住職のつぼやき[管理用]

記事一覧

※画像をクリックすると拡大されます。

紙芝居;『私が住職になった理由(わけ)』(後編)

ファイル 2165-1.jpg
この話は冒険でした。
大阪とはいえ、広うござんす。
見知らぬ土地で、見知らぬ人達と一緒に住むというのですから・・。
しかも、妻と子供も一緒に来て欲しいというのです。(親とは離れて)
この時ばかりは悩みました。
 僧侶になったからには、一ヶ寺の住職になって自分流の運営をしてみたい。
 がはたして、こんなスタイルで生活が上手くやっていけるのか?
 又、いつかきっと老姉弟の介護の問題も起こってくるに違いない。その時はどうするか?
いろんな問題を想像して、それから妻と子供達と残してゆく両親と何日も話し合いました。
ファイル 2165-2.jpg
そして最後に「やるだけやってみよう!」という結論に達しました。
 両親も「店の事は心配するな、いずれは閉める。行って来い」と言ってくれ、妻も「あなたの夢について行く」と言ってくれました。
 一方、お手伝いをしていたお寺も、ご子息さんが後を継ぐ事に決まり、心置きなく出発できる事になりました。
 そして平成10年の夏、引っ越し。
 見知らぬ土地での他人との同居生活が始まりました。
ファイル 2165-3.jpg
がやはり、上手くいきませんでした。
 最初はお互い遠慮し合って、上手く生活していたのですが、その内、生活習慣の違いから話しがこじれ、やがて老姉弟は別居される道を選ばれました。(親戚の近所に家を買われ移られました。)
そしてお寺には私達家族だけが残りました。
 結果的には、後味の良いものではありません。がしかし、正直この様な選択しかなかったのです。
 こうして、私は「観念寺」の住職になりました。
ファイル 2165-4.jpg
 今でも「これで良かったのか?」と悩む事があります。
 がしかし、観念寺の檀家さん達から「住職さん、これからこの寺を頼みます!」と言われる度に、責任を感じ身の引き締まる思いがします。
 ご縁あって、住職になったのです。
 これからも、檀家さんの為に、世の為人の為に、仏様の元精進して行きたいと思っています。ご縁ある皆様、これからも御鞭撻のほど、宜しくお願い致します。おしまい
ファイル 2165-5.jpg
(終わりに)
平成18年、「宮本酒店」は閉店し、父も亡くなりました。母は健在です。
 又、お寺を守っておられた老姉弟も老衰で亡くなられました。
 現在、観念寺は私の娘が、次期住職として精進しております。
 もちろん、私も住職として、バリバリ現役です。

 最後に余談になるのですが、このお話では、私の弟が出てきませんでした。話がややこしくなるのでカットしたのです。(弟、すまん!優しい兄思いの弟です)
 現在、弟は三重県で、家庭を持ち公務員になって働いています。
 これで、第二部が終わりました。
 いよいよ、第三部は、何故?私が紙芝居を制作するようになったかを、お話します。題して「紙芝居事始〜私が紙芝居を始めた理由」です。

上に戻る