住職のつぼやき[管理用]

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被災地に立つ その3

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 南三陸町は、町全体が廃墟となっていた。
 僕の隣の車内のボランティア仲間が、思わず「これでは、復興なんてとても不可能ですね・・」と呟いた。 
 不謹慎ながら僕も頷いてしまった。(後4・5年はかかるか?)
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 マンションの屋上に取り残されたままの車を見て、「これは、車を下ろすことより、マンションを取り壊すことの方が優先なんですね。だから放置したままなんです」と、先輩ボランティアさんが教えてくださった。
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 そして、「ここがマイクを握ったまま避難を訴えて、津波に流された女性職員の遭難の建物跡です。」と先輩ボランティアさんは、教えてくださった。
 僕は「車を止めてください」とお願いし、ひまわりの花が揺れる祭壇の前で手を合わせた。
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 そして、ここが廃院となった「志津川病院」である。
 病院前のガソリンスタンドのおっちゃんが、震災当時の様子をくわしくお話してくださった。「ここの屋上で、150人の入院患者さんと看護師さんたちが、津波から避難していたんです。・・四階まで津波が来た時は、全員「もうだめだ」と思ったそうです。でも、幸運なことに四階以上、津波は上がってこなくて助かったんですね。・・でも、もちろん避難できなかった寝たきり患者さん達はお亡くなりになりました。」と。
 僕達は、ガソリンスタンドから手を合わせた。
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 その後、車は、女川(おながわ)町へ向かう。
 舗装改修された道を通ったとはいえ、いたる所ヒビ割れがあって、車内でバウンドの連続であった。(腰、悪したわ)
 そして車は、NPO法人「だいじょうぶ屋」に到着。
 こちらのNPO法人さんは、地元の方の空き地を借り、そこにほったて小屋を立てて、ここを基点に女川町の海に沈む船(鉄くず)の引き上げボランティア作業を行っておられる。
 沢山のカップライスをここで差し入れると、代表さんが「ほんま、食料の差し入れはありがたいですわ。わたしは兵庫県の篠山から来てますねんけど、鉄くずを海から広い集めて、関西まで売り行ってますねん。関西の方が鉄くずは高く買ってくれますんでなぁ。その売ったお金で、子供たちの本を買ってプレゼントしてますねん」と云われた。
 立派な方たちがいる者だと、感心して「何か必要なものはありますか?」と聞くと、海の近くなんで〔蚊・ハエ〕が多くて蚊取り線香が欲しいとおっしゃっておられた。
 その注文をメモした後、僕達は次に〔女川原発〕近くに避難されている避難所へ向かうことにした。 つづく

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