住職のつぼやき[管理用]

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紙芝居:「素晴らしき哉、人生!」のあとがきに代えて

 フランク・キャプラ監督のアメリカ映画「素晴らしき哉、人生!」は、クリスマスの日に起こる奇跡の物語である。
 アメリカ映画というのは、本当に、大なり小なりよくクリスマスの日に奇跡が起こる。(事実、神の子、奇跡の子〔イエス〕様が、お生れになった日なのだから当然かもしれんが・・。)
 しかしながら、はじめにこの映画を見た時、僕は『この映画は、仏教(お釈迦さま)の根本思想のひとつである《縁起(えんぎ)》を云わんとしている』と思った。
 縁起とは、つまり『世界の一切は、直接にも間接にも、何らかの形でそれぞれ〔関わりあって〕生滅変化していくのだ』という考え方である。
 人間はひとりで存在しているのではない。
 この世の一切のものは、他のものに縁(よ)りて(依存して)、起きているのだ・・。
 こんな、考え方を云わんとしている映画なのではないかと、僕は思った。・・だから「これって、仏教や~ん」と捉え、勝手に日本版に作り変えて製作したのである。
 実は、何度も文章は書き直した。・・が、まだもうちょっと書き直さねばならないとも思っている。(自分の中で、まだ熟していないのが本音だ。)

 後一つ。完成品を妻に見てもらったのだが、次のような感想だった。
「言わんとしている事はよく解ります。・・が、はたしてこの話は、今の日本社会で孤独に生きてる人の救いの話になるのでしょうか?」と言われた。
 又以前にも、他の人にも次のような事を言われた。「この話は、善きアメリカの時代の話じゃないですか?・・今の日本では通じるかどうか?」とも。
 ・・僕は妻に「その事をもうちょっと解りやすく説明してくれ?」と言うと、妻は「この長一には、家族があり、関わりのある人々がいる。・・だから人と人との『絆』に気がついて、もう一度やり直そうと思った。・・だけど、今、家族も居なくて、親戚とも関わりを持たず、友達もいなく、仕事も無い人って居てるよ。・・そんな人には、この話はやっぱり綺麗事に写れへんやろかなぁ?」と言うのだ。
 ・・確かに、このお話は一昔前なら通じた物語で、今はどうだか?と、思ってしまう。(その通り、このお話は老人ホームよりも、(家族との関わりを常に持つ)ディケアセンターや、地域の家族会の方々の方が遥かに反応が良い。・・これは間違いない。)
・・この紙芝居(お話)を今、あえて皆に見てもらう意味があるのか無いのか?・・少し迷うのだが、やはり僕はこの古臭い物語が、現代人に何か大切な事を思い起させるキッカケになると信じ、これからも演じていきたいと、今のところ思っている。

 さて、最後に余談ながら、この主人公の〔長一(ちょういち)〕と言う名は、映画では〔ジョージ〕であり、〔半人前地蔵〕は、映画では〔翼の無い二級天使〕という名で登場している。
 ・・これも余談の余談だが、妻に「本当に〔半人前地蔵〕っているの?」と聞かれたが、僕の勝手な創作で、こんな名の仏さま、居てはる訳無い!・・です。
 又、映画では、悪役〔ポッター〕という人物が登場するので、僕も初校の段階では、悪徳高利貸し〔堀田・栗兵衛(ぼったくりべえ)〕として登場させていたのだが、煩わしくなって(このお話に悪役は必要無いと思い)カットした。
 ・・まぁ、以上はどうでも良い余談なのだが、ちょっと書き足しました。 終り
 
  
 

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