子息さんが居られ、毎回、僕の読経後の雑談を(新聞記者のように)メモされている。
僕は、それが気になって、気になってしょうがない。
一度、そのメモ帳のことを尋ねた事があるのだが、その時、彼は「ご住職の言葉で、心に残ったものを記録しておいて、読み返して勉強させてもらっているのです。」とまじめな顔で言われた。
困るわ、しかし・・。
緊張やで、しかし・・。
それで、今日も僕が、声帯模写しながら、法話会をしている話を熱心に記録されていた。
後で、どんな顔で読み返してるんやろ・・。
ぜったい、あと何年かしたら、噴き出して、軽蔑するで、しかし・・。
まぁ、ええわ。 なんでも記録しといておくれやっしゃ!
玄関開けたら、二分でシャワー!
連日、暑い日が続いている。
今日も「檀家参り」から、「へぇへぇ」言いながら、帰って来たら、妻が「お父さん、玄関開けたら、二分でシャワー!・・その後、口に氷入れ、アイスノンを首に巻く!」と言われた。
僕はただ、「はいっ」と言って言われるままに、シャワーを浴びた。
妻は、それから僕がバスタオルで拭いてると、後ろから「あの坊さんの『真っ黒い(法衣)』着て、太陽熱を吸収しながら、炎天下を自転車で回ってお参りしてんねんから、自己管理をしっかりせんと倒れるで!・・まだまだ、忙しい盆の夏はこれからやで!」と言って、アイスノンを情け容赦なく、僕の首にぐわっと巻きよった。
「ひぇー!」と僕は叫びながら、とても愛情と感じることのできないこの妻の殺意ある行為に、ある種の『日頃からの怨み』のエネルギーをビシビシと感じたのだった。
働けど働けど、わが妻、優しくならざり、じっと上目づかいに妻を眺む。あ~仏さま、ナムアミダブツ!
98回目の「講話クラブ」
昨日、大阪市生野区の「特養老人ホーム 甍」さんへ、今回で〔98〕回目となる「(紙芝居)講話クラブ」の開催に行ってきた。
98回目ともなると、結構仲良しの御方ができる。
この(写真)の方も、『木所(きどころ)』さんとおっしゃって、仲良しのお一人である。
この方、車椅子ではあるが、お身体はいたって健やかで、今回、ご本人の許可を得て(写真)を掲載させてもらった。(「載せて頂けるなんてもったいない」とおっしゃられたが、僕の方こそ、もったいないです)
この御方、仲良しというよりも、僕の人生の師のような方でもあり、毎回僕に、いろんな事(政治・宗教・歴史・哲学などなど)を教えてくださる。
博学で、智慧も深く、物静かで、しかもユーモアのセンスもある、そんな御方だ。
そう、この方に『かつて、大阪に津波が来た事』を教えてもらったのである。
お若い頃に、大正区に住んでおられ、津波犠牲者の慰霊碑について、ずっと研究されていたらしい。
木所さんは、僕に「津波の事を人に語るなら是非、現地(慰霊碑の場所)に行くように」とおっしゃって下さり、その通り、僕は現地に行って取材し、結果的にこの写真の『紙芝居』が完成したというわけである。
つまり、この紙芝居の製作要因を下さった恩人である。
この日、皆さんの前で、木所さんに感謝した後、この紙芝居を実演した。木所さんは、心から喜んで見てくださっていた。
僕も一つ恩返しが出来たような気がして嬉しかった。
又、例の被りもんのちょんまげも受けた。・・施設職員さんに、「宮本さん、久々の被りもん付き『紙芝居』ですなぁ。ははははっ」と言われた。が、そんなに僕って『被りもん付き・変身紙芝居』作ってたかなぁ・・? 自分でも忘れてしもた。・・僕って変身願望があるんかなぁ。(笑い)
劇団四季ミュージカル「クレイジー・フォー・ユー」
昨日の夜、大阪狭山市の「SAYAKAホール」に行き、劇団四季ミュージカルの「クレイジー・フォー・ユー」というラブコメディを見て来た。
(簡単なあらすじ)
舞台は、1930年代のアメリカ、ニューヨーク。
銀行の跡取り息子〔ボビー〕は、仕事よりもダンスが大好き。
或る日、〔ボビー〕は銀行からの命令を受け、ど田舎の砂漠の町へ、潰れ掛けた劇場の差し押さえをしに行く事になる。
いやいやながら出発し、ようやく砂漠の町に着いた〔ボビー〕は、そこで、潰れ掛けの劇場主の娘〔ポリー〕に一目ぼれしてしまった。
しかし、娘〔ポリー〕は、銀行からの回し者と〔ボビー〕を拒否し嫌う。
なんとかその娘の気を引こうと〔ボビー〕は、仕事そっちのけで、もう一度劇場を復活させ流行らせようと、大興行主に変装して、町の若者達を集めオーデション。そして踊り子は、ニューヨークの女友達たちを呼び、大芝居を企てる。
芝居の練習は上手く軌道にのるが、今度は娘〔ポリー〕が、〔ボビー〕が変装しているとも知らず、その大興行主に惚れてしまう。
それで〔ボビー〕は変装を解いて、娘に本当のことを打ち明けようとしていると、そこに本物の大興行主がやって来て大混乱。
・・という、ドタバタ喜劇である。
まるで、大阪の〔よしもと新喜劇〕のような内容のお芝居であるが、それを「劇団四季」がやるから凄い。・・軽快なタップダンス、歌も踊りも超一流。すばやい舞台装置の展開。もんくの付け様がない。さすが「四季」である。
僕はお芝居を見ながら、これを〔よしもと新喜劇〕が演出したら、どうなるやろと想像しながら見ていた。(ちょっと無謀な想像であるが、それはそれで面白いかもしれん。・・・たとえば、主人公ボビーが、「あの~、実は私は〔ボビー〕です・・・か?」と変装を解きながら言ったりしても、面白いです・・・か?)
さて、一つ残念だったのは、僕のコンディションだった。
前日の、岐阜への長距離出前の疲れや、睡眠不足などが重なり、何度もお芝居中に〔あくび〕が出た。(退屈していたからではありません・・言い訳)
一緒に行った妻が僕に、「何度も大きな〔あくび〕して、私カッコ悪かったわ!周りの人に恥ずかしかった」と云われた。(自分では、解らんように〔あくび〕してたつもりやったのに、バレてたか・・。)
ほんま、周り人たち、すんませんでした。・・それに劇団員の人たちにも、この場をお借りして心よりお詫び申し上げます。
次回には、しき(四季)っと、いや、シャキッとした頭で拝見させて頂きたいと思います。
プロモーションビデオは、こちら。
http://www.youtube.com/watch?v=uvwy3xRdmiY
出前は、岐阜へ

昨日、おとといと、〔岐阜県〕大野町にある「浄勝寺」様に、「お寺の出前」がお寺へ出前に行って来た。
目的は、昨年に引き続いての『無縁経法要』に出講する為であった。
さて、『無縁経法要』とは、簡単にいうと「私たちが(農作物を食する為に)、犠牲になってくれている〔虫たち(生き物)〕に感謝し、供養する為の法要」である。(このような法要が昔から続いている事実に驚く)
この日、午前と午後の二回に渡って、お経が挙げられ、その後、僕が「紙芝居法話」をさせて頂く。
『無縁経法要』にちなんで、この日は、「続編付き」の『くもの糸』を上映。
そして、虫たち(生き物)すべて救って下さる『アミダ仏物語』も、披露した。
この法要の日、岐阜県の天候は『曇りのち雨』であったが、朝から「もうええ!」っていうぐらい晴れてくれて、汗まみれの嬉しさだった。(僕は「紙芝居」を車から運ぶため、晴れの天気は(紙が濡れなくて)非常に助かるのだ。)
又、(晴れの為)地元の農作業に従事されている年配の方々もお参りしやすかった思う。
さて、帰り際に、ご住職より「・・来年も又、この法要の『紙芝居法話』を頼みます」と云われた。
・・有り難いと同時に、来年に上映する「紙芝居ネタ」の新たなる調整と、体調の自己管理を又、しっかりせねばと感じたご法縁であった。
お寺の出前!岡山へ (後編)
(『友愛の丘』研修施設)
(前編からの続き)
さて、この日の岡山の天候であるが、予報は一日中、雨であった。
僕自身、はじめて行く場所であった為、雨の日の運転は少し不安でもあった。
・・が、ずっと曇りの天候が続き、研修施設に到着した時は、日が射して来てくれて、すがすがしい気分で会場に入る事ができ良かった。
さてさて、面白ネタであるが、施設に到着し、同行のU村さんが、先に玄関から受付に向かわれたのだが、どうやら、受付の人はU村さんを僕と間違われたようで、「ご住職、ようこそ遠方まで!」と勘違いされたらしい。(この日U村さんは、短髪でもあり、又、そのお優しそうな風貌から、僧侶のような雰囲気がただよっていたのだ)
僕はそれが面白かったので、「『釣りバカ日誌』の映画みたいに、今日はU村さんが僧侶という事で過し、後でみんなを驚かせましょう!」と言ったのだが、ご本人はいたって神妙に辞退された。(やりたかった!)
さて、研修会場で、僕をこの場の講師に(無謀にも)推薦され、御呼び下さった『グループユニオン』の(恐いもん知らずの)スタッフ:K藤さんと合流。そして、研修会の簡単な打ち合わせをする。(ほとんど、藤山寛美さんの思い出話ばっかりしていたが・・。)
そして、会場に入り、「紙芝居講話」を2時間始めた。
同じジャージ姿に身を包む(老若男女の)研修生のみなさんは、全国から来られているとお聞きした為、なるべく標準語でしゃべろうと努力したのだが、やはり無理だった。(開始二・三分で、「そうでんなぁ、ちゃいまんなぁ」のラッシュになってしまった。〔笑い〕)
しかし、なんとか、緊張気味の皆さんの〔一服の清涼剤〕になったのではないかと(自分は)思っている。
至らぬ点は、どうかお許し下さい。(又、機会があれば、U村さんに、今度はご法話をお頼みしますので・・)
(稲むらの火の大阪商人に変身)
それでは、最後に〔森昌子〕さんの名曲『せんせい』の替え歌、『ゼンセン』で、このブログを締めたいと思います。・・はりきってどうぞ! オスッ!
『ゼンセン』
「遠ぉい 岡山行った日は、雨が降らずに晴れていた
各地の企業の精鋭が み~んな集まり 研修会
おーそろいジャージに 胸こがし~
組合リーダー 目指します~
ゼンセン(UI)、ゼンセン(UI)、
それは 同盟~ 」 おそまつ 合掌



