妙好人(みょうこうにん)というのは・・・、
言葉では言い尽くせない程、素晴らしい念仏者のことです。
因幡(いなば)の源左(げんざ)さんも、そのお一人でした。
それでは今から、その源左さんのお話を聞いて頂きましょう。
尚、方言などは多少変えておりますので、ご了承下さい。
それでは、はじまり、はじまり~
源左さんは、江戸時代の終わり頃、因幡の国(今の鳥取県・青谷町〔あおやちょう〕)の小さな村中で生まれました。
源左さんは根っからのお百姓さんで、生涯、文字の読み書きが出来なかったそうです。
その源左さんが、仏教を本気で聞くようになった機縁は、十八歳の時でした。
この日、源左さんは、父親と一緒に田んぼの稲刈りを続けておりました。
ちょうどお昼近くになった頃でしょうか、急に父親が身体の具合が悪いと言い出したのでした。
(父)「おら、どうも身体の具合が悪い。ちょっと先に家に帰るわ・・。」と言って家に帰って行きました。
その日の夕方・・。
父の容態は急変し、危篤となってしまいました。
それは、今の病でいうコレラでした。
意識が遠のいてゆく父親は、最後に源左さんにこう言ったそうです。
(父)「おらが死んだら、親様を頼め」と。
その直後、40才の若さで父親は亡くなりました。
熱心な浄土真宗の門徒(信者)であった父が言った『親様、頼め』とは、〔誠の人間の親とは、阿弥陀如来という仏様なのである。だから、自分が死んで困ったことが起ったなら、阿弥陀さまに相談せよ〕と、いう意味だったのです。
しかしながら、源左さんには、この意味が理解できませんでした。
(源左)「『親様が阿弥陀(仏)さまである』というのは、解るような気はする。・・しかしその仏さまは、オラの悩みには、実際何も答えちゃくれねぇ。・・おっとう、いったいわしに何が言いたかったんじゃ?!」と、源左さんは真剣に悩みました。
・・それから30才まで、源左さんは結婚もし、家族を養い、懸命に働きます。
が、常にこの『親様、頼め』という言葉が気になっておりました。
それで、近隣のお寺はもちろん、遠くは京都の本願寺までお参りして、一生懸命にお坊さまのお説教を聴きました。
しかし、この言葉の意味はなかなか理解出来なかったのです。
その源左さん、30才の時、ついに転機が訪れるのでした。
つづく
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紙芝居:「因幡の源左さん」(その1)
京都:山城2組「正願寺」さまご一行の来院
本日、京都の「正願寺(お東のお寺)」さま御一行が、バスツアーで観念寺に参拝に来られた。
僕は例によって、お寺の沿革や自己紹介などをお話した後、紙芝居二本を披露する。
紙芝居の中身は『三尺三寸のお箸』というお話と、『アミダ仏物語』の二本だ。
この『アミダ仏物語』は、N添乗員さんのリクエストで、前回のツアーで見て下さった方に評判が良かったらしい。・・それと個人的な好みも入っているということだ。・・信心の篤い添乗員さんだ。(笑い)
最後は、皆で記念撮影。
お帰りになられる時、何人かの方から握手を求められたのだが、その時可笑しかったのが、「握手してもらったら、何か良いことあるでぇ」と、笑いながらおっしゃってくださったことだった。(ビリケンさんみたい・・〔笑い〕)
又、「今日は、本当に幸せな気持ちになりました。」とおっしゃってくださった言葉も深く心に残った。
いろいろな方との出会いに感謝である。合掌
正願寺のご門徒の皆さん&同朋観光さん、ありがとう!