住職のつぼやき[管理用]

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紙芝居:『上田秋成ものがたり』(その4・最終回)

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 秋成54歳。
 歳を取ったと感じた秋成は、医者を辞めて隠遁生活に入ります。
 そして妻と共に、その後のんびり旅をしたり、古典の研究や友人との交流を深めたりしました。
 が、57歳で彼は白内障を患い、左目を失明。
 京都に住まいを代えて生活しますが、61歳の時、頼みの妻も亡くします。
 そして62歳で右目も失明し、全盲となります。・・が、友人の眼医者のお陰で、左目だけ回復しました。
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 頑固で偏屈な秋成を生涯助けて、苦労を掛けた妻を亡くし、片方の視力を無くし、生きる気力を無くした彼でしたが・・、
 そんな秋成を招いて慰めてくれたのが、妻の知り合いでもあった、河内の日下(くさか)村=(現在の東大阪)に暮らす[唯心尼]というお寺の尼さんでした。
 秋成は唯心尼や村人達と、お茶を飲んだり詩を作ったりしながら、癒され生きる気力を徐々に取り戻していったのでした。
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その後、秋成は京都で再び小説を書いたり、歌の本を出版したりします。
 が、76歳で病いに倒れ亡くなりました。
 気難しく繊細な芸術家であった秋成。
 指と視力が不自由ながら、そのコンプレックスを自虐的ペンネームとして著して、日本を代表するような幻想小説を書いた孤高の人、秋成。
 そのお墓は、京都市左京区の西福寺の境内に立っています。
 このお墓、石の台も彼のペンネームのように、カニのような形をしています。
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(京都・西福寺)
 おしまい

紙芝居:『上田秋成ものがたり』(その3)

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やがて養父が亡くなり、お店の後継ぎとしても、又作家としても、頑張ろうと思っていた時に、秋成にとって大変大きな事件が起きます。
 それは大火事です。
 大阪の堂島で起こった火事は、秋成の店も財産も全て焼き尽くしました。
 全てを無くして、途方に暮れていた秋成一家に、手を差し伸べてくれたのは、例のお稲荷さんの加島神社でした。
 ここの神主さんが、境内の一画を貸して下さり、秋成一家に住まわせてくれたのです。
 ここから秋成の第二の人生が始まります。
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秋成は境内の一画で(数少ない)親友の一人の例の木村蒹葭(けんか)堂に、医薬品の書物を借りて、医者を目指し猛勉強を開始します。
 そして40歳で秋成は、町医者になり医院開業をするのでした。
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 その後、秋成は医術で生活しました。
と、同時に(数少ない)親友の木村蒹葭堂の[煎茶(せんちゃ)]サロンにも参加して、そこで再び作家や俳人達と交流を深めて行くのでした。(蒹葭堂さまさまやねぇ・・)
余談ではありますが、この頃です。
 秋成と国学者の本居宣長との間に、天照大御神の解釈をめぐって、『日の神論争』が起こり、この二人は生涯の論敵となります。
 この頃、秋成は一塊の(町医者)兼町学者、一方、本居宣長は天下の国学者。
 しかし、秋成は自説を曲げず、最後まで戦い抜いたそうです。(やはり、偏屈やなぁ)
つづく
 

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