住職のつぼやき[管理用]

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被災地に立つ その5(最終回)

 被災地の光景を見続けていると、(頭と目が麻痺してしまうか?)だんだんと、その景色に慣れっこになってしまう自分が恐いと思った。
 そんな事をボランティアのリーダーに話していたら、「そうかぁ、君もか?!」と言われた。(こちらに居ると、皆そう思ってしまうのかもしれない)
 そして、その先輩は僕に「宮本君に是非、見てもらいたい場所があるので、最後にそこに行こう。」とおっしゃられた。
 そこは、石巻市にある浄土真宗の「称法寺」というお寺であった。
ファイル 754-1.jpg
 被災地に立って(僕の心は再び)驚いた。
 そこは、一面の崩れた墓場の瓦礫であった。
 そこに立って眺めていると、リーダーさんが僕に「これでもかなりキレイに整備されたんだよ。へドロを被ったお墓の姿が見れるようになったのだから・・」と云われた。
ファイル 754-2.jpg
 その場で、僕は一冊の貯金通帳と何枚かの家族写真を見つけた。拾おうと進んだのだが、釘を踏んだ為、その痛みで進むことができなかったし、リーダーにも止められた。
 お寺自体も、本堂はガタガタになっていた。
 が、住職さんの家族は早めに避難された為に、無事であったらしい。 そんな事を話していたら、そこの住職さんが犬の散歩に出るために外に出て来られた。 僕達は無言で頭を下げた。向こうもそうされて去っていかれた。その彼方に焼け崩れた小学校の建物とが重なり、なんとも言えん気持ちになった。
 その近くで、一件の家跡に大きく書かれた文字を見つけた。
ファイル 754-3.jpg
 そこには「がんばろう!石巻」、『復興するぞ!』と大きく書かれていて、お線香の香りも微かにただよっていた。
 僕達は、そこでも合掌して、深深と頭を下げた。
 その後、『撮影禁止』と大きく書かれた「遺体安置所」や、その横の石灰が撒かれた「遺体埋葬所」などでも手を合わせ、僕等はボランティアセンターに戻った。
 
 わずか四日間の「被災地ボランティア」であったが、たくさんの事をこの期間に、学ばせてもらったような気がする。
 いや、学ぶという方は不謹慎だ。
 何か深く、心に「焼印」を押されたような、そんな気がした日々であった。
 まだまだ被災地に、ボランティアは必要とされている。それは明白だ。 
 「又、来てくださいよ。今度は『紙芝居』の出番があるかもしれませんね」と、先輩リーダーさんにも言われた。
 「・・そうかもしれんなぁ。又、来たい」と、そんな事を思いながら、ボランティアセンターを後にして、僕は仙台駅へと向かった。
 そして、「このまま新幹線で大阪へ帰るか」と思った時、『雨ニモマケズ、風ニモマケズ ~ 頑張ろう東北!岩手・花巻』と書かれたポスターを見つけた。
 『そや、東北:花巻は、宮沢賢治の故郷やったんや。賢治の魂に触れたら、復興へのキッカケが何か掴めるかもしれん』と(勝手に)思い、急遽予定を変更し、切符売り場に飛び込んで、所要時間を調べ、仙台からわずか50分ほどで、岩手『新花巻』まで行ける事を確認し、南下せず、逆に北の『岩手・花巻』に行く事にした。
 そして、復興のシンボルとなっている宮沢賢治記念館を訪ねることにした。(滞在時間は、わずか二時間ほどしか作れなかったが。)
 ・・でもそれは、又別のお話になる。 いずれ、その事は書く事にして、取り合えずこの「被災地ブログ日記」は終ることにする。 終り
  

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