被災地の光景を見続けていると、(頭と目が麻痺してしまうか?)だんだんと、その景色に慣れっこになってしまう自分が恐いと思った。
そんな事をボランティアのリーダーに話していたら、「そうかぁ、君もか?!」と言われた。(こちらに居ると、皆そう思ってしまうのかもしれない)
そして、その先輩は僕に「宮本君に是非、見てもらいたい場所があるので、最後にそこに行こう。」とおっしゃられた。
そこは、石巻市にある浄土真宗の「称法寺」というお寺であった。
被災地に立って(僕の心は再び)驚いた。
そこは、一面の崩れた墓場の瓦礫であった。
そこに立って眺めていると、リーダーさんが僕に「これでもかなりキレイに整備されたんだよ。へドロを被ったお墓の姿が見れるようになったのだから・・」と云われた。
その場で、僕は一冊の貯金通帳と何枚かの家族写真を見つけた。拾おうと進んだのだが、釘を踏んだ為、その痛みで進むことができなかったし、リーダーにも止められた。
お寺自体も、本堂はガタガタになっていた。
が、住職さんの家族は早めに避難された為に、無事であったらしい。 そんな事を話していたら、そこの住職さんが犬の散歩に出るために外に出て来られた。 僕達は無言で頭を下げた。向こうもそうされて去っていかれた。その彼方に焼け崩れた小学校の建物とが重なり、なんとも言えん気持ちになった。
その近くで、一件の家跡に大きく書かれた文字を見つけた。
そこには「がんばろう!石巻」、『復興するぞ!』と大きく書かれていて、お線香の香りも微かにただよっていた。
僕達は、そこでも合掌して、深深と頭を下げた。
その後、『撮影禁止』と大きく書かれた「遺体安置所」や、その横の石灰が撒かれた「遺体埋葬所」などでも手を合わせ、僕等はボランティアセンターに戻った。
わずか四日間の「被災地ボランティア」であったが、たくさんの事をこの期間に、学ばせてもらったような気がする。
いや、学ぶという方は不謹慎だ。
何か深く、心に「焼印」を押されたような、そんな気がした日々であった。
まだまだ被災地に、ボランティアは必要とされている。それは明白だ。
「又、来てくださいよ。今度は『紙芝居』の出番があるかもしれませんね」と、先輩リーダーさんにも言われた。
「・・そうかもしれんなぁ。又、来たい」と、そんな事を思いながら、ボランティアセンターを後にして、僕は仙台駅へと向かった。
そして、「このまま新幹線で大阪へ帰るか」と思った時、『雨ニモマケズ、風ニモマケズ ~ 頑張ろう東北!岩手・花巻』と書かれたポスターを見つけた。
『そや、東北:花巻は、宮沢賢治の故郷やったんや。賢治の魂に触れたら、復興へのキッカケが何か掴めるかもしれん』と(勝手に)思い、急遽予定を変更し、切符売り場に飛び込んで、所要時間を調べ、仙台からわずか50分ほどで、岩手『新花巻』まで行ける事を確認し、南下せず、逆に北の『岩手・花巻』に行く事にした。
そして、復興のシンボルとなっている宮沢賢治記念館を訪ねることにした。(滞在時間は、わずか二時間ほどしか作れなかったが。)
・・でもそれは、又別のお話になる。 いずれ、その事は書く事にして、取り合えずこの「被災地ブログ日記」は終ることにする。 終り
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被災地に立つ その5(最終回)
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カンネン亭 2011年09月03日(土)11時27分 編集・削除
らこはん
五ヶ月を過ぎても、まだこのような状態なのですね。
これでも、連日このお墓の回りはボランティアさんたちが、お掃除してくださっているのです。
いったい、復興までどれぐらいの時間が掛かるのでしょう?
愛子 URL 2011年09月05日(月)00時33分 編集・削除
その景色に慣れっこになってしまう自分が恐い・・・
人間の順応性って凄いなぁと思うのですが、
こういう感覚が有るから立ち直れるのかなと思うのです。
被災地の方が、また頑張ろう!って立ち上がるためには
この悲惨な状態に麻痺することも必要なのかなと・・・
良い意味で麻痺すれば希望もたくさん持てるのかもしれないな・・・なんて。
だけど、この悲惨な状況を私たちは決して忘れることなく伝えて行かねばならないと思います。
今村さんのお話を見て、宮本住職と重なりました。
カンネン亭 2011年09月05日(月)11時56分 編集・削除
愛子さん
今回の被災地への訪問で感じたことは、ハイブリットカーや、エコ発電の家の屋根、そしてパソコンなどの(ドラえもんの道具のような)未来への器具が、木っ端微塵に道端に、ゴミになってうち捨てられてる現実を見たことでしょうか。
エコ道具(器具・装置)も、大自然の驚異に対しては実にもろいものだと思ってしまいました。(でも、それらも、もちろん大切なものだとは思っていますが・・。)
大自然の天災はどうしようもないですが、それに対する備えは、人間の努力でなんとか小さくすることができるのでは、と思ってしまいました。
lako 2011年09月02日(金)20時54分 編集・削除
本当に、価値ある??というか
現実の・・・というか、
生々しいというか・・・
なんともいえない、未曾有のボランティアでしたねぇ。
無残なるお墓の姿・・・
5ヶ月たっても、まだまだ愕然とする様子なのですから
発生後の悲惨さといえば。。。。。
ご住職のことですから
きっと、色々と胸にふつふつと沸いてきていることと思います。
本当にご苦労様でございました